HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) 58 黒沢峠
旅行日 2015.6.11 掲載日 2016.4.12
「黒沢」集落から20分ほど、やや登り坂の車道を歩き、やっと「お祭り広場」に着きました。
開けっ広げの大きな休息所が有り、さすがに「お祭り広場」と名が付いてるだけあって、イベントするだけの敷地・施設が整っています。
休息所に流し台が有り、試しに蛇口をひねってみると水が出て、谷水から引っ張ってあるのか冷たい水が出てきました。
黒沢峠への案内図が有り、車道を行くのかと思っていたが、広場の隅の方に峠入口が有りました。
この案内図が無かったら、そのまま知らずに車道を歩いてただろなぁ。
十三峠の一つ「黒沢峠」入口には、水色に塗ったガスボンベの寄付金箱が設置されており、越後屋が100円入れてます。
沼(黒沢)からここ(市野々)までは唯の一里半だが、けわしい朴ノ木峠(黒沢峠)を越えねばならない。
何百というごつごつした石の階段を上がったり降りたりする。 暗いところでは愉快なことではなかった。 この峠で初めて樺の木を見た。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「お祭り広場」から黒沢峠へ入ってみると、すぐに石畳が有り、おぉぉっ・・・!!
短い区間で石畳が終わるのかと思ったら、これがずう~っと黒沢峠頂上まで続いてます。
昔、石畳を敷いた人達もタイヘンだったろうが、ボランティアで石畳を掘った人たちもタイヘンだったと思う。
熊野古道・伊勢路「馬越峠」の石畳と比較すると、石の量こそ少ないが、これだけ続いてる石畳は立派に自慢でき、また無償のボランティア奉仕で掘り起こしたというのも素晴らしく誇れる事だと思う。
イザベラ・バードは、この石畳の山道を黒沢峠に向かい、暗くなって歩いたので、そりゃあぁ~愉快な事ではなかったでしょうなぁ。
明るい昼に歩いたσ(*_*)達でさえも、足下の石畳を見ながら歩かなければアカンので、イザベラ・バード達は周囲の風景を見るヒマはなかったと思う。
ましてや暗くなった山道だしぃ・・・オバケが出るかもしれんしぃ・・・心細かったでしょうなぁ・・カワイソーに・・・
石畳を歩いてると、途中で一人の男の人が敷石の写真を撮っており、「お祭り広場」に車を置いてた人でしょう。
苔むした石畳が続く風景も、また情緒が有ります。
やがて少し開けた草地が有り「古屋敷」の看板が有りました。
読んでみるとここに茶屋が有って明治17年に閉鎖されたらしいが、イザベラ・バードは、その6年前に通っており、暗い山道を歩いて来たので、この茶屋でホッとして休んだかもしれません。
「古屋敷」を少し過ぎた所で展望が開け、遠くに残雪が残っている山が見えました。
黒沢峠頂上までは、キレイに石畳が掘り出してありましたが、峠より下りの道は、枯れ葉等に埋もれかかって石畳が見えなくなっています。
この黒沢峠頂上付近から「お祭り広場」へ戻る周遊コースが出来たので、ダム湖「市野々」方向へ下りる人が少なく整備されなくなったからでしょう。
途中で倒木が道を塞いでおり、木の下を潜って通れたのですが、いつか廃道になるかもしれず、せっかく石畳を掘り起こしたのにモッタイナイ・・・。
しかし、ダム湖に沈んだ「市野々」方向へ下りる人なんて、イザベラ・バードの道をたどるσ(*_*)らのような趣味人だけかもしれません。
山道を下りていると、物悲しい「カナカナカナ・・・・」と鳴くヒグラシの声が多く聞こえ、まだ夏の季節でないのにぃ・・。
やがてダム湖がチラッと見えた付近で、車道に出ました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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