H20.7.2 巡礼 H22.3.13 UP
前回より1ケ月まえに「宮の窪」で打ち終わった、越後33観音霊場の続きを歩き始めました。
今までは家の近くだったので歩き終わる毎に家に帰れましたが、今回からは家から離れ始めるので、数ヶ月ぶりに銀マットやら何やら・・等と、野宿の用意をしました。
7月ともなれば日差しも暑くなり、久々に歩くので足も早々に痛くなってきた。
翌日、山越えする予定の刈羽黒姫山が見えます。
たぶんあの稜線を汗をかきながら登るんじゃろなぁ・・と、歩きながら眺めた刈羽黒姫山は、それほどの高くもなく、勾配もキツク無さそうなので楽勝ムードで眺めていました。
しかし、翌日山越えしましたが、楽勝ムードはどこへやら、刈羽黒姫山はドエレエキツイ山でした。
「熊谷」バス停付近より「宮川新田」「清水谷」方面への道へ入り、そのまま国道を歩いても良かったのですが、「宮川新田」の寺・神社付近から実線と破線で中山峠へ向かっており、たぶんこれは旧道だろうと思い、それを通ってみたかったのです。
すぐにチッコイ小屋があり、単なる地蔵堂かな?と思って通り過ぎようとしましたら、近くの立派な石碑に「閻魔大王」と彫ってあるでねぇですかぁ。
ほほおぉぉ・・閻魔堂かぁ、それじゃチョット拝見しようと思って小屋を覗くと、正面にでっかい閻魔大王さんが手を広げてデェ~ンと座っていました。
ここら辺は閻魔堂が多い地域じゃなぁ・・と思いながら配下の人達を捜すと、壁の両脇に小さく遠慮しながら並んでおります。
閻魔さんが大きいのだから配下の人達も、バランス的にもう少し大きくても良いと思うのだが・・そおするってえと、小屋に入りきらんようになるのかな。
おかげで、大好きな着物を剥ぎ取るゴーツクババアが、どれかよぉ~わからんかった。
閻魔堂付近からが「称名寺」の参道で、たぶん昔は杉木立の参道だったのでしょうが、木が切られて明るくなってます。
旧道の途中にあるので、この寺もさぞや歴史が有る寺だろおと期待しており、参道の途中にある石屋さんからトッツアンが出てきたので、中山峠へ行く旧道を通れるか聞いてみました。
「黒姫山へ行きたいのですが、この先にある道は通れるでしょうか?」
トッツアンは「行ける」と言って、「清水谷」へ行く道を説明し始めましたが、あっあぁぁぁ・・トッツアンすまねぇ、σ(*_*)が悪かった。
実は刈羽黒姫山の登山口は何カ所か有り、この付近では「清水谷」が登山口だと思われてるらしい。
σ(*_*)が予定している登山口は「折居」で、そのため中山峠の先に有る「女谷」集落へ行きたかったのです。
地図を出して、破線で示してある旧道と思われる山道を訪ねると「さぁ・・通れるか、わからない」と心細い返事しました。
うむうぅぅ・・すぐ近くに住みながら通った事が無いという事は、もうだれも通らなくなっちまったんだろなぁ。
やがて日も暮れる頃なので、国道を通ろうと思い、なんせ山道を歩いて途中から道がわからんようになり、暗くなったらオトロシイですからなぁ。
それでも、せっかく来たので「称名寺」へ行き参拝しました。
「称名寺」本堂の彫刻は、なかなか立派な物で龍が睨んでおり、入口の庇箇所には「三つ葉葵」の紋が貼ってあり、おぉぉぉ・・・徳川家と何か関係が有るのじゃろおか?
「称名寺」門前に案内看板が有り、それによると本堂の柱麓を巻いてる金属部分と、その階段の欄干の金属部分が「安政4年(1857年)」の作と書いてあり、正確には柱部分を「沓捲」、欄干部分を「擬宝珠金具」と言うよおでんなぁ。
尺八吹いて参拝してる時に蚊が寄って来て、あっ・・そうじゃった、蚊取り線香と防虫スプレー持ってくるのを忘れた。
今晩の野宿は、蚊の空襲が有るじゃろなぁ・・タバコの煙じゃ撃墜・反撃は無理じゃろなぁ
荷物を置いて身軽になって「称名寺」の外に出て、やっぱし、どうにもこうにもアキラメがつかんので旧道入口付近まで行ってみました。
入口には「何とか林道入口」という白い棒標識が立っており、道幅は車1台が通れる広さで除草もしてあります。
この調子ならば行けるのじゃないかなぁ・・と淡い期待を持ち、そこらの畑にいたオババに声を掛けて、通れるか聞いてみました。
「通れるが・・草がボウボウと生えており、車では無理じゃ。
はっ?・・歩いてか?・・歩いてならば草が生えていても、何とか道がわかると思う。
ここから村境までは草が刈ってあるが、鵜川の方からは刈ってないと思うでなぁ。」
これを聞いて、この旧道を歩くのを完全にアキラメました。
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