H20.6.7 巡礼 H22.3.10 UP
越後33観音霊場の8番札所「不動院」も、入口がわかりにくいかもしれまへんなぁ。
「黒滝」から旧道を歩いて「宮之窪」まで来て国道を横切る所までは良いですが、横切った後そのまま真っ直ぐな「実相寺」方面への道へ行っちまうかもしれまへん。
間違えて真っ直ぐ行きかかりましたが、三叉路に「石碑と石仏」が有ります。
最初は民家の庭石の一部か?と思ったのですが、念のためによぉ~く見ましたら千手観音の石仏で、石碑は何と書いてあるのかわかりまへん。
この石碑と石仏を見つけなかったら、地図を確認する事無く真っ直ぐに行ってたと思い、たぶん昔の旅人も、よぉ~間違って真っ直ぐに行っちまった人が多かったんじゃないかなぁ。
わざわざこの場所に石碑と石仏が置いてある意味が、よぉ~わかるが・・もおちっと、分かり易いようになってたら、もっと良かったと思う。
その道をまっすぐ行くと途中にも電信柱と一緒に石仏と石碑が有り、そおいうのを見ると、あぁ・・やっぱしこの道で良かったんだなぁ・・と安心しますねぇ。
石碑は「南無大悲観世音(左)」「千手観世音(右)」と彫ってあり、真ん中の石仏も千手観音かと思ったが、後ろから手が出て無いので普通の地蔵さんのようだ。
道を歩いて行くと、山の麓付近で道の突き当たりという感じで「越後33観音霊場」の7番札所「不動院」が有り看板も出ています。
「不動院」入口の石碑に混じって、チッコイ石仏?が有り、これがどうしてもタダの猿の石仏に見えるんです。
普通ならば、何とか観音とか菩薩・地蔵の石仏を置くと思うが、どう見ても猿・・だよねぇ・・苔むしており、いかにも云われ因縁が有りそうに思い、だれか知ってたら教えてね。
付近が樹木に囲まれているせいか、湿気った感じがする長い階段を上がりました。
上がった「不動院」境内の入口脇には、「よぉ~来たなぁ」という風に横座りしてる観音さんが浮き彫りにしてあります。
観音さんの下部・周囲には波のような物が彫ってあり、なかなか手の込んだ物だと思う。
対面には「高祖弘法大師」と彫り、大師さんが座っている、これまた大きい石碑があり、中心から少しづれて台座から落ちそうになっているのは中越沖地震の影響でしょう。
「不動院」本堂は6月なのに、まだ雪囲いが外されておらず、ふと見ると本堂・四隅と入口に白い物が置いて有り、ひょっとして残雪?・・と思い、近寄ってよぉ~く見ると浄めの「盛り塩」のよおです。
それにしても塩の量が半端じゃありまへんねぇ・・盃か茶碗に一杯位なんてカワイイもんでなく、ドンブリに三杯分位の量がドカ~ンと盛ってあります。
これだけゴッテリ盛ってあるのをナメクジが見たら、もう見ただけで「あっ、すみません・・次回にでも、日を改めて・・」と思い侵入して来ないじゃろうなぁ。
この「盛り塩」つぅのは「千客万来」の故事による意味で、商売関係の人が玄関先に盛るというのは知ってましたが、寺でも「盛り塩」をするとは知らなかった。
まさか、お寺さんも「千客万来」の故事でやってるのでは無いと思うが・・。
たぶん真言宗系統の寺だから、真言密教に係わる結界か何かの意味合いが有るのかもしれない。
「不動院」本堂の戸が開いたので内に入れましたが、やっぱり堂内は湿気った感じがして、付近の樹木が茂り過ぎてるからかなぁ。
天気の良い日に冬囲いを外して、そこらの扉も開けて空気の入れ換えをすれば、もおちっと良いのだろうに。
堂内には奉納額が有り、地獄絵やら馬やら観音さんが描いてあり、ふと気が付くと天井にも絵が描いてあり、これだけの事がしてある寺だから、「不動院」はやっぱし由緒正しいんでしょうなぁ。
ちと堂内が湿気っとるのが、どうしても気になるが・・・
今日は、この「不動院」で終わりなので尺八を三曲吹き、湿気った感じはするが「東福院」よりも落ち着いて吹けた。
時間が有ったら、もっと尺八を吹きたかったが、もう夕方6時なので帰りました。
帰る時に階段を掃除している人が居たので「本堂の左側より山道が有りましたが、あの先はどこへ行きますか?」
「あの先には先代の墓があります」
そか・・墓だったのか、先程少し行ってみたが急坂だったので途中で引き返して来たのです。
「ここの観音様は、元はこの山の頂上に有ったらしく、道が九十九折りになっており、その曲がる箇所毎に石仏が有ったらしいのですが、今となっては道がわかりません。 いつか探してみたいのですが・・」
というような話しを聞いて別れました。
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