HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 78 横手神明社
掲載日 2016.7.9 旅行日 2015.7.5
良い道路で、楽しい地方であった。 路傍には多くの社があり、慈悲の女神(観音)の像が奉られていた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「道の駅・十文字」を出発し、イザベラ・バードが「路傍に多くの社がある」と書いてたので、そんなにたくさん祠とか何とかが有るのかと注意して行きました。
が・・人家ばっかりで、たまに鳥居とか地蔵さんがあるが、これは他の地域とあんまり変わりが無く、特に注目するほどてもなかった。
横手は人口1万の待ちで、木綿の大きな商取引きが行われる。 この町のもっとも良い宿屋でも、りっぱなものは一つもない。
翌朝早く、いつもの朝のように暑くて霧が出ていたが、神道の社、すなわちお宮を見に行った。 一人で出かけたのだが、群衆に会わずにすんだ。
宮の境内に入るのに、例によって鳥居をくぐった。よくあることだが、全体がにぶい赤色に塗られている。
石を敷きつめた境内には美しい花崗岩の灯籠が同じく美しい花崗岩の台座の上にいくつか立っていた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
下調べの時に、イザベラ・バードが早朝に行った神社は「横手神明社」でないかという記載が有り、「横手神明社」は道筋に有ってすぐにわかりました。
これがイザベラ・バードが行った神社かと思って鳥居を潜り、境内をサラッと見ると無数の社や祠・碑が有るので、イザベラ・バードは、路傍で見たのではなく、この神社の境内の事を書いたのではないかなぁと思った。
が・・これを書いてる時に念のため「横手神明社」について調べてみました。
そしたら、あぁたぁ・・・・ガアアァ~ァン・・・!!(T_T)
なんとこの「横手神明社」は明治13年に「大乗院」という所から、この地へ移設された物であり、イザベラ・バードは明治11年に通っているので、その時には、ここに神社は存在していません。
あちゃあぁぁ・・・、イザベラ・バードが寄った地へ来たと思って喜んでたのになぁ。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」の本には「鳥居」と題して、イザベラ・バードの描いた鳥居が掲載されています。
その絵を見ると鳥居の位置や境内の様子が違っていますが、規模的にはこの神明社と良く似ています。
絵を見ると二つの鳥居が有り、それなりの大きさの神社のようなので、横手市付近で絵と良く似た神社を探せば、どこかに有るのじゃないかなぁ。
もっとも横手市で泊まったと書いて有るが、今までもイザベラ・バードの記憶違いで記述が間違ってた事も有るので、勘違いして別の場所で泊まったのではないかという説も有るよおです。
イザベラ・バードの絵は、非常に写実的で写真のように描いてるので、どなたか興味の有る方は、絵を元にしてイザベラ・バードの行った神社を探してみてください。
横手市内を通り過ぎる時に、道端に小さく横手城の入口看板があり、どうしょうかなあと思ったが、ついでだから寄ってみました。
結構な坂を上がった高台に城がありました。
横手を出ると、非常に美しい地方を通過して行った。 山の景色が見え、鳥海山がその雪の円屋根をときどきのぞかせた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
走ってる時に鳥海山が見えるかと思ってましたが、進行方向付近には見えません。
これを書いてる時に気付いたのですが、鳥海山は位置的には前方向ではなく後ろ側に見えるよおで、あちゃあぁぁ・・・失敗したなぁ・・・。
なんせ一生懸命に前を見て走っていたので、後ろなんて振り返らなかったもんなぁ。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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