急坂の善光寺西街道「立峠」から水源槽の有る車道へ出ると、そこに昨日車で運びこんでおいた自転車が置いてあります。
なんせ「明科」~「会田」間は、バスも通らず距離もかなり有るので、そのまま「明科」まで歩き通すのは、かなりキツい。
それならば「岩井堂」付近に自転車を置いて、一気に「明科」までズルして自転車で来ちゃえ・・と思い、昨日のうちに候補地探しをして、ここに自転車を置いたのです。
「立峠」を下りた階段の直ぐ側に「馬頭観世音」の石仏が有りますが、車道には背を向けています。
つう事は、石仏の前が旧道だったんでしょうが、少し先は草に覆われて道を見つける事ができませが、何とか見つけようとするならば、今の内なら何とかなるような気もするのだが・・
車道を自転車で下りてると、ちょうど雨も降って来ました。
途中に白看板が見えたので、あわてて急ブレーキかけて確認しに行くと「うつつの清水」と書いてあり近くに「水留め石 由来」の看板も有ります。
大きな松の木の下に有る説明看板によると、ここに一里塚と茶店も有ったそうで、そお言われてみると、ここには旧道が続いてたような形跡が有りますが、小雨が降ってるので、ゆっくり見なかった。
しばらく車道を下りて「岩井堂・入口」標識が有り、道端に自転車を置いて山道を上がると、信濃33観音霊場の20番札所「岩井堂」があり、思ったよりも大きい堂で荒れていまへん。
案内看板には「岩井堂観音山 周辺石造物群」と書いて、周辺の岩に11体の磨崖仏が彫ってあり、石仏多数有りと書いてます。
うんうん・・下調べの時も、ここは一見の価値が有る所だとは書いてあった。
付近の岩壁を見ると、さっそく大きい地蔵さんが彫ってあり、おぉぉぉ・・・!!
近くにも石仏が彫ってあり、おぉぉ・・・!!
確かに一見の価値は有り、磨崖仏の地蔵さんはわかったが、それよりも大きいらしい大黒天は、わかりまへん。
おそらく風化して崩れてるので見つけれなかったのだと思うが、どこに有ったの?
磨崖仏のある大岩の横に道が有り、石仏も設置されているので、きっと昔の旧道だったような気がする。
今のうちならば、まだ地元のトシヨリが生きているから、立峠の「馬頭観音」から「うつつの清水」を経て、この岩井堂までの旧道を聞く事ができ、探せば見つかる可能性が有ると思う。
ハイキングコースあるいは「歴史の道」として復興できるのだが・・惜しいなぁ。
しかしこの付近の山は、キノコ山らしく「入山禁止」と盛んに書いてあるので、そこら付近の事情でヤヤコシイ問題が起きるのかもしれまへん。
札所「岩井堂」周囲は、情景にマッチした落ち着いたお堂です。
扉付近に、丸いくびれた石が置いてあったが、あれは何じゃったのだろおう・・自然石では無く、人手が加わった物と思うが、だれか石仏を彫ろうとして失敗しちゃったのかな?
札所「岩井堂」境内の周囲近辺には石仏があちこちに置いてあり、さすが「石仏群」!!、お堂裏のチッコイ洞窟?にも石仏が有りました。
境内から横手の岩を回ると松林が有り、下草の無い岩肌が広がってます。
松林には「入山禁止」と書いて有るが、かまう事ないや・・と思い、岩肌へ入ってみましたが、石仏が有るのは札所「岩井堂」近くだけのよおです。
しかし「入山禁止」となっているが、あんな岩肌の所にマツタケでも出るのかなぁ。
昔、佐渡に居た時にマツタケを採った事があるが、このような岩肌の所では無かった。
「岩井堂」から車道に戻る時、別コースの道が有り、そこを通ると松林と同じ岩肌の道です。
上がって来た場所と100mほど離れた車道に出たので、越後屋が「やっぱり元の道を戻った方が良かった、損した・・」とブツブツ・・・。
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