H21.8.5 巡礼 H22.10.9 UP
「相田」集落を過ぎ「小木」集落付近に、越後33観音霊場ではありませんが、それなりに大きい「薬師寺」が有ったので、境内に入って本堂の扉が開くかな?と思ったが、開きませんでした。
上がり階段に「お参りの方は庫裡へおいで下さい」の看板が置いてあり、チラッと本堂の中を見ると明かりも点いております。
だれも参拝者が居ないのだったら、明かりを消して省エネにするのが普通だと思うのですが、良い方に取るならば、いつ来るかわからない参拝者のために明かりを点ける気遣いはエライですなぁ。
離れた玄関の方から人の話し声が聞こえており、庫裡へ行き声を掛ければ本堂内に入れるとは思いましたが、会話の途中を遮るのも悪いと思い、また、どおしても本堂内に入って仏さんを拝しようというほどの信心も無いので、そのまま本堂前の外で尺八を吹きました。
薬師寺・本堂前や周囲には樹木が無いので日陰がなく、尺八を吹いてると太陽が遠慮会釈も無くガンガンと照りつけ、それこそ親の敵にでも出会ったごとく・・そのため、もんのすごく暑くて、汗がタラタラ~・・・
尺八を2曲吹いた後、荷物を持って山門へ戻って、その屋根下の日陰に腰掛けて一休みしました。
山門前には少ないけれど松並木が有り涼しく、苔むして落ち着いた雰囲気があります。
立ち寄った寺主に対する礼儀として挨拶代わりに本堂前で尺八を吹いてますが・・ホンマやったら、こおいう落ち着いた場所で、ゆっくり尺八を吹きたい。
しかし、もし本堂を背にして山門に腰掛け、尺八を吹く姿を見る人が居たら、こいつは挨拶もせずに、本尊さんにケツ向けて吹いとるんか?と不審に思われるかもしれん・・・と、余計な気遣いする気弱な性格のアタイ。
風狂の一休禅師ならば、自分の気の向くまま、堂々と本堂を背にして山門に腰掛けて尺八を吹くだろなぁ。
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」(一休)
越後線の線路を横断する時に「小木ノ城駅」を見ると、チッコイ駅です。
チッコイ駅だとは知っていたのですが、今時の御時世ならば、どんなチッコイ駅でも自販機は有ると思ってたのですが、道路から見た限りでは見あたりまへん。
あちゃあぁぁ・・・ここに自販機が有ると思って当てにしており、持っていたペットボトルの茶をほとんど飲んじまってた。
地図を見ると、これから出雲崎まで自販機は無さそうだしい、まいったなぁ。
トボトボと歩き国道を横切る時にガソリンスタンドが見え、そこへ行けば自販機が有るかもしれないが、疲れてるのであんまり寄り道したくないので、そのまま歩き続けました。
「稲川」集落付近で道が二手に分かれており、地図を見ると右側の道らしいが、念のため畑していたオバハンに挨拶して道を聞きました。
「やがてトンネルが有り、それを過ぎると左へ行けば出雲崎だ」と丁寧に教えてくれ、最後に「ご苦労様です」とまで言ってくれ、よっぽど修行僧かと思われたのでしょう。
「稲川トンネル」に入る前に少し遠回りの旧道が有ったが、あえて通るほどの道でないので、そのまま車道を歩き続けました。
稲川トンネルの出口で一休みし、ここでペットボトルの茶が空になりましたが「出雲崎」までもう少しなので、行き着くまでに日干し状態のミイラになって行き倒れになる事はないと思う。
「中山」集落付近のT字路を左へ曲がる頃から養鶏場が道端に有るようで、悲鳴のようなニワトリの鳴き声が聞こえ、なんか絞め殺されるようなカワイソーな鳴き声です。。
しばらく歩いてると土木作業の人達が居たので挨拶をして、「この道から光照寺へ行く脇道が有るか?」と聞くと「有る」と教えてくれました。
実は地図に越後33観音霊場の札所「光照寺」へ行く道が破線で載ってますが、その道が存在するか不安だったのです。
「分かり易い道か?看板か何か有るか?」と、しつこく訪ねると、これも「わかると思い、看板も有る」と教えてくれました。
そのやりとりを聞いてた、もう一人の人が「このまま真っ直ぐに降りて、下道を通った方が、分かり易いのでは・・」と笑いながら言います。
いや、それだと遠回りになっちまい、コンジョ無しの自分には、何とか近道をしようと思っとるんで・・f(^_^;)ヘッヘッヘッ・・・
礼を言って道を進むと、「椎谷岬」以来の久しぶりの日本海が見え、それを見ると、つくづく長い旅だったなぁ。
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