H21.7.3 巡礼 H22.9.19 UP
腹減ったなあ・・どっかに食堂がないかなぁ・・・と思いながらテクテク歩きましたが、バス停のような休む所もありません。
「山沢」集落へ来た時に、やっとバス停を見つけて喜んで入ってみると、三方が壁で塞がって風通しが悪く暑そうなので諦めて再び歩き始めました。
と・・3歩ほど歩いた時、道端に案内立札が有り、何じゃろ?と思って、野次馬コンジョ出して読みに行きました。
「宝寿庵阿弥陀如来像 与板町指定文化財」と書いてあり、その内容を読むと平安・鎌倉時代の作らしいですが、肝心の庵が見あたりません。
近くに民家と小屋があるけれど、まさかねぇ・・山に向かって細い道が有りますが鳥居が立っており、地図を見ると神社のようです。
せっかくだから、如来様の御尊顔を拝したかったんだけれどなあ・・諦めて疲れた足を再び引きずるようにして2歩ほど歩き出して、ふと道路の反対側を見ると、立札の対面に位置するようにお堂が有りました。
なあぁんだ・・・ここに有ったのか、それならこのお堂の前に看板を立てておけば良いのにぃ、わざわざ道を隔てるなんて意地悪せずに・・と思いながらお堂へ行きました。
なんせ疲れているもんだから、お堂の周りを良く確かめもせず、サッサッと勝手にお堂の扉を開けて中に入ると暑そうです。
あららぁ・・と思って、やれやれと外へ出て入口に腰掛け、落ち着いてから改めて周囲を見渡し、奉ってある御本尊さんの御姿を拝しましたが、如来さんではなく、地蔵さんなんですよねぇ・・これが・・はらっ?、如来様は、どちらへお出かけ?。
ここで初めてお堂の外周囲を見ると、額にはデッカク「地蔵尊堂」と書いてありましたが、それはあくまで別名であり、ここが「宝寿庵」だとガンコに堅く信じていたんです。
お堂の側に新しい石碑が有り、そこに「明元寺御旧跡地」と彫ってあり、ん?・・どうしてもこうしても、逆さになって探しても「宝寿庵」という字も形跡も見当たらず、おまけに「明元寺」なんていう寺なんか知らんでえ。
後で調べると「明元寺」は与板に有り浄土真宗の別院らしく、その旧跡地がここだったらしい。
まぁいいや・・・よぉ~わからんまま腹が減っていたので、お堂の入口に座って、非常食用に持ってきた餅を食べました。
それでも「与板町指定文化財」というお墨付きの立札まで有り、それなりに有名なのだろうから、「宝寿庵」というのを、どうしても見たいという気持ちが有ります。
どっかそこらに無いかなぁ・・有るとしたら先程見えた鳥居付近かもしれず、山麓の神社まで行かにゃアカンのかなぁ、それだと疲れるしぃ。
近くに集落センターが有るので、その陰にでも有るかもしれんと思い行ってみましたが、お堂は無く、その代わりに、その集落センター入口付近に、も一つ地蔵堂が有り、そこには「案内地蔵尊」と額が掛かっています。
額まで掛かって名前が付いてる地蔵さんだから、さぞかしカワイソーな云われが有る地蔵さんだろお・・と思いましたが、説明書きは見あたりまへん。
こおいう珍しい名前の付いた地蔵さんの云われが書いた案内看板が有ったら、それこそウレシかったのだが・・。
家帰ってから調べると、「宝寿庵」は廃庵になったため、如来さんは集落開発センター内に安置されているそうで、あちゃあぁ・・・せっかく、すぐ近くまで行ったのにぃ・・今回は阿弥陀如来様とは縁が無かったのでしょう。
案内看板に「今は廃庵になっており・・どうのこうの・・如来様の所在は・・しのごの・・」と一言付け加えてあれば、σ(*_*)のようにウロウロ探さなくても良かったのにぃ。
それとも地蔵尊堂前に「ここは宝寿堂ではありません。せっかくお越し頂きましたが廃庵となり存在いたしません・・うんぬん・・またのお越しをお待ちいたします」という看板が有ったら親切だと思う。
しかし良い方に考えるならば、その事が書いて無かったゆえに「地蔵尊堂」を見つけて、お堂で休む事ができ、「案内地蔵」も見つけれたとも思えます。
これぞ阿弥陀如来様の偉大なる智慧と、広大なるお導きの賜ものかと・・ナモナモナモナモナモ・・・・・
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