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「6 江住〜見老津〜長井坂〜和深川王子神社〜タオの峠〜大串峠〜周参見」地図

       2011.4.14旅行    2012.3.21掲載

長井坂と「ランチェスターの法則」

見老津駅

 「見老津駅」で一休み。

 ここの待合室には、だれが作ってくれたのか座布団が置いてあります。

     見老津駅     見老津駅 待合室

長井坂登り口

 国道を少し歩き、すぐの踏切を越えて長井坂登り口に到着。

 入口には長井坂の説明看板とスタンプ台が有り、記念にスタンプをペタンコ。

 スタンプについては、ネットで事前調査した時にわかったので、ここから先に全部で6カ所設置されており、スタンプ帳台紙をダウンロード出来たので印刷しておりました。

 中辺路のスタンプと違って最近作成されたらしく、スタンプ印は鮮明に出ました。

  長井坂 登り口     長井坂 スタンプ

長井坂

長井坂、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文長井坂・展望、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文長井坂

 先ずは長井坂登り口からの急坂を、ヒーコラ言いながら上がると途中に水道施設?らしいコンクリ建物があります。

 その付近には木が無く、先程休んだ見老津駅付近が見渡せましたが、もおチット欲張ってコンクリ建物の屋上に上がって写真を撮りました。

 再び山道を上がり、たまに石畳らしき物?も残ってました。

 アンテナ鉄塔の所より舗装道路に出て、すぐにまた山道に入ります。

 長井坂・鉄塔付近、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文 長井坂、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文 長井坂

 ゆるやかな上がり坂の山道となり、たまに展望が開けて遠くに先程通ったアンテナ鉄塔が見えます。長井坂
 おぉぉぉ・・けっこう遠くまで来ましたなぁ。

 尾根のような所には「版築(段築)」の説明看板があり、土を盛ったり削ったりして平らにしたらしい。

 昔の人が、ここまで土木作業をしに来るのもタイヘンだったと思う。

 晴天だったので、歩いてる途中から海が見える展望は、もんのすごく良かった。

 実はこの長井坂は、単純に歩く程度でしたので、越後屋との会話も少なく・・・長井坂よりの展望

 美女と出会って思わず泣きたくなるような、悲しくも美しいロマンス物語を作成・捏造する事ができず、ここのページは書く事がほとんど有りまへん・・すみません。

 で・・・ここで終わっちゃって、写真だけをズラズラと並べて置いておくのも、何となくサミシイので、長井坂の登り口に書いてあった案内看板を、適当にアレンジして掲載しておきます。

「長井坂」案内看板より

 別名「長柄坂」とも呼ばれており、4.5kmの坂。

 そお言えば、2時間ほどで向こう側の麓に着きました。長井坂

 
道筋に生えてる木は馬目樫で、冬季に葉が無くなった様子は枯れ木のよおになり、そのためこの付近の海を「枯木灘」と言うそうな。

 ほほおぉぉ・・・勉強なりますなぁ。

 
古道として保存状態が良かったのは、
 昭和40年まで道に沿って電柱が立っており下草が刈られていた。
 この地帯一帯が見老津地区の区有林だったので植林されず雑木林であったため。


 言われてみると、この長井坂は伊勢路のように杉木林の連続ではなかった。長井坂

 杉林の連続だと、言っちゃあぁ悪いが、ちっとも面白くなかったもんね。

 ちなみに、この長井坂は「世界遺産」に登録されてます。

 
この長井坂の登り口付近で、享禄3年に新宮の軍250人が「周参見」侵入を計り、周参見軍は500人にて山上より弓矢を射たりして打ち破ったらしい。

 おぉぉぉ・・250対500という倍の人数といい、山上からの地の利を有する攻撃といい、周参見軍は勝つべき条件がそろってますなぁ。

ランチェスターの法則

 ちなみに、地の利を考えずに火力が同じとして合戦をした場合、周参見軍500人は計算上では果たして何人生き残れたかわかりまっか?

第一法則版築・段築

 単純に計算すると、
 
周参見軍500人新宮軍250人周参見軍250人が生き残る・・と思いますわなぁ。

 これが「ランチェスターの第一法則」と言われてるものです。

第二法則

 ところが同じく「第二法則」というのが有り、これまた軍事兵学上では「2乗の法則」とも言われる優れモンなのです。

 その第二法則に従うと・・
 まずは各軍の人数をそれぞれ2乗して差し引き計算します。

 
500の2乗250の2乗25000062500=187500
 この187500をルートで直すと・・・約433

生き残った数

 つまり、「ランチェスターの法則」第二法則の計算によれば、周参見軍500人のうち433人が生き残こり、家に帰って一族郎党と共にキレイドコロを呼んでのドンチャン騒ぎの大祝勝宴会。長井坂

 戦死した67人には気の毒だが、運が無かったものと思ってもらうよりしかたがない。

 でもって、新宮軍250人は、哀れにも討ち死・捕虜となり、なんとかコソコソ逃げても落ち武者狩り等で全滅。

 どおじゃ・・単純に引き算した「第一法則」の生き残り250人よりも、「第二法則」の433人の方が、ずう〜っと生き残り数が多いでしょうが。

 但し、計算上での話しですけれどね。(^O^)

 えっとおぉぉ〜・・計算方法は、わかりましたか?

 この「ランチェスターの法則」は第一次世界大戦において、戦闘機空中戦の損傷率から導き出された法則だそうで、今では経営戦略にも利用されてるらしく、その気の有る人は勉強してみてください。(^O^)

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