善光寺西街道の「会田宿」入口付近に、いかにも風情の有る、失礼ながらも壊れかかった家が有り、写真を撮るために自転車を止めると、芭蕉句碑の看板と石碑が立っています。
わからん句碑よりも側に立っている大黒さんの石仏?の方が、まだ見応えが有る。
ここら付近一帯は、道祖神も有りますが大黒さんが彫ってあったりもするので、大黒信仰が有るのでしょうか?
緩やかな坂を下りて行くと、珍しく茅葺きの大きな家が有る・・と思い立ち止まったら白い説明杭があり「松澤家長屋門」と書いてあります。
今時、このような茅葺き屋根を残しておくのもタイヘンだと思う。
少し下がると道端に灯籠があり「善光寺常夜燈」の看板が有り、夜中でも点けていたのでしょうか?。
「会田宿」の善光寺西街道沿いには、民家に「つるや」の看板がかかっており昔は旅籠だったらしく、この「会田」宿場街では、他にも屋号の看板を掛けた家が有ったので、けっこう道沿いに旅籠があったよおです。
たいていは新しい住宅になっており昔の面影は全くありませんが、それでも地域興しに・・と、看板を掛けているのでしょう。
雨も上がって晴れて来たので、「会田」より「明科」へ向かって、ルンルンと自転車を漕いでると、道端に道祖神やら石仏が有り、この道も昔は旧道だったよおです。
と・・そんな時、「相沢」付近で何気なく見た公民館のような建物の入口に「・・観音」と書いた看板が目につき、急ブレーキ!!・・・入口の玄関上に「妙鉢観世音」と書いてありました。
「妙鉢観音」とはあんまり聞いた事がない観音様だなぁ・・さぞかしカワイソーな云われが、どこかに書いてあると思って戸を開けて内に入ると、どこにも云われは書いてなかった。
3畳ほどのコンクリ部屋に石仏が3体と大きな賽銭箱が有り、カワイソーな琴に中には賽銭では無く、何かのチラシが入ってます。
真ん中の石仏が一番大きく、たぶんそれが妙鉢観音さんだろおが、薄汚れた赤いヨダレ掛けが全体を覆っているので、手の形や姿・形がわからん。
ヨダレ掛けをまくって姿を見ても良かったが、「キャアァ~・エッチ!! この人痴漢です」と言われそうな気がするしぃ・・
お顔を拝見しようとしても恥ずかしいのか、これまた薄汚れた赤い布で頬被りしてるので頭髪の状態がわからず、見た目には観音さんというよりも何となく地蔵さんのように見える。
入口に石碑が建ってましたが、云われが書いてあるのではなく、この建物を造った人達の寄付者名簿のよおでした。
帰ってからネットで調べましたが、観世音さんにも「魚籃」「白衣」「龍頭」等、多々名前が有るけれど、どうしても「妙鉢」という観世音さんの名前は見つける事ができませんでした。
ちなみに「妙鉢」というのは、仏具の一種でシンバルのような物らしく、「妙鉢」という単語は、仏教に関係の有る人以外は余り知られていない言葉です。
まさか、村の「寄り合い」の席で酒でも飲みながら「この観音さんに名前が付いてないのも気の毒だから、ここは一つ「妙鉢観音」さんと名付けようや。」と適当に付けたわけでは無いと思うが・・
ひょっとしたら世に知られていない「妙鉢観世音」つうのは、日本広しと言えども唯一この場所にしか奉ってないのかもしれん。
だれか、この観世音さんの事で知ってる人が居たら教えてね。
ええっとおぉぉぉ・・ここで話しはガラッと変わりますが、この「信濃三十三観音霊場記」は、これにて全ての札所を巡りましたので今回にて終了いたします。
永の御愛読ありがとうございました。 m(_ _)mハハアァァァ~・・・・
引き続き、他霊場の巡礼・遍路記等を御笑読いただければ幸いです。
<(_ _)> ははあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~・・・
←前頁「岩井堂」へ 「信濃33観音霊場記」完
以下、広告です。
どんどん絵を描くことが好きになる!! 楽しく学んで、どんどん上達 上西先生の水彩画教室⇒詳細はこちら |