HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編)> 20 鬼怒川
旅行日 2015.8.20 掲載日 2016.1.2
険しい岩だらけの道を行くと鬼怒川に出た。清らかな奔流で、色とりどりの岩石の間を深く切りながら走っていた。
流れが烈しく反対側に突き当たって進むあたりは、岸も絶壁となり、山頂まで針葉樹が生い茂っている。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
旧道が工事中で通れないため、鬼怒川に架かる「鬼怒楯大吊橋」へ行ってみました。
この吊り橋を渡った対岸の上付近が旧道なので、なんとか行けないかなぁ・・と思って「鬼怒楯大吊橋」を渡ってみると、ちゃんと階段を上がって旧道へ行けるようになってます。
が・・・近寄ってみると、草が茂って階段は閉鎖されており、「楯岩」が崩れて修復作業をしているらしい。
あちゃあぁぁ・・・惜しいなぁ。 手彫りの「楯岩トンネル」とか、「楯岩鬼怒姫神社」とかあるのにぃ。
よっぽど草を掻き分けて階段を上がり、旧道へ上がってみたかったのですが、観光客が居るので止めときました。
かなりの高所に橋がかけてあり、こわいほど急な曲線を描いていた。そこからは高い山々の景色がすばらしい。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
イザベラ・バードが書いた「かなりの高所に橋がかけてあり」という場所は、どこなのか?・・鬼怒川温泉付近には、橋が3本ほど架かっており、どれが一番古い橋なのかわかりまへん。
最初に有る「立岩橋」から、「通交止め」になっていた旧道へ、試しに行ってみたが、やっぱり柵がしてあって通れないようにしてあり、何がなんでも、旧道へ行かせたくないよおでんなぁ。
あきらめて鬼怒川温泉の賑やかそうな所へ向かって行くと、「くろがね橋」を渡った所に「鬼怒子の湯」という足湯が有り、その横から河川遊歩道へ行けるので、下りてみると静かな水面です。
足湯の所へ戻ると、管理人らしいトッツアンが話しかけて来て、話好きな人で、σ(*_*)が「鬼怒川沿いに一周できる遊歩道を作れば良いのに・・」と言うと、
「そおいう構想もあったが、川沿いに浴場が有るのでホテルが反対した。
この足湯ができたので、対岸のホテルは今まで日によって男女交代で浴場を替えていたがダメになった。」
はらあぁ~・・聞いてみるもんですなぁ。
壁に古い写真が貼ってあり、美人芸者さんと共に昭和20年代の「くろがね橋」の写真も有ったので聞いてみると、鬼怒川温泉ではこの「くろがね橋」が一番古くて、当時は他に橋が無かったそうです。
言われてみれば、鬼怒川の幅が今まで見て来た中では一番狭いようであり、橋を架けるとしたらここが一番のように思える。
イザベラ・バードが橋を渡った箇所は、たぶんこの「くろがね橋」が有った場所だと思う。
私達は鬼怒川の流れる音を聞きながら、しばらく馬に乗って進んだ。 こちら側はそれほど崖も急でなく、山道が通り、道は曲がって下り坂となり緑の小山に入る。
真っ直ぐに伸びている杉の暗い森を上がってゆくと、すばらしい場所にあるこの村に着いた。
ここには多くの小さな峡谷があり、底辺を流れる鬼怒川の深い割れ目まで、稲田の段々畑が勤勉にも作られている。
11時間を旅して、ようやく18マイルやってきた。 藤原には46軒の農家と1軒の宿屋がある。 いずれもうす暗く、湿っぽく、汚くて、隙間風の入る家で、住宅と納屋と馬小屋を一緒にしたものである。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「藤原」集落は、それなりに大きい村でした。
イザベラ・バードは「藤原」で泊まったのですが、夜中に野良犬がケンカしたり、ノミの大群に襲われて、ドエレエ目に遭ったらしい。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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