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所在地 岐阜県郡上市明宝気良
撮影日 2017/10/14
旧明方小学校・明宝歴史民俗資料館へ行った時に、ちょうどグランドに同年配のトッツアンが居たので聞いてみると管理人でした。
正直言うと「民族資料館」なんて、どこかそこらの民家のガラクタを寄せ集めた程度だろおと思っており、あんまり展示物には興味が有りませんでした。
それでも校舎の廊下とか階段を撮影したかったので、入館料210円を払って入りました。
「全部の展示物をゆっくり見ると2時間ほどかかるよ。」
えっ・・そんなに時間がかかるの・・、どうせ大した事ないだろうから、サッサッと見て撮影して次の所へ行かなくちゃあ。
「付いて説明しましょうか・・あっ、そおですか。
何か見たい物が有りましたら言ってください。展示物を出しますから。」
説明を受けると時間が長くかかりそおなので、自分勝手に見ると言い、たぶん無いだろなぁ・・と思いながら「それでは、尺八が有ったら見せてください。」
「ん・・・おぉぉ・・確か二階に有ったような気がするなぁ、鍵を開けておくよ。」
へえぇぇ・・有ったのか尺八を見るのが楽しみだなぁ・・も一つこれは無いだろなぁと思いながら
「もし刀も有るならば、それも見せてください。」
「うん二階に有るから・・鍵開けとくから来てね。」
一階の展示物は、教室にゴッテリと整理されて置いてあります。
古びた茶碗等をフウゥ~ン・・と思いながら見ていると、戻って来たトッツアンが
「これ・・荷札に赤い印が付いてるだろ。これ国の重要指定文化財なんだよ。
赤色は人生儀礼用具と言って、生活必需品。
青色は、山村生産用具と言って、農作業なんぞに使われていた物だ。」
えっ・・重要指定文化財が、こんなに有るの・・ほとんどそこらに有る物に赤い印が付いてます。
そいでもって手に取って見たければ出すとまで言い
「そんな貴重な物を触らせてもらえるんですか、他の所では絶対に触らせてくれませんよ。」
「うん、ええんじゃ。手に取ってみないと良さがわからんだろうからね。」
他と違って、ずいぶん太っ腹な資料館ですなぁ。(´∀`)
階段の所に藁細工で作った宝船が飾ってあり、正面玄関にもよく似た物が飾ってあったので
「こおいうのは、この地方で作る風習なのですか」
「うん、婚礼が有った時、村の若い衆が作って嫁さんが来た家の軒先に吊るし、腐って落ちるまでそのままにしておくんじゃ、最後まで添い遂げるという意味でな。」
良く見ると帆柱の後ろに棒状の作り物が有り、何の宝だろ・・と思って良く見たら男のナニを形取ってました。
「あれは男のナニですよねぇ。するってぇと女のナニもどこかに有るんですか、男のナニは笠が被ってるけど・・」
「(笑いながら)いや男だけじゃ、女の見学者が見ると恥ずかしいだろうから傘を被せてる。」
「あらあぁ・・・ぜひ女のナニの方も見たかったなぁ。」とお互いに笑いながら言いました。
村役場の看板が三つ有り、それぞれ漢字が違っており、ぜひ聞いてくれとばかりに・・
「今は「明宝村」だが、その前は「明方村」で、その前は(すんまへん、忘れちゃった)だった。
ホンマは「明方」の方が良かったのに、「明宝ハム」工場が出来て「明宝」の方が有名になり、平成の名称変更の時に変えられちまった。」と残念そうに言います。
二階に上がり、ガラス戸に入ってる刀を拝見しました。
刀架けに短い刀が数本架けてあり、一本だけ赤錆びた長いのもあります。
ううむうぅぅ・・手入れがしてないなぁ、これだけ錆びてると研ぎ直さないとアカンだろなぁ。
短い刀の拵えの中で、一本だけ高価そうな拵えの物が有り、手に取ってみました。
「この拵えは、かなり立派な物ですが、さぞや名家に伝わった物でしょぅねぇ」
「えっとおぉ・・どれどれ(荷札を見ながら)・・あぁ・これは何とかさんの所から来た物で、確かに良い家柄だよ。」
荷札には寄贈された住所と氏名が書いてあるよおです。
鞘から刀を抜いてみると、やっぱり錆が出ており、ううむうぅぅ・・これ位ならばまだガマンして油で拭くとかの手入れをすれば、まだ間に合うかもしれん。
電灯の明かりに刀をかざして刃紋を見ようとしましたが、刀の地肌が曇っていて見えず・・惜しいなぁ。
一緒に展示されている、鍔の細工も良い物が有りました。
「ここに有る展示品を「何でも鑑定団」に出せば、けっこういい値段が出るんじゃないですか。」
「以前に古道具屋の親子が来たが、あの人達は一品づつ値段を言い合って見て行ったよ。」
そおだろなぁ、総額いくら位になったんだろう。
尺八の所へ行くと、ガラス戸の中に無雑作に尺八が重ねて置いて有り、一本だけ長いのが有りました。
長い尺八を手に取ると、唄口も手孔も小刀で削ったようで素人の作品のよおです。
吹いて良いかと了解を得て、吹いてみましたが、やっぱり音は出ませんでした。
中継の有る尺八が二本束になって縛ってあり、手に取ると中継が緩んでグラグラし、唄口を見ると二本共欠けています。
試しに吹いてみましたが、やっぱり音が出ません・・というか中継が緩過ぎたり壊れたりしており、そのままでは落ちてしまいます。
もう一本の尺八は中継が無く、やっぱり唄口が欠けていました。
こんな唄口が欠けている状態で音が出るかなぁ・・と思いながら吹いてみると軽い音が出たので「ロツレチ」の音階を出してみると、トッツアンも「ありゃあぁ・・音が出るんだ。」。
よっしゃあぁ・・これだけの音が出るならば曲が吹けるかもしれんと思い「手向」を吹いてみました。
そしたらトッツアン、すっかり喜んじゃって持っていたスマホで吹いてる様子を動画で撮り始め、終わると「初めて尺八を聞いた」と感激してくれます・・いえ、オソマツさまでした。
尺八の持ち主を聞いてみると「山の麓に住んでた人だが、あの人が尺八をやっていたとは思わなかった。」
尺八を戻して、何気なく側に置いてある紙包を見ると「奥伝」と書いてあるのが目に入り、紙包を開けると「上田流尺八」免状でした。
へえぇぇ・・・失礼ながらこんな山奥で上田流尺八をやっていた人が居たんだぁ。
拝見すると、昭和18年に中島高憧という人から習って免状をもらったらしい。
聞いてみると、免状の持ち主は山奥の一軒家に住んでいて、先程吹いた尺八の持ち主とは違う人らしいが、狭い地域なので「奥伝」の免状を持ってる人から、習っていた可能性があります。
「初伝」「中伝」の免状もそろっており、上田流尺八の人から見れば、ぜひ拝見したい貴重な物だと思う。
「明宝歴史民俗資料館」は思った以上に展示品が、キレイに整理されており、また数量も多く、トッツアンが「ゆっくり見れば二時間かかる」と言うのは間違ってないと思う。
トッツアンとは、なぜか話がもんのすごく合って親しくなり、もお一度来てゆっくりと見学したい資料館でした。
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