HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 83 八郎潟
掲載日 2016.7.26 旅行日 2015.7.7
港から鹿渡までの間の左手に、非常に大きな潟がある。
八郎潟は、狭い水路で海と連絡し、真山と本山と呼ばれる二つの高い丘に守られている。
現在、二人のオランダ人技師が雇われていて、潟の能力について報告する仕事に従事している。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
八郎潟駅までの道沿いは、あんまり変わったものが無く、人家だらけなので、イザベラ・バードが来た100年前とは、雰囲気が違うわなぁ。
八郎潟駅で一休みして、今晩の野宿予定地にしている「道の駅・ことおか」には、時間的にも何もなさそうなので、駅前の食堂に入って夕食にし、スーパーの場所を聞いて食糧の買い出しをしておいた。
イザベラ・バードが左手に見えていた八郎潟は、今は広々とした水田になっており、当時は緑の場所が全て水面だったのでしょう。
朝早く、暗い小雨はものすごい大雨となり、16時間も続いた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
σ(*_*)の場合は天気が良く、男鹿半島の山々が良く見えたのですが、イザベラ・バードは、翌日この付近を通った時、もんのすごい雨で、たぶん泣きながらトボトボ歩いたのでしょう・・カワイソーに・・
夕暮れの羽州街道を走ってると「三倉鼻公園」の案内図があり、どうせこれからは「道の駅・ことおか」で野宿するだけだったので、話の種に東屋が有る場所まで上がってみました。
結論から先に言えば、あんまり大した事は無かったが、それでも八郎潟の広々とし風景が望めます。
「道の駅・ことおか」へ行くと、やっぱし店は全て閉まっており、どの辺で野宿しようかと場所を探しました。
念のために離れている施設へ行ってみると休息所になっており、外壁に何かわからん物が貼り付けてあり、「縄文時代の土笛」と説明書きがしてあり、へえぇぇ・・どおやって吹くのだろおか?
休息所のベンチで先客二人が寝ていたので、テーブルに地図を広げて旅行記の原稿下書きを書いてると、一人が起きて話しかけてきました。
アンチャンかと思ってましたが、顔を見るとσ(*_*)と同年代で、東京から北海道一周の自転車旅行をしている人です。
ホントは旅行の話などをしたかったのですが、もう一人のが寝ているので、ヤカマシイだろおと思って、あんまり話をしませんでした。
朝4時半頃、人が起きる音がしたので自分も起きると、自転車の人しか居なく、朝の挨拶するとリンゴの一片をくれたので、お返しにバナナ2本あげた。
自転車に油差してたので聞いてみると、油を1日つけないとペダルが重く感じがするらしく、「チョイノリ」の事を詳しく知ってました。
へえぇぇ・・自転車の人がバイクの事を知ってるなんて珍しいなぁ・・と思ったら、元はバイクの設計技師をしていたそおです。
年齢を聞くと同じ年で、自転車装備を見て「野宿するのに銀マット持たないのか?」と聞くと「自分は登山をするのでエアマットを持っおり、毎年ヒマラヤへ行き、日本の山はほとんど登った。
妻からは「いいかげんにしろ」と言われている。」と笑いながら言います。
「単独旅行するダンナ達は、どこでも奥さん方を説得するのに苦労しますなぁ。(^O^)
以前に津軽半島で会った人は、奥さんに土下座して1ヶ月間だけの旅行を頼みこんだそおです。」
とお互いに笑いました。
聞いてみると「道の駅」によっては、テント張りを禁止されている所も有るそおで、以前に野宿した所でテントを張らずに寝袋だけならば良いのかと聞くと、それなら良いと言われたらしく、へえぇぇ・・そおいう所も有るのだ。
σ(*_*)が途中で追い越したら警笛鳴らして合図してくれと言って先に出発しましたが、σ(*_*)は旧道を走るので道筋が違ったためか、再び会う事はありませんでした。
一期一会ですなぁ、御同輩・・カカアに仕方なく、イヤイヤ頭を下げて頼み込んだ旅行中に、また再びどこかでお会いしましょう。
しかし、何でこんな事でカカアに気を遣わにゃアカンのじゃろ・・世の中間違っとる!!、きっとこの世の中は、気弱で優しい性格のダンナ方達ばっかりなのでしょう。
その点、イザベラ・バードは良いなぁ・・自分で思うような旅行が出来て・・・。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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