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               (明倫小学校跡)


 H19.10.21 UP 尺八を携え歩いた熊野古道・本宮道 遍照の響き

  「矢の川〜楊枝」地図
の掲載は、東紀州ITコミュニティ様の了承を得ております。


明倫小学校跡から楊枝川へ

明倫小学校跡

 途中で「明倫小学校跡」と言うのが有り、校舎は無く今は公園化されており、当時を偲ばせる物は校門跡と階段、その他の石垣だけです。

 しばらく校門階段の所でボケエェ〜ッと休みました。明倫小学校跡

 この階段を昔は子供達がキャッキャッと言いながら、登校したんでしょうなぁ。

 今は静かに時が過ぎるのを待ち、山の景色に溶け込んでいます。

 この校門の近くに生えている樹木が、また廃校跡の風景とマッチするんですねぇ。

 案内看板には、当時の校舎や教員住宅の配置が書いてあり、住宅が5棟有ったようなので、きっと校長先生+先生3人+用務員の5世帯だったんでしょう。

 こおいう所の用務員なんかして過ごせたら、ええ人生遅れたやろなぁ。

 しかし、何でこんな人が居ない不便な山奥に小学校を作ったんじゃろ?

 地図を見ても、この付近には集落があったようには見えず、周りを見渡しても付近が廃村になったようにも見えません。

 普通ならば小学校ちゅうもんは、村の近くに在るもんじゃなかろか?

 人の居る麓近辺に作れば、生徒も登校するのに苦労しないのに、不思議な所に小学校が有ったんです。

歴史

 歴史を見ると明治9年開校なので、100数十年前はこの地の文化発信の地で、昭和45年廃校となっており、最後の卒業生は現在50才くらいでしょう。

 石の階段も100年余り前から存在し、その間、子供達の遊びや、ケンカなどの生活の歴史を見て来たんでしょうなぁ。

 この校門の階段に座ってボェッ〜としていると、今は無人化されて人が住まなくなった灯台敷地の数々も思い出され、何故か懐かしく感じました。

 階段の下方はグランドだったようで、今はゲートボール場?になってるようで、校舎の有った所は駐車場になっています。

 1時間ほど休んで出発しました。

本宮道・標識4

 「本宮道C」の道標は、学校跡の看板すぐ近くに有りますので見落とさないでね。

 もっとも大した距離でもなく、また元の舗装道路に戻りますが・・・

   本宮道C      林道

本宮道・標識5

 本宮道D 本宮道D 林道
 舗装道路から「本宮D」の道標は見落とさない方が良いです、別の林道へ進みますから・・。林道

 まぁ結果的には同じ「楊枝川」の集落に出るようですが、ちと遠回りになるようです。

 少し山道を歩き、再び舗装道路をテクテク・・・

楊枝川

 久々に、昔は人が住んでたような気配がするような所を通って、しばらく歩き「本宮E」の山道を下ると「楊枝川」の集落に出ました。林道

 「楊枝川」の集落に、店がないかと思ったのですが有りまへんなぁ、郵便局は有るようですが・・。

 集落外れに、今は廃止になったバス停の小屋が有ったので、そこに入って昼食にしました。

 この「本宮道」の行程で「小栗須」付近から「楊枝」区間をバスが走ってないかとネットで調べたのですが、どうしても見つけれまへんでした。本宮道E

 もしバスが走ってるのならば「楊枝」で民宿に泊まらず、バスで車を置いた所まで帰れたのにぃ。

 この付近の人達は買い物なんか、どうしてるんじゃろ?

 昼飯を食べていると、正午を知らせる村のチャイムが鳴り、テープを永年使ってるためか、雑音混じりのゆがんだサビれた音です。

 うん・・しかし、こおいうのも、なかなか情緒がありますなぁ。

 楊枝川に沿ってテクテク・・・

   「楊枝川」集落      「楊枝川」バス停跡

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