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 椎谷観音堂・香楼、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  H20.5.6 巡礼   H22.2.13 UP


椎谷観音の石段伝説/越後33観音霊場・只一人

閻魔堂と「石階段」伝説

椎谷観音堂・閻魔堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文       椎谷観音堂・閻魔堂内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文        椎谷観音堂・閻魔堂内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「椎谷観音堂」入口付近に閻魔堂が有り、そこに自転車を置かせてもらいました。 椎谷観音堂・山門、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 閻魔堂内の着物を剥ぎ取るオババは、どんなオババなのかと楽しみに見に行くと、見るからに強欲そうな顔しており、そのためか閻魔大王さんを始め、その配下一同の方々が、もんのすごく善良そうな顔に見える。

 赤い山門には、仁王さんが番をしており、この山門から観音堂までには長い石の階段があり、そこには涙無くして語れないカワイソーな話しがありましてなぁ。

 むかし・・むかあしぃ~・・・、正明寺(刈羽村)という所に、それはそれは力が強く、おまけに乱暴者の男が居て、村人にケンカ吹っかけては酒代を巻き上げてたそうな・・早い話がカツアゲしとったんです。椎谷観音堂・石階段、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 その乱暴者がある祭りの晩、酒に酔って寝ておると、村人達がその男を縛って池に投げ込んだそおで、人から恨まれると、オトロシイでんなぁ。

 σ(*_*)の知ってる実例としては、皆から嫌われてる人が夜に帰る途中、後ろから毛布を被せられて、皆から袋叩きにあったという話しを聞いた事があります。

 あっ・・σ(*_*)は参加してません、知ってたら参加してたかもしれんが・・トッツアンも、夜道には気ぃ付けなされや・・(^O^)

 乱暴者は池に落とされて溺れ死ぬかと思ったのですが、不思議な事に、なぜか助かっちゃったのですねぇ。椎谷観音堂・入定窟、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 乱暴者は深く反省して、この「椎谷観音堂」で坊主になり、18年かかって300段有るこの石段を一人でセッセッと作ったそうな。

 300段を18年で割ると・・えっとおぉぉ・・・1年に約17段作った事になりますなぁ。

 そいで完成して祝賀会をやって、平和に余生を過ごせば良いものを、そこがσ(*_*)らのような信心の足りん人間と違って、その後は食を断って穴蔵(「頓入沙弥入定窟」)に入って亡くなったそうな。椎谷観音堂・石段より「椎谷」集落の眺め、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 いくら悪い事をしたとしても、何もそこまで反省努力して、死なんでもええと思い、生きておれば、もおチット世のため・人のためにもなる事をされたろうに・・やっぱし信心なんでしょうなぁ。


 「頓入沙弥入定窟」から見る、椎谷の町並の景色は最高でした。椎谷観音堂・石階段、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 そんな、たいへんな思いをして作られた石段を、ヒーコラ言いながら上がります。

 今は「椎谷観音堂」近くまで車で上がれるので、この階段はあんまり使用する人がいなく手入れがされてないようで草が生えてます。

 近くの椎谷岬の国道が地震被害で通行止めになっていたので、この石段はどうなってたかと心配しとったんですが、さすが信心の有る人が作られた階段は何ともありまへん。

椎谷観音堂と山道

椎谷観音堂・境内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文        椎谷観音堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「越後33観音霊場」の番外札所「椎谷観音堂」では、今時珍しい大きな茅葺きの屋根で、境内を一人のバサマが掃除してました。椎谷観音堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「椎谷観音堂」内に入って尺八を取り出し参拝しようとした時に、村人のバサマが杖をついて上って来て、バサマ達が話し始めました。

 木々に囲まれた静寂な境内でウグイスが鳴き、微かに潮騒の音が聞こえ、落ち着いて尺八を吹ける場所でした。

 同じ境内に神社が有り斜めになってるので木で支えてあり、観音堂はそれほど被害は無かったよおですが、同じ境内に有るこの神社は中越沖地震で被害を受けたのでしょう。椎谷観音堂境内の神社、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 境内を一巡りすると「不動堂まで10分」と書いた道標が有り、小道が続いてます。

 ううむぅぅ・・行ってみようか、どうしょうか・・

 観音堂に付属している庫裡の玄関で、話し込んでるバサマ2人に道の状況を聞くと、どおやら掃除していたバサマがここの管理をしとるようです。椎谷観音堂・境内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「さっき、アンタが尺八吹いてたのかね? いつもここで吹いてるんかね?」

 「いえ、今日始めて、ここへ来て吹きました。」
 「はりゃあぁ~・・笛の音が、時々聞こえるから、アンタが吹いてるんかと思った。」

 聞いてみると笛か尺八がわからんが、だれか麓の「椎谷」集落で吹いてる人がいるらしく、時々音が聞こえると言います。

椎谷観音堂・山道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文       椎谷観音堂・山道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文         椎谷観音堂・山道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「不動堂」への道を聞くと、そのまま自転車を置いた麓の閻魔堂まで行けるらしく、小さいながらも滝が有るというので、それならば・・と行ってみる事にしました。椎谷観音堂・ひょうたん池、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 「わかれ道があるけれども、左へ行って・・あとは道なりに行けるじゃろう。瓢箪池に落ちねぇよおにな。」と笑いながら言います。

 なに・・池が有るの?・・そんな落ちるような危ない道なのか・・

 小道を降りて行くと、道が二手に分かれており石標側に「不動堂へ」と書いた立て札が有りました。

 ふむふむ・・左へ行けというのは、この事かと思い進むと、溜め池のようなチッコイ池があります。

 これが「ひょうたん池」かと思ったら、木の側にちゃんと立札が有り、親切ですなぁ。

 池に落ちるような危ない事はなく、オババもなかなかの役者やのおぅ・・・。(^O^)

 不動堂、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  不動瀧、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   お茶水井戸、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 小道をさらに進み、山の麓付近に来たと思ったら堂が有り、それが「不動堂」で裏側へ行き滝を見に行くと・・ 瀧が有ったには、有ったが・・ホンマにチッコイ滝と言うか・・水の滴り落ちというか・・・「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 オババが「先の中越沖地震で、滝の落ち口が崩れた」と言ってたが、もうチット水量が有ればなぁ。

 それでも「不動」と名付いてるからには、ここで滝修行した人が居たかもしれまへん。

 不動堂に参拝帳が有ったので見ると、毎日地元のだれかが来てるようで、たまに県外の人も来てるようです。

 「不動堂」参道を過ぎると小さい屋根が有り、そこに畏れ多くもカシコクもモッタイナイ、明治天皇が食される御飯に炊いた時に使用したらしい「明治天皇御膳水」と書いた石碑が有り、湧き水というか水溜まりが有ります。

 当時の事なので、ちゃんと水質検査したのかどうか、わかりまへんが・・柄杓も置いてあるので、最近もだれかこの水を汲みに来る人がいるのかもしれん。

 側にカルタ風の立看板が有り、そこに「お茶水井戸」と書いてありました。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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