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 所 在 地  島根県出雲市塩津町(塩津小学校)
            〃    猪目町(鰐淵小学校・猪目分校)解体
 撮影年月日 2019/9/28


「白い船」ロケ地の「塩津小学校」と解体されていた鰐淵小学校・猪目分校/島根県の木造校舎

塩津小学校と「白い船」

「塩津小学校」校門と校舎、島根県の木造校舎  「塩津小学校」全景、島根県の木造校舎
    「塩津小学校」正面より全景、島根県の木造校舎

 島根県の木造校舎「塩津小学校」は、これを書いてる時に調べると、今年3月に廃校になったばかりで、その時の在校生は6人だったよおです。

 玄関脇に緑色の園芸用「ジョウロ」が生徒の数6個分が掛けてあり、生徒一人づつ担当していたよおです。

 学校周囲には獣除けネットが張ってあり、猪が荒らしに来るのでしょうか。

「塩津小学校」玄関、島根県の木造校舎   「塩津小学校」教室校舎、島根県の木造校舎   「塩津小学校」タイヤ遊具、島根県の木造校舎
  「塩津小学校」下の駐車場より、島根県の木造校舎    「塩津小学校」外階段、島根県の木造校舎    「塩津小学校」海側、島根県の木造校舎
「塩津小学校」体育館、島根県の木造校舎   「塩津小学校」「白い船」碑の位置、島根県の木造校舎   「塩津小学校」「白い船」の碑、島根県の木造校舎

 体育館脇近くに「映画「白い船」撮影記念 2001年8月」「白い船 ロケ地 塩津小学校」と書いた二つの碑がありますが、黒い石版には何が描いてあるのか、よお~わからん。「塩津小学校」教室二階、島根県の木造校舎

 普通ならば映画に関する「白い船」と何かを描くと思うのですが、最初からなのか後から意識的にしたのか、箒の掃目のような物しか描かれ?てなく、やっと右下に一人の少年が両手を上げてるらしい線だけがわかりました。

 あえて言うならば「霧に向かって両手を上げている少年」という題かなぁ、だれかこの黒い石版に描いてある物の事を知っていたら教えてね。

 塩津小学校を訪問した時には「白い船」という映画は知らなく、これを書いてる時に調べると、10年ほど前に塩津小学校の生徒が沖行く「白い船」がたまに通るのを疑問に思い、それが直江津~福岡航路のフェリーだとわかり、それから生徒とフェリー乗員の交流が始まったという実話を基にした映画だそうです。「塩津小学校」廊下、島根県の木造校舎

 ネットで動画を探してみると、けっこう塩津小学校が出ており、映画内容を知っていれば、ロケ場面に出た風景も撮っておいたのになぁ。

 ちなみに学校の敷地からは樹木がジャマして、ほとんど海が見られず、やはり映画のように二階からでないと海は見えないと思い、知っていれば校舎外階段から海方向の写真を撮っておいたのにぃ。

 今は直江津~福岡航路のフェリーは航路廃止になっており、当時の新潟近辺の人は九州へ行く時には便利だったと思いますが、やはり採算が合わなかったのでしょう。

   「塩津小学校」教室黒板、島根県の木造校舎         「塩津小学校」教室、島根県の木造校舎

鰐淵小学校・猪目分校(解体)

「鰐淵小学校・猪目分校」川、島根県の廃校     「鰐淵小学校・猪目分校」橋、島根県の廃校     「鰐淵小学校・猪目分校」校門、島根県の廃校

 「鰐淵小学校・猪目分校」は、2年前に出雲33観音霊場を巡った時に近くに有る「猪目洞窟」へ寄りましたが、その時は猪目分校が有るとは知りませんでした。

 川に沿って来てみると「猪目分校」に渡る橋はありますが、木造校舎が見当たりません。「鰐淵小学校・猪目分校」解体敷地、島根県の廃校

 橋を渡った敷地に新しい「交流センター」が建っていましたが、これが分校だったのかな・・それにしては新し過ぎる。

 その辺をウロチヲロして橋の門柱を見ると、しっかりと「猪目分校」と書いてあります。

 これを書いてる時に調べると、だいぶ以前に解体されたよおで、校舎は橋の正面の所に立っていたよおで、「交流センター」は分校と関係ないよおです。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「五木の子守唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます



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