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巡礼日 2013.7.2 掲載日 2014.9.23
六十里越えを歩いてると、脇道に「湯殿山遙拝所」への山道が有り今度は「300m 約8分 湯殿山の鳥居と御神体が遙かに拝める」と看板に書いてあります。
おそらく、もう来る事も無いだろおと思い、ここは一つ冥土の土産話にでも・・と「湯殿山遥拝所」へ上がってみました。
行ってみると、けっこう上がり下りの有る山道で、これで御神体が見えなかったら悲劇だな・・と思いながら歩き、「湯殿山遙拝所」からは幸い湯殿山の神様もカワイソーに思われたのか、遠く対面の山に赤い鳥居が小さく見えます。
が・・後で知ったのですが、湯殿山の御神体は鳥居よりも、ずっと左上の場所に有ったのですねぇ。
そんな事も知らず「湯殿山遙拝所」より鳥居を遙かに望みて、ただただアリガタヤ・・アリガタヤ・・・ナモナモ・・・と、越後屋と手を取り合い、ハラハラと感涙にむせび・・・というほどの信心は無かった。
六十里越えの道に戻って少し行くと「ブナの木伝言板」の看板が有り、側の木肌に昭和7年5月に3人連れの名前を刻んだよおです。
少し先にも有り、これは昭和6年12月に「雪が積もり、馬の迎えを頼んだが馬が来ない」という主旨が刻んであるらしい・・よぉ~読めんかったが・・。
普通の落書きと違って、こういうのはメモというか、自分の死に際の遺言みたいもんだから許されるような気がする。
死を直前にした場合の心境は、自分がここで、このように生きていたというメッセージを最後に残し、いつかだれかに見つけて欲しいという気持ちが出て来ます。
以前、他の霊場関係ページにも掲載しましたがσ(*_*)も前職時に、こりゃあぁ~アカンかも・・と完全に遭難死を覚悟した事がありました。
σ(*_*)が遭難しかかったのは、二人で「1号機動艇」という小さいモータボートに乗って作業をしてた時で、前線通過の天候急変によりアッという間に周囲は5mを越える大きなウネリになりました。
基地まで帰ろうと必死になって操船してましたが・・
途中でエンジンが止まるわ・・
艇内に水が入ってくるわ・・
やっとの事でウネリの頭までよじ上ったと思ったら、波の勢いでクルリと今来た方向へ流されるわ・・・
少し大きい1隻の僚船が、ウネリ・波で揺れながらも近寄って伴走して、自分達が乗っている1号起動艇を見守ってくれてます。
伴走してくれた僚船の船長は、1号起動艇がウネリにもまれながらも単独で必死で走ってる姿を見て、上からの指示ではなく、自分の意思で伴走して見守ってやろうとしてくれたのでした。
海が荒れているので僚船は、1号機動艇に近付けて直接助ける事は出来ず、波にもまれながら時々赤い船底を見せる僚船は、自船を保持するのも困難な状態です。
それでも遭難しかかっている仲間の船を見捨てる事なく、側に居てくれる姿を見るとホントに心強く、これが海の男の仲間意識だと、つくづく思いながら僚船を見ると少し涙がにじみました。
僚船を見ながら、もし自分が乗ってる機動艇が転覆して海に投げ出されて死んじゃったら、σ(*_*)の最後の様子は僚船の人達が家族に伝えてくれるだろなぁ・・と、つまらん事を思い浮かべ、なぜか妙に冷静に安心して死への覚悟が出来たのです。
もし僚船が近くに居なかったら、そこまで冷静ではなく、広い荒海に唯一隻という孤独と不安感が先立っていたと思う。
おまけに指揮船からは、1号機動艇の存在を完全に忘れられておりました・・なんせ指揮船も急変した荒天状況や計画変更に陥って混乱していたもんでして・・。
よおやく1号起動艇が基地近くまで戻った頃、指揮船から「1号機動艇は、どこだっ!!」と泣き叫んばかりの切羽詰まった声で安否を問う無線が入り、指揮船はようやく1号機動艇がだれにも気づかれずに行方不明状態になっているのがわかったよおです。
応答すると「近くに船が付いてるのか?」との問いに伴走している僚船が応えて船名を名乗り、既に所属基地に帰り初めていた全船に対し「各船、直ちに1号機動艇の救助に向かえ」との指示無線がありましたが、もおすぐ基地に着くので断りました。
たぶん指揮船内のエライさん達も、機動艇の事を思い出してアワテタじゃろなぁ。
あっ・・はい・・悪運強く、何度もエンジン停止しながらも基地へたどり着くと、必死に船底に溜まった水を掻き出していたのですが、バッテリー端子近くまで海水が溜まっており、もう少し基地までの距離が長かったら完全にアウトでした。
実際、転覆して死んだかもしれん・・と思われてたらしく、伴走していた僚船もウネリに隠れてしまった機動艇を2度ほど見失い、もうダメか・・・と思ったと後で聞きました。
当時の関係者の人達は全て退職していると思い、今となっては懐かしい想い出の遭難逸話の心理状況です。
ちなみに同じ作業をしていた他の機動艇一隻も、なかなか所属母船に戻れなかったよおで、σ(*_*)らが基地に帰った頃に、ようやく収容完了の無線が聞こえました。
遭難寸前の逸話は、これで終わりますが、その状況にもよりますが自分の死にざまを、だれかに見届けて欲しいという気持ちが有ると思う。
「六十里越え」の道を歩いてると、山道の日陰箇所には残雪が残っており、もお7月なのに、よぉ~残ってますなぁ。
「い-っぱい清水」の看板が有る沢に、コップが置いてあり、ちょうど持ってきた水が切れる所だったので、飲んでみると冷たくて3杯ほど飲み、そりゃあぁ~・・残雪が有る所の沢だから冷たいですわなぁ。
改めて看板を読み直すと、どうも一杯だけしか飲んだらアカンかったらしい・・・げっ!!・・三杯も飲んじゃった。
これだけの水量が有るんだから、一杯なんてケチらずに、ガバガバと好きなだけ溺れる位に飲んでも良さそうなもんだが・・。
少し下がった所の「砲台跡」付近にも「一杯清水」の看板があり、ここの清水の量は少ないので一人一杯限り・・と書いてあり、ホンマに水量が少ないので、後の人のことを考えると一杯だけだろなぁ。
で・・なんで「一杯清水」が2箇所も有ったのかと・・・・これを書いてる時に改めて写真を見直すと、最初の沢の箇所は平仮名の「い-っぱい清水」・・・で・・水量の少ない箇所のは漢字の「一杯清水」・・・
ふむうぅ・・同じ意味のような気がするが、何で最初の沢も漢字で書かなかったのか・・と、老化し始めた頭で考えたら、やっとヒラメキました。
最初の沢は、「いっぱい(たくさん飲んでも良い)清水」という意味だったのね。(^O^)
すまん・・オッチャンは学校へ行っても勉強せずに遊んでたので、意味をよぉ~取れんかった。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
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