HOME > 「全国の木造校舎・廃校」 > 新潟県「目次」 > 佐渡「目次」 >
     佐渡-04 「内海府小学校中学校 虫崎分校・北小浦分校」


 所在地 佐渡市北小浦     
 撮影日 2017/6/26


限界集落「虫崎分校」とダイビングスポット「北小浦分校」

内海府小学校中学校・虫崎分校

内海府小学校中学校・虫崎分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校 内海府小学校中学校・虫崎分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校 内海府小学校中学校・虫崎分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校

 内海府小学校中学校・虫崎分校は、狭い道のどえれえ急坂を上がり、車が来たらすれ違いできんなぁ・・と思った所にありました。

 木造校舎の敷地に墓が立っており、たぶんその付近は元は校舎が有ったように思われます。
    内海府小学校中学校・虫崎分校・正門階段より、新潟県佐渡の木造校舎・廃校      内海府小学校中学校・虫崎分校・正門より、新潟県佐渡の木造校舎・廃校
 敷地をウロついてみると、海側に校門が有り階段が付いていたので正規の入口は、通って来た急坂の途中から上がるよおです。

 残されている木造校内海府小学校中学校・虫崎分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校舎は体育館部分だけのよおですが、その入口は体育館専用のよおです。

 体育館の中に入ってみると、錆びた折り畳み椅子があり「内海府漁協寄贈 昭41.11 虫崎分校」と書いてあり、今となってはここに学校が有ったという貴重な遺物でしょう。

 実は虫崎分校を訪れる数週間前に地元新聞に、虫崎分校の事が紹介されジサマ・バサマ達数人が校舎前に立っている写真が載ってました。内海府小学校中学校・虫崎分校・寄贈された椅子、新潟県佐渡の木造校舎・廃校

 近々訪問するのだから・・と思って読むと、地元復興のために何かのイベントを計画したらしいが、ふぅ~ん・・と思いながら読んだので詳しい内容はトシのため忘れちゃった。

 これを書いてる時にネットで調べてみると、新潟日報の記事と「佐渡の暮らし山と花と幸」にその経緯が載っていました。

 要約すると「虫崎」集落は、17人の住民のうち高齢者が14人で、いつか無くなるとわかっていても「おい、待て!人の限界を何を勝手に決めてるんじゃ」と、限界集落の底力をみせるため「100人盆踊り」を計画したよおです。

 「虫崎」が無くなる運命であっても、「この盆踊りが人の想い出として残るものにしたい」という主催者の願いに拍手を送りたい。

「佐渡の学校」より抜粋

 子供は学年一人か二人しかいなく、先生は男女一人づつで教え、小中一緒の校舎でした。
 グラウンドが大変狭くボールがよく崖の下に落ちてしまい困りました。

内海府小学校中学校・虫崎分校・体育館内部、新潟県佐渡の木造校舎・廃校 内海府小学校中学校・虫崎分校・体育館内部、新潟県佐渡の木造校舎・廃校 内海府小学校中学校・虫崎分校・体育館内部、新潟県佐渡の木造校舎・廃校

内海府小学校中学校・北小浦分校

内海府小学校中学校・北小浦分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校 内海府小学校中学校・北小浦分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校 内海府小学校中学校・北小浦分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校
 「北小浦分校」は「鷲崎」へ向かう県道沿いにあり、昔ながらの木造校舎の姿で建っています。

 現在は「北小浦海洋センター」「ダイビングセンター」となっており、ダイビングする人には有名な所らしい。

 近くの岩場で、昔は「弁慶」と名付けられた「コブダイ」がダイバーから餌をもらってましたが死んでしまい、、現在の「コブダイ」は二代目で「ヤマト」と名付けられているそうです。
    内海府小学校中学校・北小浦分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校       内海府小学校中学校・北小浦分校、新潟県佐渡の木造校舎・廃校
 


 浦川小学校、新潟県・佐渡の木造校舎・廃校←前頁「浦川小」へ   次頁「旧内海府小」へ→旧内海府小学校、新潟県・佐渡の木造校舎・廃校


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「五木の子守唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


以下、広告です。


 どんどん絵を描くことが好きになる!!
 楽しく学んで、どんどん上達
上西先生の水彩画教室⇒詳細はこちら