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 山本五十六記念公園、「越後33観音霊場」只一人・紀行文 H21.7.1 巡礼  H22.8.21 UP


山本五十六記念館と「海ゆかば」/越後33観音霊場・只一人

山本五十六記念館

 長岡市に「山本五十六記念館」と言うのがあり、山本元帥がこの長岡市出身というのは最近まで知らなかった。 山本五十六記念館、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「山本五十六記念館」は民家の隙間に有り、記念館も民家のような形をしていたので、道端に看板が出てなかったら、わからんと思う。

 500円払って中に入ったが、山本五十六関係の手紙類が多く、あんまり見て面白い物は無い。

 あえて目に付くのは、撃ち落とされた山本長官機の左翼半分だけが展示されており、弾の跡も生々しく、側に長官が座っていたという骨組みだけの座席も飾ってありました。

 「山本五十六記念会館」内は写真撮影禁止だったので、館内の写真は無く、それなりに入館者は有るようです。

山本五十六記念公園と生家

山本五十六記念公園、「越後33観音霊場」只一人・紀行文 山本五十六記念公園・胸像、「越後33観音霊場」只一人・紀行文 山本五十六記念公園・生家、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 近くに通りを一つ隔て、「山本五十六記念公園」というのが有るので行ってみました。山本五十六記念公園・生家、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 普通のチッコイ公園なんですけれど、「山本元帥生誕の地」と看板が立っており、生家が復元されており、しかも、うれしい事に生家の中へは、タダで入れて自由に参観可能。

 記念公園内には水の無い池があり、正面には山本元帥の胸像が建っており、ネットで調べると、この胸像は本当は全身が有ったらしい。

 しかし、終戦後に進駐軍に壊されると思い、真っ二つに折って霞ヶ浦に沈め、後年に上部分を引き上げて、ここに飾ったらしいですが災難でしたねぇ。

 山本五十六記念公園・生家、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      山本五十六記念公園・生家・玄関、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      山本五十六記念公園・生家・一階、「越後33観音霊場」只一人・紀行文
 山本五十六記念公園・生家・一階、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      山本五十六記念公園・生家・一階、「越後33観音霊場」只一人・紀行文        山本五十六記念公園・生家・二階の勉強部屋、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 山本五十六の生家玄関から「こんちわ」して入ると、左の部屋に山本元帥の白い石膏胸像がデェ~ンと置いてあります。

 机の上に記帳ノートが有り、けっこう県外からも来ており、やっぱし山本元帥は今も変わらず人気が有ります。

 台所・トイレも復元されており、昔の家なので天井が低いのですが、階段を上がった二階の部屋は、もっと低く、ぶら下がってる電球の笠に頭がぶつかる程の低さだった。

 階段を上がった右側の二畳ほどの部屋が、山本元帥の勉強部屋だったらしく、こんな狭い部屋でクーラーも無く、よぉ~勉強されましたなぁ。

   山本五十六記念公園・生家・終戦の詔勅、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 下の部屋には2枚の大きいパネルが置いてあり、そのパネルに書いてある物は、だいぶ拡大コピーを重ねたためか、もんのすごく読みにくかった。

 一つは天皇が終戦放送された「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み・・耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・」という有名な原文を拡大コピーしたものでした。

 山本五十六記念公園・生家・「赤城」発信電、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 もう一つのパネルは、真珠湾奇襲の暗号電報の拡大コピーで、これもコピーを重ねたためか少し読みにくい。

 電報は3通有り、真珠湾奇襲時の激励電報は「皇国の興廃はこの一戦に有り・・」と巷では云われてますが、それは日露戦争の話のようであり、ここでは「皇国の興廃繋り此の征戦に在り・・」と書いてあるよおです。

 この激励電報が1通、他の2通は、有名な「トラトラトラ」と戦果報国の電報で、「発」が空母「赤城」となっているのが臨場感がありますねぇ。

 ちなみに「トラトラトラ」の電報に「我奇襲に成功せり」と平文で書いてありますが、だれが書いたのか、わからないらしく、言葉だけが有名になっちまったようです。

 通常では電報に、そんな事を書く必要がなく、後にだれかが付け加えて書いちまったという事を何かの本で読んだ事があります。

海ゆかば

 「海ゆかば」という歌は、昔は第二国歌と言われていたらしく、現在の60才代の人達でも、この歌を唄える人が何人居るだろうか、若い人達は、もっと知らないと思う。

 σ(*_*)も戦後生まれなので正式に教わった事が有りませんが、若い時に楽譜を見て覚え、美しく優しいメロディなのですが、日本より中国・朝鮮半島の方が大好きな、お花畑の人達は絶対に歌わないと思う。

 聞いた話ですが、老人ホームへ慰問し「海ゆかば」を演奏すると、この曲を聞いた老人は、その時だけ今までと違う(良い方に)変化するそうです。

 私も後年、筝の人達と「おさらい会」をした時、尺八で「海ゆかば」を吹く前に聞いてみると3名の御年を召した人が知っており、吹奏と共に軽く口づさんでおり、やっぱり懐かしいのでしょう。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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