H21.7.2 巡礼 H22.8.28 UP
左側には広大なタンボ・・・昔の「八丁沖」を見ながらテクテクと歩き、越後三十三観音霊場の16番札所「椿沢寺」へ。
長岡藩士が終結したという「椿沢」集落の旧道へ入り、念のため通りかかったオババに椿沢寺の場所を尋ねると「火の見櫓が有る所だ」と親切に教えてくれます。
歩いてると、右側へ入る道に大きい石が2個置いてあり、何か云われの有る石なのかなぁ・・と思って近寄ると、その石が有る通りに山門が見えました。
山門前にはオババが教えてくれた「火の見櫓」も有りましたが、この石に気付かなかったら、右の通りも見ずに通り過ぎていたかもしれず、どうせ教えてくれるならば、「道端に石が有るから、そこからの道に山門が見える」と言ってくれた方がわかりやすかったと思う。
山門には沢山のワラジが、くす玉のようにぶら下がっており、仁王さんもしっかり番をしておりました。
仁王さんの赤い肌に、少しホコリがかかってるのが目立ったが・・怖いというより、まん丸の目玉して、カワイイ~(ハァ~ト)・・という顔です。
山門を潜り少し行くと椿沢寺と書いた石門柱が有り、奥に本堂が見え写真を撮ってた時に気付いたのですが、石門柱の前にチッコイ案内標識が有り「本堂」「観音堂」と別方向を示していました。
あららっ・・本堂とは別の箇所に観音堂が有ったのね、この標識を見つけなかったら観音堂の存在も知らずに本堂の方へ行っちまってたろおなぁ。
観音堂までどれ位の距離が有るのかわからず、離れていたら疲れるなあ・・と不安に思いながら歩いてると、ちょうど民家からオバハンが出て来たので聞いてみると直ぐ近くだった。
「この先の二手に分かれた道を左側の坂道を行くと観音堂です。」
「あの・・その坂道からかなり歩かなければいけませんか? 山の頂上までとか・・・」とかなり距離にこだわった、なんせ疲れているので。
「いえ、坂を上がったらすぐです。」礼を言うと「ご苦労様です」と返してくれました。
教えられた坂道を上がると、越後33観音霊場の16番札所「椿沢寺」観音堂はほんまにすぐで、会津三十三観音霊場で良く見たような小さい造りの堂です。
観音堂の後ろは山を背負っているが、残る三方は民家に接して囲まれており、ううむうぅぅ・・これは尺八吹くとウルサイと苦情来るかも・・と思い、一曲だけ吹いて参拝しました。
ここで初めて観音堂の横板に貼ってある「越後三十三観音霊場」巡りの納札を見つけ、永い年月に晒されたらしく、また虫に喰われていたので年月はわかりません。
へえぇぇ・・こんな納札を作って越後三十三観音霊場を巡った人が居たんだなぁ、今まで気がつかなかった、しかも県外の人じゃねえか・・・
時刻は12時で、昼までに見附市まで行けると思っていたのだが、予定より遅れている。
長岡市を出て以来、ここまで店が無かったので、堂の階段に座り、前日に買っておいた非常食の大福餅を食べた。
観音堂を出てから椿沢寺本堂に寄って参拝しようかと迷ったが、疲れてたのでヤンピして通り過ぎました。
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