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尺八を携え歩いた四国遍路   7 加持力 狩場付近   H15.11.14  UP
                 
卍44 大宝寺  

 大宝寺は、古い大きな杉木立が立ち並ぶ参道が有り、いかにも幽玄深山の寺という感じがします。

 二巡の時、団体の参拝が終わるのを待っていると、若い歩きのアンチャンが来たので、団体の参拝が終わるまで少し世間話をしてました。

 団体が終わり本堂でσ(*_*)が参拝し終わると、それを待ってたように遅れてアンチャンが参拝し、大師堂の参拝を終わった後も、やっぱり、それを待ってたように参拝し始めました。大宝寺

 σ(*_*)なんかに気ぃ使わんと、構わずに一緒に参拝すればええんだけど、やっぱり人と違う参拝しとるもんだから、気ぃ使うんかなぁ。

 大師堂を降りる階段の途中から、アンチャンの朗々とした声で経を唱え始めるのが聞こえました。

 その読経は深山から、どこからともなく沸きい出る雲のように重々しい貫禄が有り、今まで何度も聞き慣れている、単に大きい声で唱えるだけの団体が率いる先達さんや、坊さんの読経とはまったくちがいます。

 何と表現して良いのか・・・大宝寺よりの遍路道
 今まで感じた事が無い、重みというか・・
 威厳が有るというか・・・
 心が入ってると言うのか・・

 その見事な読経に、階段を下りる途中で思わず振り返えっちまいました。

 うぅ〜ぅむぅぅ〜・・・これこそ、ホンマもんの読経じゃろおなぁ。
 これほどの経を唱える人は、若いけれどタダモンじゃねぇ。

 アンチャンが参拝し終わって、戻って来た時
「今の経を聞いたが、あれほど見事な経は聞いた事がない」と言うと、


 
「実は自分は京都の寺で、坊さんになる修行をしてたが辛くて挫折し、今は普通の生活をしている。

 しかし、どうしても心残りが有って、それを振り切るため、これが最後と思って区切り打ちしながら遍路している。

 周りに人が居る時は、人に聞こえないように小声で唱えるが、先ほど尺八を聞かせてもらった後、誰も境内に居なかったので「地」のまま唱えた。河合の旧宿場

 寺に居た時は、先輩等から「オマエは、読経が下手だと」言われてたんですけど・・


 
寺で先輩が尺八を修行の一環としてやってる人が居ました。」

と言うので禅宗系統の寺かもしれません。
 宗派や寺名は聞かなかったけど・・。

 
「寺では修行として習字もやるので、納経帳に書かれた字を見て、いかにそれらしく書いてあっても、その人が素人なのか、心得が有る人かはわかる。

 巡って来た寺で、ちゃんとした字を書く寺は、10有る内の1寺位しかなく非常に少ない。

 だいたい巡って来た寺の善し悪しと、一致する。」
と言います。(^O^)

 試しに評判の悪いと言われる寺名を上げて聞いてみると、納経帳をパラパラめくって見て
「それほど悪くない」と言いますから、見た目の評判ではなく、その寺の本質のようなものを見抜いているのやろなぁ。

 おぉ〜いぃぃ〜・・寺や納経所の人ぉぉ〜・・・(^_^)/ 「狩場」付近の遍路道

 皆、黙ってアリガタがっとるけど、見る人はちゃんと見抜いてまっせぇ〜・・。(^O^)

 ワシは信心が足りんから納経帳なんか見向きもしねぇが・・

 
「修行が辛くて挫折したと言いましたが、寺にも裏事情があって、それも挫折の一因だ」とも言います。

 坊さんになるのを辞めた本音は、そっちの方がホンマの原因でねぇかなぁと思います。

 裏事情の内容はだいたい想像が付きますので、あえて聞きませんでしたが・・

 マジメな正義感の強い人だからこそ、心が痛んで辞めちゃったんやろおなぁ。
 しっかしぃ・・こおいう心が痛む人にこそ、坊さんになって欲しかった。

    八丁坂 登り口     八丁坂 頂上 

 三巡時は早朝で、ほとんど人もいなく、いつものように本堂から大師堂で尺八を吹き始めました。

 先ほど少し会話したジサマの歩き遍路が、本堂で参拝している読経の声が聞こえ、経の節回しに少し特徴がありますが、かなり唱え慣れた感じです。

 ジサマが大師堂へ来て参拝し始め、尺八を吹きながら間近でジサマの読経を聞くともなしに聞いてると・・・・「八丁坂」古岩屋へ

 ううむぅ・・この人の唱える経と尺八の音とは、何故かうまく合っとるなぁぁ。

 どちらが「主」でもなく「従」でもなく・・・・
 お互いに意識して、合わせようとするのでもなく、離れようとするでもなく・・

 自然に、それぞれが独立しながら、吹奏し経を唱え・・
 それでいて違和感も無く、不思議に全体に一体感が有る。

 経の半分ほど終わった時に、ジサマが
「うっ・・」と、一瞬声が詰まったという気配をさせます。

 その後も読経を続けますが、読経の声は徐々に震え始め・・詰まり始め・・・

 このままでは、読経が止まっちまうんじゃねぇか・・という心配までしちまい「ううむぅぅ・・ジサマ、しっかりせい」と心の中で激励し、吹き続けました。

 最後の「羯諦羯諦 波羅羯諦・・」の真言の箇所付近では、もう涙声で声を出すのもやっと・・という感じで唱え終わって嗚咽が聞こえます。古岩屋 付近

 そのころ尺八も最後のフレーズに入っており、実にタイミング良く、ゆるやかな盛り上がりの数節を吹き、余韻を残して静かに終わりました。

 数秒の沈黙・静寂の後、ジサマに振り向き
「見事に、お経と合ってましたねぇ」と言うと、目を真っ赤にしたジサマも「今まで経を唱えていて、こんな涙が出る思いをして唱えた事がない」と礼を言ってくれます。

 うん・・・確かに尺八を吹いて、今回のように読経と見事に一体感が有った事は、今までに無く最高でした。

 今までも吹いてた時にも、後から来た団体が経を唱え始めた事が有り、今回のように読経と尺八が「うまく合っとるなぁ・・」という感じがあった事も数回有りました。岩屋寺への遊歩道

 しかし、果たして、このように涙まで流してくれたか、どうか・・・
 終わった後で、その団体の人から礼を言われた事はあったけど・・

 こおいうモンは、お互いに見知らぬながらも、「心」「場所」「雰囲気」の三つが全て一致しないと得られん経験だと思う。

 自分で言うのもアレですが、ジサマの読経と尺八の音は、まさに極楽で聞く仏教音楽とは、このようなものかもしれないと吹きながら想像させるものでした。

 「加持力」は、願う者と祈る者とが、お互いに必死になって真剣に願い祈った時、人智の知れないプラスαの何かが作用すると聞いた事があります。

 ジサマは、奄美大島から来た遍路で、吹いてた曲は「阿字観」でした。

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