H22.6.7 巡礼 H23.2.2 UP
朝6時、道の駅「豊栄」より聖籠町に向かって出発、朝露に濡れる道をテクテク・・
越後三十三観音霊場の番号順通りに巡るならば、次の札所は「乙宝寺」なのですが、聖籠町に有る29番札所「宝積寺」へ寄り道した方が、後行程の新発田市を大回りしなくても良いので、こちらを先に参拝しました。
県道556号の歩道は、歩いたり自転車に乗って通行する人がほとんど居ないためか、歩道に草が茂っており、せっかくキレイに作ってある歩道なんだけれど、除草しないんでしょうねぇ。
工場の建ち並ぶバス停で一休みして、再び歩き出し「佐々木」集落で、道端から見るとそれなりに格式の有りそうな神社が有るなあぁ・・と見ながら歩いてると、自転車に乗った男子中学生が大声で挨拶して行きました。
神社入口に「日本三太子 佐々木聖徳太子」と書いた看板が立っており、あんまり・・と言うよりも、「三太子」と言うのを今まで全く聞いたことがありません。
看板には「大阪 四天王寺、八尾市 勝軍寺」と書いてあったので、これらを合わせて「三太子」と言うようです。
話しの種にでも・・と思い境内に入り、つい先程休んだばかりでしたが、堂の濡れ縁に荷物を置きました。
境内を散策すると幼稚園が併設されているようで、隣の堂横には俳句を書いた額が奉納されていました。
再び出発して、テクテク・・・道端で話していたオババ、通り過ぎる女子高校生やネーチャン達、4~5人が挨拶してくれます。
この付近は見知らぬ人にでも挨拶する風習が有るのか、それともσ(*_*)の後ろから後光でも差していたのか・・・
「山三賀」付近の「追分」交差点を渡って、ヒョイと対面側を見ると電柱と松の間に石が有り、どうもその石が道標のような形に見えます。
交差点を渡って確かめてみると、やはり石の道標で、風化し崩れて字が読めませんでしたが「右何とか、左なんとか」と書いてあるようです。
交差点の地名といい、この石道標といい、この付近は交通の要所だったんでしょう。
「諏訪山」集落で観音寺の位置を聞くと、「ここから村はずれの所にビニールハウスがあるから、そこの道を小高い山へ向かって歩き、その山の周囲を回ると山門が有る」と丁寧に教えてくれました。
テクテク歩くと、確かに村はずれ付近よりコンモリした小さい小山が見え、問題のビニールハウスの道を曲がると、そこには「諏訪観音」の案内看板が隠れていました。
これじゃあ、こちら方向から来る人はビニールハウスの陰になって、わからんじゃろなぁ、聞いておいて良かった。
小山の麓を廻ると越後33観音霊場の29番札所「宝積院」山門があり、そのコンモリした頂上に聖籠観音堂が有るよおです。
一応念のため管理している「宝積院」へも入り、門前に文化財の品名を書いた看板がドッシリと立っていましたが、失礼ながら境内にはあんまり見るべき物は無かった。
ただ門前に「庚申」と彫った漬け物石のような石が、ズラッ~と2列に並んで立っており、最初それを見た時は何かわからず、2列に並んでいる石の間を歩くのが正しい道なのかと思ったが、どうも歩きにくそうで違うようだ。
聖籠観音堂の山門前には、石で作った仁王さんの顔が彫ってあります。
普通こおいうタグイの物は、仏さんとかの全身像を彫ったタグイが多いのだが、仁王さんの・・・しかも顔だけ彫ってあると言うのは今まで見た事が無く初めてで、これだけが単独に有ると、何か不気味ですなぁ。
聖籠観音堂・山門にも仁王さんは居ましたが、目球が無く、サラシを捲いてあり、見るからに痛々しくどこかケガされたのでしょうか?。
聖籠観音堂の欄間は、波間から出てくる龍が彫ってあり、なかなかのように思える(一番上の写真)。
久々に野宿したためか、まだ午前中なのに疲れが出ており、尺八参拝は、いつもならば2曲吹くのですが一曲だけにし、しかも疲れ果てていたためか、納札を入れるのまで忘れちまい注意力が散漫になりますねぇ。
次の箇所へ出発するため裏道から降りようとして、ふと聖籠観音堂を見ると、堂の後ろにも階段が有ります。
こおいう小さいお堂では、普通後ろに階段なんか作らないのだが・・・ひょっとすると、ここの観音さんは霊力が強すぎて後ろ向きに置いてあるのかもしれんと思い近寄ってみました。
そこに賽銭箱が置いてあれば、確実に後ろ向きに安置されてるのでしょうが、残念ながら賽銭箱は有りません。
ちなみに、この付近の地名「聖籠町」は、どこかから来た徳の高い僧がこの観音堂を守ったので「聖が籠もる山」と言うのが由来らしい。
尺八を吹きながら小汚いジジイが籠もっても、笑われるか追い出されるだけでしょうねぇ。
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