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 善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記 尺八を携え巡った信濃33観音霊場記  遍照の響き
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1.善光寺西街道を歩く

地図(中原〜聖湖)

 開眼寺の前から善光寺西街道が続いており、古道だから細い山道かと思ったが舗装された車道になってます。善光寺西街道を歩く・「中原」付近、信濃33観音霊場記

 少し歩いた所に「善光寺西街道」の案内板が有り、わりと詳細に記載されており、この先にも要所に設置されているので地図無しでも歩けると思う。

 ネットで下調べした時には、なかなか「善光寺西街道」の地図というかマップが無く、どんな道なのか予想がつきませんでした。

 今後「善光寺西街道」を歩こうかと思う人も居ると思い、そんな不安を持ってる人達のために、中原〜聖湖の案内看板の写真を載せておきましたので参考にしてください。

 善光寺西街道を歩く・地図、信濃33観音霊場記

街道筋

 少し行くと「中原無人墓地」の看板が有り、善光寺参りの途中で亡くなった人の墓が有るらしい。

 看板の近くかと思ったが見当たらず、少し離れた所の墓地にでも有るのだろおが、わざわざ確認しに見に行くほどオモロイ物でも無さそうなので行かなかった。


 これまた少し行くと「廻国供養塔」が道端有り、「くつ打ち場」が有ります。

 短い区間に、けっこう伝説というか云われの物が有るんですねぇ。

 中原無人墓地 廻国供養塔 くつ打ち場

のぞき

 ヒマそうに案内看板を読みながら歩き進むと、「のぞき」という分かれ道に来て、左の林道は「姨捨」方面へ行くらしい。のぞき

 で・・「のぞき」という、何となくイカガワシそうな名前は、今は森林の木が生えて見えないが川中島方面が望めたらしい。

 昔、抜け目の無い人が居て、ここに双眼鏡を置き、ゼニを取って善光寺の本堂を覗かせたらしい。

 カシコイでんなぁ、高い値段に設定しなかったら、そりゃあぁ〜もう商売繁盛したでしょうねぇ。

 その近くから山道に入り、入口付近には古道の常識である地蔵さんも立っており、車道に出てショートカットしたよおです。
    善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記        善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記

火打ち石の一里塚

 車道を少し行くと、何となく旧道らしい道が有りますが案内看板は有りまへん。善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記
 入口に木の柵のような物が置いて有るが、ロープを掛けて「通せんぼ」しているわけでは無いよおなので、何となくショートカット出来そうな道だったので行ってみました。

 道は少々荒れており、やがて杉林に入ったと思ったら小高い土盛が有り、それが「火打ち石の一里塚」でした。

 案内看板を読むと、善光寺西街道のこの付近では、この一里塚しか残ってないらしい。

 すぐ近くに車道が有り、「一里塚」の標識は有ったが「旧道」とは書いてない善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記

 うむううぅ〜・・・せっかくだから書いておけば良いのになぁ。

 単に「一里塚」の標識だけだと、車道から「ふうう〜ぅん・・」と眺めるだけで、その先に道が続いてると思わずに車道を歩いてしまうでしょう。

 道が荒れてると言っても、遭難して泣いちまうほどの迷うような道ではなく、せっかくの旧道なのに惜しいと思う。
 
善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記 火打ち石の一里塚 善光寺西街道を歩く・「一里塚」付近、信濃33観音霊場記

茶屋跡

 「松崎茶屋跡」が有って石垣が残っており、少し行くと「火打ち石茶屋跡」が車道脇に有ります。松崎茶屋跡

 こんな近距離に茶屋が立並んでいたら、共倒れしないかなぁ。

 「火打ち石茶屋跡」には「お休み処」になっており、ベンチも有ったので一休み。

 この「お休み処」の側に大きな岩が有り、庭石にしても良さそうな形をしてます。

 案内看板を読むと「火打ち石茶屋」は「名月屋寅藏茶屋」と言われてたらしく、座敷の床に大岩を取り込んで壁代わりにしたそうな。火打ち石茶屋跡

 ふうむうぅ〜・・想像してみれば、なかなか風流な作りの座敷のような気がする。

 この茶屋跡へは車道を通って来ましたが、茶屋跡前には山道らしいのが続いており、その道幅から想像すると、なんとなく今は使われなくなった旧道のような気がする。
 違ってたら、すまん。

馬塚猿飛池

 車道をテクテク歩き、「猿飛池」を過ぎた付近に「馬塚」有ります。

 こき使われたカワイソーな馬の供養塔かと思って案内看板を読むと、「村境」の塚で江戸時代に村の境界を巡って近隣の村で争ったらしい。

 読む限りでは、聖湖の水が欲しい麻積村側が、峠越えをして「馬塚」を一夜にして作り「村境」にしちまったそうな。

 そりゃあぁ〜、オラトコだと思ってる地に、何の相談も無く勝手に「村境」を作られた八幡村は怒りますがなぁ。馬塚

 今の国際状況で例えるならば、アラブの土地にイスラエルが
「聖書にはワシらの土地だと書いてあるんじゃ、モンクあっかあぁ〜」と言って勝手に国を作ったのと同じ感じですかねぇ。

 すったもんだして、幕府のお手をわずらわせて、古文書やら何やら出しての結果は麻積村が勝っちゃったけれど、明治28年に、やっと「村境」が峠に戻ったそうな。

 「馬塚」付近から再び山道に入り「念仏石」が、ゴロンと道端に転がっています。念仏石

村境

 もうすぐ聖湖という付近で初めて、登山客の団体と行き会いました。

 狭い道なので道を譲ってやり、先頭のオバハンに
「何かのサークルですか?」と聞くと「34人の団体でえぇ〜すぅ。」

 「はらあぁ〜・・34人の美少女の団体ですか」
と言ったら、「キャハハハハ〜・・」と笑って喜んでくれました。善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記

 聖湖へ行く車道を歩いてると道端に看板が有り「村境碑」の案内地図が立っています。

 ただ「村境碑」より先は途切れて道が無いらしく、聖湖へ戻らなければアカンらしいが、それほどの距離でもないので行ってみました。

 確かに道が終わってる付近に墓石のような物に「村境」、手前のチッコイ石には「従是北更級郡八幡村」と彫ってあります。

 これが先程、すったもんだした土地争いの「馬塚」の結果らしい。

 善光寺西街道を歩く・「聖湖」付近、信濃33観音霊場記 善光寺西街道を歩く、信濃33観音霊場記  村境の碑

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