HOME > 全国の木造校舎・廃校「目次」 > 静岡県「目次」 > 静岡-2 天方小学校・嵯塚分校
所在地 静岡県周智郡森町嵯塚
撮 影 2014.5.22
静岡県の山奥に有る木造校舎「天方小学校・嵯塚分校」の場所は、ネットで調べるとわかりにくいらしく、そしてホンマにわかりにくかった。
森町から県道399号線を行きましたが、その道の細いこと・・対向車が来たら擦れ違いできず、どうしょうかと思う道です。
そりゃあぁ・・こんな道の山奥だから廃村になって人が住まないわなぁ・・それよりも、よくこんな山奥に住んでたと思う。
県道と分かれた林道?の方が、まだ道幅が広かったけれど急坂でした。
一応ネットで下調べしていたのですが、なんせ山の中だから地名なんて書いてなく、どの辺を走ってるのかわかりまへん。
途中で何となくネットで見た、上がり口らしいのに気付いたが、まだ先だろおと思って車を進めたら、林道が枝分かれしている所まで来ちまい、カーナビを見ると「川根町」エリアになってるじゃねぇか・・ゴラアァ~・・。(T_T)
やっぱり先程の場所だな・・と思い引き返しました。
道端の少し広い場所に車が置いてあり自分もそこに車を止めました。
確証はなかったが石階段を上がって行くと除草してあり、そのうちにコンクリ道の所に人家が有り、人が住んでるらしく洗濯物が干してあります。
その洗濯物を通り越して茶畑に出てみたが学校らしい建物が無く、普通の民家の廃屋が草に埋まってるだけでした。
ここまで来て、「嵯塚分校」を見つけずに帰るのも残念で、ダメ元で洗濯物を干している家に声を掛けました。
50才代のトッツアンが出てきて、廃校の場所を尋ねると、他にも「嵯塚分校」の場所を尋ねて来る人がいるらしく、東京や大阪からも来ていたと言います。
分校の場所を尋ねると、「家の庭先を通って行けば良い。遠いよ、歩いて10分位の山道かなぁ。家の庭先から出れば小道が有り、電柱の所から一本道だから迷わないと思う。」と親切に教えてくれました。
失礼ながら一人暮らしなのかと聞いてみると、母親と一緒に住んでるとの事。
「こんな山奥で生活するのは、タイヘンでしょう。」「来る時の道でわかったと思うが、タイヘンだよ。」と笑いながら言います。
帰る時にわかったのですが、コンクリ道に上がった直ぐの所に細い道が有り、そこを上って行けば良かったのですが(上の中央の写真)、当然、学校への案内看板なんか有りまへんわなぁ。
このトッツアンが居なくなったら、もう「嵯塚分校」の所在地を教えてくれる人が居なくなり、ここまでの道も荒れてわからなくなると思う。
一軒家の庭先を通ってからの山道は、思ったほど荒れておらず、坂道を上がって行くと石垣の上にフェンスで囲まれた校舎が有りました。
しかし、こんな山道を生徒達は、毎日良く上って来たもんだ。
グランド側より サッカーボールが転がってる グランド山際に有る神社
校舎 裏側(渡り廊下)
渡り廊下
校舎 横
教室内の各黒板には、分校を訪ねて来た人の年月日と氏名がズラズラッ・・と書いてあり、けっこう来ているようです。
つい4日前の日付で「上西の谷より自転車 80才」と書いてあり、「上西の谷」は、ここまでかなりの距離が有り、80才の老人が山道を自転車を押し歩きながら、わざわざ来たという事は、この学校の卒業生なのでしょうか。
別の教室の黒板には、卒業生と恩師が来訪して記念に書いた物があり、職業柄慣れた達筆の字です。
一番古い書き込みは昭和63年の天方小学校職員の方で、20数年間、消されもせずに残してあり、こおいうのはこのまま残しておいて欲しい。
机の小物の上に、まだ新しい「楽書き帳」と書いたノートが、ジップロップの袋に入れて置いてあります。
平成22年にだれかが置いてくれたらしく、きっと黒板の代わりにノートに書くように・・と思ったのでしょう。
こおいうのを見ると、お互いに見知らぬ廃校訪問者同士が、暗黙のうちに黒板を消さず、そのままソッ・・としておこうという気持ちが伝わります。
それを思うと果たしてこのホームページで、この「嵯塚分校」を紹介したのは良かったのか・・それとも人的に荒されるのを防ぐため紹介せず、自然に朽ちるままにしておいた方が良かったのか・・・
職員宿舎(と思う)
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