HOME > 遍路・巡礼 > 「秩父34観音霊場」目次 > 23 橋立堂
H18.10.1 UP
地図によると、少し27番「大渕寺」を出た所で、道に「×印」が記載されており、その付近に点線で歩く道が有る事になってます。
歩いてみると、やっぱし「通行止め」の標識がかかっており、側の線路には貨物列車がズラッ~と止まっており、どこにその点線の道が有るかわかりらず、はらあぁぁ~・・どおするべぇ・・・。
通常こおいう状態に陥った場合、越後屋が即座に「ギャアコラ・・」騒ぎ出してウロたえ騒ぐはずですが、今回は何故か落ち着きはらい、悟り切った表情で止まってる列車を見ています(写真右)。
普段と違うのでサミシイく思い、代わりに騒いでやりました。
「道が無いでぇ・・どうしょう、どうしょう・・今来た道を引き返さにゃアカン・・損した、ソンシタ・・」
「ええいぃぃぃ、落ち着け、ウロたえるな!!・・この先に道が有る(ボソリと)」。
えっ?・・ウソこけぇ・・汽車の線路を、またいで行かにゃアカンのか?
やがて汽笛とともに止まっていた列車が、ガタンと動き始め、列車が通り過ぎると・・・おぉぉ!!・・見よ!!・・・目の前に踏切が有り、道が続いてるでねぇか。
お前、いつのまに千里眼を持つようになったんだ?・・σ(*_*)より信心が足りず、100年たってもアカンと思ってたのにぃ・・・
「どおして、わかったの?」 「汽車が来る前に、遠くから踏み切りの所に案内標識が見えた。」
チエッ・・なぁんだぁ、そうだったのか・・一瞬でも千里眼を持ったのかと思って損した、老眼のクセに、目ざといヤツじゃ。
人や車が通らない幅広い道を、テクテク・・・(たぶん途中まで道を作っちまったけど、予算か何かの都合で計画がオジャンになり、そのままにしとこ・・という計画倒れのような道。それでも「ハイキング道」と看板が出ていた)
車道と交わり、「橋立鍾乳洞」への道をテクテク・・・ 途中で7~8人の小学生が、「ワァ-ワァー・・」と言いながら向こうからやって来て「こんにちわー」「どこまで行くの?」と元気の良い声を掛けて聞いて来ます。
どこまで・・と言われても、この先は秩父34観音霊場の「橋立鍾乳洞」の寺しか無いんだけど・・と思ったが、そこはそれ、せっかく声を掛けてくれたんだから
「お寺まで行くんだよ。どこへ行くの?」 「ダムまで・・」とやっぱり元気良く答えてくれ、そのヤカマシイ子供達の後ろを、少し遅れて大学出たてのような若い女先生が会釈して通り過ぎます。
課外事業で、橋立鍾乳洞から浦山ダムへ行くのでしょう、先生もたいへんでんなぁ。
秩父34観音霊場の28番札所「橋立堂」に到着し、階段下から本堂を見上げると、背面に切り立った崖がそびえ立ってます。
おおぉぉぉぉ~!!・・・と感嘆の声を上げたいほどですが、余りにも崖が高過ぎるので崖全体の写真が撮れまへん。
その頃から雨が降りはじめましたが、そのうち止むかもかもしれんという期待感を持ち、まずは評判の「橋立鍾乳洞」へ入りました。
鍾乳石に「弘法大師の後ろ姿」というのが有り、入口には「洞内写真撮影禁止」と書いてあります。
しかし不覚にも、そのお姿を拝見しているうちに感動のあまり、そんな事はコロッと忘れっちまい、ついつい無意識にデジカメに手が行き、気がついてたら撮影していました・・スミマセン。m(_
_)m
「橋立鍾乳洞」を出る時には、雨は本降りになっており、ザアザアと雨が降る中を本堂で参拝しました。
雨宿りも兼ねて「橋立堂」境内にある食事処でウドンをすすり、食べ終えた頃、雨も小止みになったので、次の札所へ向かって出発しました。
歩いてると民家の庭先のような所に「緒の高札場跡」という看板が有り、江戸時代の頃、お上からの「お触れ」等を高札に掲げて、村の衆に周知させた場所らしいです。
しかし、この近くの民家の人は、σ(*_*)みたいな物好きな人間が通る度に「何が書いて有るんじゃろ」と思って立ち止まって見ていくのだから、今となってはプライバシーが損なわれてイヤじゃろおなぁ。
浦山ダムに近づいた頃に、また小雨が降ってきました。
先程の小学生達も濡れてるんじゃないかなぁ・・雨具を用意してる様子では無かったしぃ・・若い女先生も、どうしょうかと困ってるだろなぁ。
橋を渡りながら小雨に煙る「浦山ダム」を見上げ、先程の子供達の姿がヒョッとしたら見えないかなぁ・・と思いましたが、見えまへんわなぁ。
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