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 観音寺からの展望、「津久井33観音霊場」紀行文  巡礼日 2014.11.16     掲載日 2015.6.6


津久井町の札所/津久井33観音霊場記(祥泉寺・観音寺・友林禅寺)

12番「祥泉寺」

祥泉寺入口、「津久井33観音霊場」紀行文    祥泉寺山門、「津久井33観音霊場」紀行文     祥泉寺と尺八、「津久井33観音霊場」紀行文

 やはり朝は寒い・・・7時半頃に「津久井又野公園」を出発し、津久井33観音霊場の12番札所「祥泉寺」は国道412号線脇で石柱も有り、すぐにわかった。祥泉寺・銀杏抱地蔵、「津久井33観音霊場」紀行文

 12番「祥泉寺」は大きい寺で境内をウロつくと、イチョウの木の下に銀杏が供えて有ります。

 何でそんな銀杏を供えるのだろ?と思って木を見ると、木の中に地蔵さんが奉ってあります。

 これを書いてる時に調べたら「銀杏抱地蔵」と言うらしく、何かカワイソーな云われでも有るのでしょうか。

 12番「友林禅寺」は大きいが、あんまり見るべき物が無く、本堂の戸もキッチリ閉まっており、おかげで本堂全体の写真を撮るのを忘れちまった。

9番「観音寺」

津久井の街並み展望、「津久井33観音霊場」紀行文   観音寺、「津久井33観音霊場」紀行文    観音寺山門、「津久井33観音霊場」紀行文
観音寺・石階段、「津久井33観音霊場」紀行文
 津久井町内を散歩してたジサマに9番札所「観音寺」の場所を聞くと、山の中腹付近を指差し「あそこに見える屋根の所だ。」と教えてくれ、急坂なので自転車を押しながら歩きました。

 道端に六地蔵が有るなぁ・・と思ったT字路の奥に山門が見え、やっぱり坂道なので道端に自転車を置いて9番「観音寺」まで歩きました。

 山門には「仁王さん」もガンバッテおり、その裏には籠が飾ってあり、すぐ脇には急な石階段の上に堂の屋根が見えます。

観音寺・石階段、「津久井33観音霊場」紀行文    観音寺・階段上より山門を望む、「津久井33観音霊場」紀行文     観音寺、「津久井33観音霊場」紀行文

 この石階段には手摺りが有りますが、石も古くて崩れかかっており、ジジババが上がるのは危ないじゃろなぁ。観音寺、「津久井33観音霊場」紀行文

 石階段を上がってると、二人の子供を連れた若いママさんが山門まで来ましたが、子供がモンク言ったらしく叱りながら帰って行きました。観音寺・お百度参り、「津久井33観音霊場」紀行文

 観音堂で参拝し終わった時に、先ほどのママさんが一人だけ子供を連れて石階段を上がって来ました。

 挨拶をして明日の天気を聞くと、やはり曇り時々雨らしい。

 見ていると、ママさんは地蔵さんにもマジメに手を合わせており、σ(*_*)とは全然違うなぁ。

 境内からは津久井町の街並みが見えます。(一番上の写真)

観音寺・境内、「津久井33観音霊場」紀行文    観音寺と尺八、「津久井33観音霊場」紀行文     観音寺・境内、「津久井33観音霊場」紀行文

8番「友林禅寺」

「津久井33観音霊場」紀行文    友林禅寺・入口、「津久井33観音霊場」紀行文     友林禅寺、「津久井33観音霊場」紀行文

 次の8番札所「友林禅寺」へ向かう時、先ほどのママさんを麓付近で追い抜きましたが、えらい遠くから散歩に来ているだな・・と思った。友林禅寺、「津久井33観音霊場」紀行文

 道路から「友林禅寺」を見ると手前に墓が有り、本堂は現代的コンクリート造りになってるので、最初見た時は、言っちゃあ悪いけど火葬場かと思った。

 それでも石柱に「友林禅寺」と札所名が書いてあるので札所寺とわかったが、これが無かったら、やっぱり火葬場と間違ったろおなぁ・・すんまへん。友林禅寺と尺八、「津久井33観音霊場」紀行文

 「友林禅寺」があえて寺らしいと言えば、扉の梁等に千社札が貼ってあり、天女さんの透かし彫りが飾ってあったので札所寺だとわかる。

 戸はしっかりと閉まっており、賽銭・納札を隙間から入れるのに苦労しました。

 アルミ戸は気密が良いかもしれんが、納札とか賽銭を入れずらいんですよねぇ。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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