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塩野神社・神橋、信濃33観音霊場記  H22.11.8 巡礼  H24.1.8 UP

流鏑馬と「塩野神社」/自転車で巡った信濃33観音霊場

   「手塚」付近、自転車で巡った信濃33観音霊場記        塩野神社・二の鳥居、信濃33観音霊場記

 車を置いた「生島足島神社」へすんなりと戻るのは、せっかく遠くから来たのにもったいなく、自転車を漕ぎながら付近を遠回りして戻る事にしました。

 一応ネットで、どの付近を行こうかと下調べしておいたので、まずは「中禅寺」へ・・・・

 「西前山」集落へ入る手前に鳥居があり、付近に神社が有るのかと思ったがわからない。流鏑馬・二の的、信濃33観音霊場記

 道端に「三之的」と書いた看板のような菱形物が立っており、おぉぉ・・これは流鏑馬の的でないかな?と思いながら少し行くと「二之的」が有ります。

 T字路に説明看板があり、それによると

 「塩野神社「一の鳥居」から「二の鳥居(先程の鳥居)」の直線道218mが流鏑馬をやっていた旧蹟だそうな。

 平安・鎌倉時代に神事としてやっており、的と的の間隔は50mで、3つの的を全て落とすのは余程の名人である。

 へえぇぇ~・・知らなかったなぁ、そんな昔に、ここで流鏑馬してたなんて・・・そお言えば、武田・真田軍団は軍馬に力を入れてたかもしれんなぁ。

 やっぱり寄り道をしてみるもんだわ・・何を見つけて一つカシコクなるか、わからんもんねぇ。

中禅寺・仁王門、信濃33観音霊場記    中禅寺・薬師堂、信濃33観音霊場記    中禅寺・庭園、自転車で巡った信濃33観音霊場記

 そのT字路より山側に「中禅寺」が有り、タダかと思ったら200円払い薬師堂を見てきました。

 「中禅寺」薬師堂は茅葺きのお堂で、なかなかの物で、この堂形は平泉の中尊寺・金色堂と同じ形式だそうで平安後期の作らしい。

 ただ、仁王門の前に有る白砂の庭は、いかにも最近造った・・という感じがして、白砂の掃き跡?が崩れており今一つだなぁ。

 ここの土産店で「わさび」だとか唐辛子とかの、安物の土産を越後屋が一生懸命買い込んでました。

 塩野神社入口、信濃33観音霊場記   塩野神社・神橋2、信濃33観音霊場記   神橋と本殿、塩野神社、自転車で巡った信濃33観音霊場記

 先程のT字路に戻って「塩野神社」へ自転車を漕ぎ、ここはネットで調べた時には、なかなか見所が有るとの事でした。塩野神社・本殿、信濃33観音霊場記

 「塩野神社」杉並木の道を行くと、太鼓橋のような「神橋」が有り、σ(*_*)のような信心の足りないモンでも渡っても良さそうです。

 確かに、このような神橋は珍しく、「塩野神社」本殿の彫刻には天女さんが彫り込んで有り、大した物である。塩野神社・彫刻、信濃33観音霊場記

 しかし寺で天女さんならわかるが、神社に天女さんとはねぇ・・・神社ならば、ここはやっぱし榊か鈴を持った巫女さんじゃねぇかなぁ。

 もっとも、昔は神社も寺も仲良く一緒だったのが、明治の廃仏毀釈により、愛しあってるモノ同士が、お上の命令で無理矢理に別れさせたのです。

 昔の状況を探る証として珍しい物で、このまま残しておいた方が良いのかもしれん。前山寺、信濃33観音霊場記

 この付近には「前山寺」「無言館」等の見所がありますが、以前に見た事が有ったので今回は省略しました。

 「無言館」は、戦没画学生が描いた絵や遺品の絵筆や手紙が飾ってあり、出征する「バンザイ」で送られる直前の声が聞こえる一瞬の時までを惜しんで描いた絵や、残された手紙等を読みながら絵を見ていると、学生達の無念さが感じられ、不覚にも涙が滲みました。

 まさに「無言」による伝えであり、近くへ来られた際には、ぜひ「無言館」を訪れてください。

上窪池(泥池)、信濃33観音霊場記    泥宮神社、信濃33観音霊場記    自転車で巡った信濃33観音霊場記

 生島足島神社へ戻る途中、「上窪池」にある「泥宮神社」という、何とも珍しい名前の神社に寄りました。

 側の池は干からびかかって水がほとんど無く、普通の溜池のような感じですが、江戸時代(1645年)に造られ、泥宮神社の御神体は、その名前通り「泥」だそうです。

 田植えの際には泥を大切にした事などから、「泥」は古来神聖な物として扱われたらしい・・知らなかった。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます



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