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合気柔術

御池観音

 「御池」集落外れに、会津三十三観音「33番 御池観音」が有り、行ってみると境内に石屋さんのトラックが停まって墓の修理をしていました。

「御池」集落へ
 この「御池」集落は、周りを見渡してもタンボしかなく、何も知らない人には何の変哲もない、ただの単なる小さいイナカの一集落です。

武田惣角

 しかあぁしぃ・・古流合気柔術をやってる人なら、必ず名前を知っている「武田惣角」という人の出身地がこの「御池」です。

 武田惣角は書物を一切残さず、すべて実技と口伝だけで弟子を教えたので、この人が書いた秘伝書のタグイは無く、それゆえに「気」という、何と言ってよいのかわからん表現の言葉でしか、技を伝える事ができません。

 もし武田惣角が居なかったら、現在の合気系武道は世に出なかったでしょう。

 σ(*_*)も八光流系統の合気柔術をやっていたので、武田惣角の出生地というのは、どんな場所なのか?もんのすごい興味が有りました。

御池観音 「御池観音」境内で仕事していた石屋の頭領に、たぶん地元の人だから知ってるだろおと思って
「武田惣角さんが生まれた家は、どの辺ですか?」と聞きました。

 石屋さんは地元ですが、この「御池」に住んでる人ではないので
「さぁ〜・・わからんなぁ、墓ならそこらに有るんでないの?」と墓場を指差します。

 「あっ・・墓は、ここに有るんですか?」
 
「有ると思うが、だれか知らんかね?」と他の仲間に聞いてくれます。
御池観音
 墓を探すつもりは無かったのですが、親切に教えてくれたのだしぃ・・と思い探してみると、石屋の頭領も仕事の手を休めて一緒に探してくれました。

 「武田」という墓が二つあり、紋も「武田菱」でしたが、どちらの墓かわかりまへん。

 後で調べたのですが、武田惣角の墓はここには無く、青森県で客死して墓は北海道・網走に有るそうです。

 御池観音堂で参拝が終わった後、越後屋の所へ行くと

 
「あんたがお堂で尺八吹いてた時に、石屋の頭領が若いアンチャンに「タケダソウカク・・・ってだれじゃ?」と聞き、アンチャンが「生涯で一度も負けた事が無い人だ」と答えていたけど、ほんと?」と聞きます。

 ほほおぉぉ・・アンチャンも知ってるでねぇか。(^O^)御池観音

 御池観音さんの縁起が書いた看板に、同じ合気柔術の大東流関係の何かが書いて有ると聞いてたので見に行きました。

 看板の柱に「寄進 大東流合気武道会津坂下支部」と書いて有り、看板の裏にはその一同の名前が書いてあるのが、それらしい。

 さすが出生地だから、大東流の支部も近くに有るんですねぇ。

 「武田」という名前が見えるので、たぶん子孫か縁者なのでしょう。御池観音堂 彫刻

 参拝後、「御池」集落を一周すれば、武田惣角の屋敷跡ぐらいは看板が出てるかもしれないと思って、フラフラと自転車で走り探したのですが見当たりまへん。


 今までと同じような集落で、タンボに囲まれた何の変哲も無い集落です。

 集落には武道の「武」の字、「合気」の「合」の字も有りまへん。


 ところで、会津の各集落には、たいていその集落の家屋の地図と名前が書いた看板が掛かってます。御池観音堂

 外から来た部外者にとっては、たいへんアリガタイが、この御時世、個人情報漏れになるのでは・・と心配する。

 ここでも地図看板が有ったので見ると、近くに惣角さんの縁者らしい人の名前が出ていますが、惣角さんの出生地とは書いてありまへん。

 看板の前でうろうろしてると、ちょうどすぐ前の家からオバハンが出てきて「御池観音堂へ行く道か?」と聞いてくれたので「武田惣角さんの生まれた家はどこですか?」と聞きました。

 さすがここら辺では有名な人らしく
「あそこの方だ」とすぐに指差してくれたので、その方向の納屋みたい物をデジカメで写真をとると「あぁたぁ、それとは違うがねぇ」と言い、どうもその納屋ではなく、今は、もう生家は無いらしい。「御池」集落内

 それなりの有名人物だから、出生地跡の看板でも出てると、ええんだがなぁ。

 たぶんσ(*_*)のような物好きな人間も、たまには訪ねて来るだろうし・・・

伏木錬成館・柔教室

 以下は、σ(*_*)の合気柔術関係の話なので、興味の無い人は読み飛ばしてください。

 今から20年前頃、富山県高岡市伏木に転勤となり、そこに「伏木錬成館 柔教室」が有り、話は違うけれど「月刊 秘伝」にも掲載されてたんですねぇ、知らなかった

 「柔教室」と言うから、柔道かと思ってたんですが、聞いてみると柔道とは違い、更に内容を良く聞いてみると合気道とも思えるのですが、それでも無いと言います。

 最初は子供だけ習わせるつもりで連れて行ったのですが、師範からうまい事を言われて、子供どころかσ(*_*)までもその教室に引っ張り込まれ、それから5年間、転勤により伏木を去るまで通いました。
 ちょっと、サボッタ時も有りましたが・・・

 「臂力(ひりき)の養成」と言うのが有り、言葉で書くと難しいですが基礎だと思ってください。

 「型」が幾つか有り、今はもう忘れましたが一番最初に習う「合掌」という型の名前だけは覚えており、聞いた話によると「水車」というのも有ったらしい。

 型は「空手の型」のように「ビシッ・バシッ・・」と力強く決めるのでは無く、「流れるように・力み無く」やり、太極拳(ほどのユックリさでは無いが)のような動きで、特に「力を抜く」という点が、空手の型との大きな違いです。

 合気柔術の本やネットなどを見ると、「臂力の養成」を、やってる所と、やってない所が有ります。

 しかし、合気柔術系で「型」をやってる所は、どこを探しても有りませんでした。

 σ(*_*)が習った伏木錬成館だけが教えている独特の物だったのか?発生はどのような事だったのか?今も疑問です。

 マジメに練習して茶帯を貰ってからのある日、師範が
「草さん、あんたは信用できるような人なので、あんたにだけ、こっそり見せてあげるけど、これに書いてある内容の事は絶対に他へ漏らしたらアカンよ。」と言って、古びたガリ版刷りの薄い本を貸してくれました。

 見ると「八光流・・・」と題名が書いてあり、内容は各技のコツというか要点というか・・いわゆる一般で言われる秘伝書・極意書のタグイで、練習の時には書いてあるような事を言われたり、技を掛けられて「イテテテ・・・」と痛い目に遭いながら、身をもって体験させられる痛さのような事が記載されています。

 読めば「うんうん・・」とわかるのですが、合気柔術を全く知らない人が読んでも、何の事なのか、どのような効果が有るかは、わからんでしょうなぁ。御池観音堂

 やっぱり、こればっかりは痛い目に遭って、実体験しないと・・・。

 「伏木錬成館 柔教室」は「倫心流」を名乗っていますが、いつ、だれが教え始めたのかわかりませんが八光流の流れだったのです。

 武田惣角の弟子は何人か居ますが、その内の一人が八光流創始者で、その特徴は通信教育で「そのコツ」を教えたらしい。

 「そのコツ」が、見せてもらったガリ版刷りの薄い本だと思う・・たぶん・・。

 昨年、10数年振りに「伏木錬成館 柔教室」へ行き、練習はせずに顔を見せるだけのつもりでしたが、少し練習に付き合わされました。

雅勲

 そいでもって、見事に技が掛かりまへんでした。(^O^)ワッハッハッハッハッ・・・マイッタナァ・・

 平和な日々を過ごしすぎて、技を使う事も無かったので、技の形だけは覚えているのですが、「気」では無く「力(ちから)」で技を掛けちまうんですねぇ。

 特に「雅勳(がくん)」は、頭ではコツがわかっているのですが、情けねぇ事に完全に「力」でやっちまって、全然技が掛かりまへん・・・(^O^)ダハハハハ・・・・ヨワッタナァ・・

 練習相手から当時良く教えられた通りのアドバイスを受け、「そお言えば、そうだったなぁ・・」と思いながら技を掛けると、やっと「雅勲」技が掛かった。

 10数年のブランクは大きいですねぇ。

 それでも「極め(押さえ)技」だけは忘れていなく、しっかりと技が掛かりました。

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