「信濃三十三霊場」巡りを始める前日、やっと伊那市高遠町にある「高遠町歴史博物館」に着き、残り時間30分という閉館ギリギリで間に合いました。
閉館時間に間に合うように、途中でチッコしたいのを我慢してまで、高速道路をすっ飛ばして来たので・・・良かったなぁ。
何をそんなに急いどるんかと言われると、この「高遠歴史博物館」に展示されている保科氏の資料をどうしても・・と言う訳でなく、言っちゃあぁ悪いが、そんなのどうでも良い。
併設されている「絵島囲み屋敷」を、どうしても見学したく、この日に見学しなかったら、翌日からの「信濃三十三観音」巡礼の日程や順序の予定が完全に狂ってくるんです。
「絵島」さんて、ご存知ですか?・・はっ?・・行き付けの飲み屋のネーチャンの名前?・・違いますがなぁ、トッツアン。
ほれ、徳川幕府の大スキャンダルの中心人物、「大奥」という「男子禁制」の場所で、どこを見渡しても若いネーチャンと熟女だらけ・・
想像しようとしても貧弱な頭では、なかなか想像出来なく、男ならば一度は是非入ってみたいと願う、なんともウラヤマシイ場所ですがなぁ。
その大奥に勤める「絵島」と役者「生島」が密会してたのがバレちまい、江戸市中の瓦版で叩かれるわ・・
電能紙芝居のワイドショーでは、何でもわかっとるフリしとる出演者が、自分だけは清く正しい人間じゃという顔して、エラソーに解説するわ・・で、そりゃあぁ~もう江戸中は大騒ぎでした。
「絵島」は島流しになる所でしたが、上司の嘆願書と付け届けが効果をあげたのか罪一等を減じられ、一生をこの高遠町の山麓に幽閉されました。
その幽閉された所は別の場所に有ったよおですが、「高遠町歴史博物館」に復元されて「絵島囲み屋敷」と言われています。
σ(*_*)も野次馬コンジョ旺盛なので、絵島さんがどんな所に閉じこめられていたのか興味が有りましてなぁ・・すんまへん。
「絵島囲み屋敷」を見ると平屋建てのそれなりの家で、門を潜った所の玄関が開いており、上がっても良いのかと思って中を見るとアカンよおで、しかもそこは玄関かと思ったら、勝手口でした。
左側の方へ行くと、座敷やら部屋が開け放してあり、外から室内が見れるようになっており、そこに有る案内板を見ると、先程玄関かと思った所は「土間」でした。
正式の玄関は案内板の有る所で、さすがにσ(*_*)とこの玄関より間口が広いですなぁ。
さらに左の庭へ周ると、「下女詰所」に「絵島」が幽閉された時における取り扱いを記載された物が置いてありました。
それによると絵島の部屋は、庭に面してる所に「はめ殺し格子戸(外したり開いたりできない格子戸)」が設置されており、この庭先へも降りる事が出来なかったらしい。
説明書き等を読まなかったら、格子戸は単なる泥棒除けかと思っちまいます。
庭に面している縁側は全て「はめ殺し格子戸」に囲まれており、まさに「籠の鳥」状態で、塀には怪しい者とか夜這いされるのを防ぐため「忍返し」も付いてます。
「江島」が寝起きする部屋は「絵島の間」となっており、八畳の部屋と専用のトイレ・風呂は有るが、庭にも出れなく完全に座敷牢ですなぁ。
33才の女盛りの一番面白い時から、死ぬ61才まで27年間こんな所に閉じ込められていたら、今だったら鬱になっちまうかもしれん。
筆・紙も与えたらアカン・・酒・タバコ・・な・何をゼイタクな・・・
過ぎし日々、なあぁ~んにもする事が無く、ただ無為に過ごし・・
ただひたすら八畳の間で、何の希望も無く、その日その日を生き続けて行くのも辛かったと思う。
σ(*_*)が番人だったら、カワイソーなので、だれも居ない時にチビッと庭先に出して散歩させてやるんだけどなぁ。
今風に言えば、テレビもねぇ~・・パソコンもねぇ~・・スマートホンなんて何物じゃ?・・という状態です。
八畳間で一人でやれる太極拳とか、口ずさみながらハワイアン・フラダンスとかエアロビックス体操等して健康を維持しないと糖尿病になっちまいますわねぇ。
「絵島囲み屋敷」から一歩も出れなかったか・・というと、そおでもなく近くの日蓮宗の寺へだけは行けたらしい。
これは幕府が「絵島は、反省努力して仏道に邁進している」と世間にも言い訳出来る、精一杯の「お目こぼし」だったと思う。
一口に27年と言いますが、長いですねぇ、σ(*_*)は27年前、何をしていたかなぁ。
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