HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) >28 下野街道
旅行日 2015.8.21 掲載日 2016.1.18
私達は、広さが30ヤード平方から4分の1エーカまで大小さくざまの水田の間を旅行していった。
水田を通り過ぎると、荒海川という大きな川に出た。
私達はその支流に沿って2日間とぼとぼ歩いてきたのであった。
そして汚いが勤勉な住民のあふれている汚い村をいくつか通り過ぎて、平底船で川を渡った。
川の両端には、また木がしっかりと打ち込んであり、藤蔓を何本も結び会わせた太綱を支えている。
一人は両手を使って綱をたぐり、一人は船尾で棹をさす。 あとは流れの速い川がやってくれる。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
イザベラ・バードは「田島」を出発して「長野」集落に入り、阿賀川(荒海川)を「長野の渡し」でチッコイ船に乗り、対岸へ渡ったらしいが、現在は場所が不明。
当時の「渡し場」のほとんどは、イザベラ・バードが記載しているように、両側へ綱を張ってたらしく、ドラマや映画でやってる舟を漕いで渡る「渡し場」風景のイメージとは違っとるようです。
対岸へ渡り国道121号線を走り、途中の集落には昔ながらの面影が残ってます。
国道121号線は「楢原」で急カーブになっており、その急カーブから先の箇所は、明治17年に完成したので、イザベラ・バードは、その6年前に「楢原」を通りってるので、旧「下野街道」を通ったはずです。
国道121号線の急カーブの所に「下野街道」の入口が有り(案内標識は無かったように思う)、今までの経験上、昔の街道とか宿場街は、ほぼ真っ直ぐな道を行く事になってる事が多い。
下野街道の入口付近は、林道の坂道・・という感じで、このまま行くのかと思ってると、途中の杉林で標識があり脇道が下野街道となっていた。
どうしょうかなぁ・・「チョイノリ」で、行ける所まで行っても良いのだが・・地図を見ると、短い距離で再び林道と合流するようなので、安全策を取って林道を走りました。
分かれ道の箇所では、「歴史の道 下野街道」と書いた青い標識(一番上の写真)が立っているので、下野街道を歩く時に見落とさない限りは迷いません。
「矢の原 一里塚跡」の説明看板が立っていますが、塚は無いらしく付近は高原を思わせる風景で、トロトロ走ってると、やがて「小池」集落に到着しました。
歴史的に下野街道は「会津西街道」「日光街道」とも言われてたらしいが、最初の時は「下野街道」なんて名前は全然知りませんでした。
この「イザベラ・パードの道」の下調べをしている時に、初めてそんな街道名が有ったのがわかり、一つカシコクなった。
ネットで見ると、この下野街道を趣味で歩いてる人も居るようで、いくつか拝見させてもらい参考にしました。m(_ _)m アリガトサンデス・・・
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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