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 「相田分校跡」付近、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  H21.8.5 巡礼   H22.10.6 UP


「小木ノ城」と創作「清水伝説」/越後33観音霊場・只一人

「小木ノ城」へ

百合、「越後33観音霊場」只一人・紀行文       「小木ノ城」へ、「越後33観音霊場」只一人・紀行文       「小木ノ城」展望台、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「小木ノ城」への坂道を歩いてると、ふと草藪の中に生えている一輪の百合が目にとまりました。展望台より「小木ノ城」を望む、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 へえぇ~・・よくこんな所に一つだけ咲いてるなぁ・・と思って付近を見ると、他にも数株の百合が生えており、何という百合の種類かわかりまへんが見事な大輪で、だれかが植えのか、自然に生えたのか・・

 「小木ノ城」は山城なので、山の頂上までけっこうな坂道の距離があり、昔の人は城勤めするのにも、たいへんでしたろおなぁ。

 だいぶ頂上に近づいた頃、道端に綱が張ってある展望台があり「危険のため立入禁止」という看板が立っています。「小木ノ城」・「千貫門」付近、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「ふう~むうぅぅ・・どれほど危険なのじゃろうか。 我、試みに上りて展望台の捨て石とならん」と決意を込めて展望台に登ってみると、確かに床板が腐りかかっており、危ないと言えば「あぶない」わなぁ。

 その危険な展望台からは、「小木ノ城」に有る二つの鉄塔が見え、ちなみに「おぎのじょう」と呼びます、「おぎのしろ」ではありまへんでぇ。

 さらに少し坂道を上がって行くと、草藪の中に「千貫門跡」という看板が有りましたが、そこらに門跡らしき遺物は一切無く、草の繁りがすごかったので探さなかった。「小木ノ城」頂上付近の石仏、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「小木ノ城」跡へは以前に一度車で来た事が有り、石碑が有る程度で、たいして面白い所でも無かったような気がする。

 今回、もし道の途中から「小木ノ城」を直接に通過する脇道が有ったら、ついでに寄る予定でしたが道は無く、車道から「小木ノ城」へ行く道しかないようだったので行きませんでした。

 尾根伝いの林道とぶつかるT字路の高台に「二十三夜塔」とチッコイ地蔵さんが有ったが、何であんな高台に有るだろ?・・昔は、その高さの所が道だったのかな?

「小木ノ城」林道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    西越小学校相田分校跡、「越後33観音霊場」只一人・紀行文   「相田」集落へ、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 林道を少し歩くと「小木」への別れ道に、何となく昔の旧校舎のような建物が有り近寄ってみると「西越小学校相田分校跡」の碑が立っていました。

 今は「小木城山荘」の看板が掛かっており、建物には塗装がほどこしてあるが、あんまり使用されている様子でもない。

 地図にはこの辺に集落が記されていないが、数件の家が有り今も人が住んでるよおで、昔は、こんな山奥にも学校が有ったんですねぇ。

「越後33観音霊場」只一人・紀行文 そお言えば、熊野古道・本宮道を歩いた時にも、人里離れた山奥の所に立派な小学校跡地が有ってビックリした事があった。

 学校跡地から少し離れた所で一休みし、モクを吸い終わって出発しようと腰を上げたら、車が一台麓から上って来て、σ(*_*)の目の前で停まりました。

 こんな所へ麓から来るなんて珍しいなあ・・と思いながら車を見ると、相手もこんな人気の無い山の中で、一人ポツネンと何しとるんじゃろ?と思ったのか助手席からオババが顔を出しました。

 一応、軽く挨拶はしたが、お互いに相手が珍しいつうか・・怪しい者と思ってる者同士で・・ジロジロと眺め・・・まぁ、こっちも珍しいカッコウをしとったが・・。

清水

 清水と石仏、「越後33観音霊場」只一人・紀行文     清水、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      清水脇の石仏、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 麓へ向かって下りて行くと、山際に小さい赤い物が見え、どおもコップのようなので清水かもしれないと思い行ってみると、塩ビパイプから清水が流れています。

 側には、あんまりキレイでないコップが二つが置いてあり、付近を見るとチッコイ地蔵さんと、風化して模様が見えなくなっている石仏らしい物が置いてあります。

 ふうむ・・コップが置いてあり、なおかつ石仏も置いてあるからには、この水は飲めるじゃろおと解釈して、あんまりキレイでないコップをゆすいで清水を飲んでみると冷たかった。

 もし腹が痛くなったならば清水のせいではなく、この汚いコップが原因だと思うが、幸いその後も腹が痛くならんかった。

 清水の近くに置いてある石仏は表面も見えなくなるほど風化している所を見ると、かなり昔から出ている清水だったんでしょうが、清水の説明看板も何も置いてありまへん。「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 この道の利用者は、昔は山越えをした人が居たかもしれませんが、今となっては先程の校舎跡集落の人が利用する程度の道です。

 この清水は地元付近の限られた少数の人しか知らない「名も無き清水」なのでしょうが、こおいう清水は、たいてい弘法大師の伝説がある事が多い。

 何も云われが無いのはサミシイので「哀愁巡礼清水」とか「涙マーク遍路清水」と名付けて、勝手にこんな伝説を作ってみたのですが、どないでっしゃろ。 「相田」集落付近、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 今は昔・・越路の国に、小汚くも無名の遍路有り。
 その修行せし様は、作務衣・笠おば肩に掛け、また尺八を背負ひ

 作務衣は何時となく汗臭く、犬に吠えられ、各地の辺地をぞ常に踏む。
 巡礼寺にては、人の迷惑かえりみず、勝手に尺八を吹きて響きを惜しまず

 何を血迷いしか 人より忘れられたる越後霊場を訪ね、さまよひ浮浪す
 灼熱の渇き倒れし時 涼風と共に憐れみを持ちたる三十三化身観音現れ いと冷たき清水を指し示す。

 小汚き巡礼 側に有りし同じく小汚い器にて清水飲みて感涙し トボトボと何処へともなく去りぬ
    ナモナモナモ・・・ナモナモ・・・

        (一部「梁塵秘抄」「三教指帰」よりのパクリ)


 車で通るだけでしたら、この清水は見つられず、歩いてたからこそ見つけれたと思う。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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