HOME > 全国の木造校舎 > 岩手県「目次」 > 岩手-03 門小学校・三田貝分校/田老
所 在 地 岩手県下閉伊郡岩泉町門(門小学校・三田貝分校)
撮影年月日 2018/9/6
岩手県の門小学校・三田貝分校は「道の駅」となっており、その名もズバリ「道の駅 三田貝分校」になっています。
駐車場の隅には、たぶん三田貝分校の物と思われる日時計が有りましたが、盗まれなければ良いが・・
「道の駅」は、いかにも木造校舎らしい造りになっていますが、やはり新しく感じたので外壁だけ新しくしたのかなぁ・・と思って「道の駅」のオバハンに聞いてみました。
それによると、実際の校舎は現在地より少し高台に有ったのを、土地を削って低くして現在地に「道の駅」を作り、校舎をそのまま転用したのではないよおです。
体育館だけは、昔からの位置にそのまま有り渡り廊下で校舎と繋がっていた。
「道の駅」に当時の写真が飾ってあり、なるほどこんな風に建っていたのか・・「道の駅」も校舎の形を模していると納得しました。
食堂には数限定の「給食メニュー」が有ったので、話の種に注文し、食べていると客が「こんな机と椅子だった」と懐かしんでいる声が聞こえます。
「三田貝分校」の名前と地の利を生かすため、生徒作品や校舎写真が飾ってあったので、「道の駅」としては成功している部類だと思う。
これが生徒作品や写真等が飾ってなかったら、「三田貝分校」の名前だけではキツかったと思い、欲を言えばもお少し分校に関する展示物が多い方が良いのだがなぁ。
廃墟マニアには、有名所らしい「田老第二小学校」へ行きました・・と言うか、行けませんでした。
今時は山中に有る分校でも道路は舗装されてるのですが、この「田老第二小学校」へは、麓付近から舗装道路ではなく砂利道です。
車がキズ付くような藪道になったら、ヤダなぁ・・と思いながら進むと、鉱山社宅の廃墟のようなのが樹木の間に見えたりします。
そのうち草がキレイに刈って整備されている、ゴルフ場のような施設へ来ました。
大学施設として利用されているとネットに出ていたが、やっぱり管理されているのだなぁ。
クルッと付近を見渡すと、山上付近に建物が見え、あれが学校かなと思って急坂を上って終点へ行くと車が止まっていて、オッチャンが二人います。
挨拶して、この建物は「田老第二小学校」かと聞くと、鉱山関係の施設だと言います。
話を聞いてみると、「田老第二小学校」は、もう道が藪になっていて行けないと言い、以前に廃墟趣味の者がネットに動画を載せたため、えらい迷惑が掛かったとこぼします。
オッチャン達は大学の施設管理のために雇われてるそうで、オッチャンの了解を得て施設や付近の写真を撮らせてもらいましたが、ネットには載せない約束をしたので写真は掲載しませんが、写真撮影や公表等に関しては、かなり神経質になっているよおです。
まぁ・・自分も廃校・木造校舎を主として掲載していますが、廃墟趣味の人達と同様、知らずに持ち主に迷惑をかけているのかもしれません・・持ち主・関係者の方々、すみません。
オッチャンは「「道の駅」が有る海岸付近には死体が一杯浮いていた」と教えてくれました。
オッチャン達と別れて麓にある「道の駅 たろう」へ寄り、3.11東北地方の津波被害は知っていましたが、正直言って「田老」地区の被害状況は良く知りませんでした。
情報コーナーに、「たろう観光ホテル」という単語が盛んに出ていたので、係のネーチャンに聞いてみると、「津波に耐えて残ったホテルで、防波堤の上から見える」と教えてくれましたが、外に出てもコンクリ壁が見えるだけで、防波堤がどこに有るのかわかりません。
ネーチャンに防波堤はどこかと聞くと、目の前の高いコンクリ壁を指さして「階段が有るので上へ行ける」と教えてくれました。
後でわかったのですが、そのコンクリ壁の防波堤を乗り越えて津波が襲って来たのでした。
なんせ見た時は、まだ新しそうな防波堤だったので、最近の復旧工事で作った防波堤かと思ったのです。
そうとわかっていれば写真を撮っておいたのにぃ・・惜しい事をした。
防波堤の上へ行くと、遠くに「たろう観光ホテル」が見え、建物下部の1/4程が鉄骨だけ残っており、その部分が津波の高さと被害の強さを表していました。
グルッと見渡すと、「道の駅」付近も含めて新しい住宅が立ち並び始めていますが、住宅が建っているほとんどの地域が津波被害に遭ったのですねぇ。
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