HOME > 全国の木造校舎 > 宮城県「目次」 > 5-大川小学校
所 在 地 宮城県石巻市釜谷
撮影年月日 2022/7/5
朝早く、震災遺構として残っている「大川小学校」に着き、専用駐車場が道を隔てて「大川小学校」が塀に囲まれて建っており、周囲には建物が無くポツンと校舎跡が建っているだけです。
周囲は柵に囲まれており校舎内には入れませんが、柵外からでも鉄筋コンクリートの教室内に入った津波が渦巻き、柱の鉄筋はむき出しになって折れ曲がり、津波のその凄まじさ破壊力が想像されます。
数か所に設置されている説明板を読みながら校舎を眺めると、災害当時が想像され不覚にも涙が滲みます。
テレビ映像や災害写真・説明を見るだけでは、わからなかった実感が有り、実際に災害遺構を見るのとでは全く違います。
最初に来た時は、何も無い空地の場所に学校が建っていたのだと思ったのですが、後で駐車場や周囲には震災前には住宅がビッシリ建っていた事がわかり、全て津波に流されて今ではそこに住宅が有ったのだとは想像できません。
津波は校舎の二階部分を越えた高さだったそうです。
「大川小学校」を災害遺構として残すかどうかで、議論があったと思います。
生徒を災害で失った親の立場としては、この「大川小学校」の災害遺構は、思い出したくなく、見たくもない建物だったかもしれず、自分も子を持ち育てた親の立場としては、その心情がよくわかり、それを思うと涙が滲みますが、「大川小学校」は残しておいて良かったと思う。
これを機会に「大川小学校」の避難状況をネットで調べましたが、やはり地震発生から津波到着まで「空白の50数分」の詳細が不明です。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「五木の子守唄」を載せており、 聞いて頂ければ泣いて喜びます。