HOME > 尺八関係 > 虚無僧寺「目次」 > 10 大牟田市「劫月院」と柳川市「江月院」
2015.9.29 訪問 2015.10.16 掲載
大牟田市に有る「劫月院」へ行くのに旧三池街道は県道を通りましたが、街道はもんのすごく狭い道で、車の離合にも難しいような狭さでした。
そんな三池街道筋から、おおかたこの辺だろお・・と、思って調べていた横道へ入ると有りました。
何が有ったか・・というと、民家の片隅に家賃も払わずに間借りしている、寂れた堂・・と言うか、屋根だけが有る地蔵さんの置き場所と言って良いのか・・・。
普通の人ならば、ゴミステーションと見間違うかもしれんような雰囲気の「劫月院」跡地です。
しかし壁には「大間劫月院跡の石造遺物」と題した看板が掛かっており、だいぶ錆びてましたが読めます。
堂内?には石碑や地蔵さんが並んでおり、石碑の一つに、よぉ~読めないが「・・・龍集・・秋ハ月 ・・・劫月・・敬白」と彫ってあり、一応「月」という漢字が含まれてるので「劫月院」に関係の有るのじゃろうか?。
だれか、カシコイ人・・・読んで教えてね。
と思ったが、ネットで探すと「龍集壬申秋八月彼岸日 劫月院住持裕閔敬白」と彫って有るらしく、こんな難しく欠けたような字を、よぉ~読めたなぁ。(^O^)
で・・ここの地蔵さんは、「劫月院」が柳川へ移った時に、夜中に泣くので元に戻された物らしく、「大牟田・三池のよかばんも!」の「夜泣き石」というブログに掲載されてましたので、詳しくは、そちらをご覧ください。
「江月院」をネットで下調べした時に見つけた、古地図の場所を「Google地図」に当てはめて見ました。
住宅が建っていなく、そこだけ草地になっている所だと思い、何か残ってるか?・・と思って行ってみましたが、なあぁ~も無い・・真ん中付近に、樹木が数本生えてるだけです。
古地図を見ると、どうしても位置関係といい・・敷地広さといい・・「江月院」が有った場所はこの付近でかなり広大な土地だと思うのだが・・・違うのかなぁ。(古地図の画像をコピーしたいのですが禁止されているので、「江月院」箇所を参照願います)
ネットでこの空き地が「江月院」跡地だったと主張しているサイトは見つからず、チッコイ堂を紹介しているのがほとんどでした。
ネットには「江月院」跡地に、「石碑が有る」と書いてありましたが見当たらん。
他を探そうとグルッとそこらを一回りすると、「沖橋」川沿いの住宅隅にチッコイ堂が有り、松の陰に石碑がありました。
ワッハハハハッ・・こいつめ・・こんな所に隠れおってぇ・・(^O^)
車を降りて、さっき歩いた所じゃねぇかぁ。
その時は、前記した草地が「江月院」跡地だとばっかり思っていたので、この堂には見向きもしませんでした。
しかも植えてある松の枝葉が伸び過ぎて、ちょうど石碑が隠れるようなっており見えなかったので、だれか見えるように手入れしてね。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
以下、広告です。
老後の趣味に憧れのピアノを始めてみませんか? |
<レンタルボックス>の種類・料金を見る
<レンタルボックス>を自宅周辺で探す |
中学英語を使える英語に! |