HOME > 遍路・巡礼 > 「越後33観音霊場」地図と目次 >156 三条(32番 宝塔院)

 三条・つつじ、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  H23.5.18 巡礼  H23.6.22 UP


三条市「宝塔院」より五十嵐川へ

三条市内

 三条市内へ向かって、テクテク・・

 正直言って、都会や町の中は面白い物が、なあ~ぁも無いので、あんまり歩きたくない。三条市内へ、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 しかし、そんなゼイタク・ワガママ言ってもしょうがありまへんねぇ。

 国道403号線と289号線がぶつかった交差点には、ツツジの花が満開でした(一番上の写真)。

 そこに中華料理店が有り、昼飯時だったので食べようかなぁ・・と思ったが、これから行く所は北三条駅の近くなので、もっと食堂が有るだろおと思い入らなかった。

 今までの経験から、こおいう場合は、ひょっとしたら食堂が無いかもしれんという不安感は有ったが・・・

32番「宝塔院」

 32番「宝塔院」入り口、「越後33観音霊場・只一人」紀行文    32番「宝塔院」地震亡霊塔、「越後33観音霊場・只一人」紀行文     32番「宝塔院」、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 そんなこんなで、三条市内の住宅地を歩き、鉄道架橋の有る箇所よりホンマに細い路地へ入り32番「宝塔院」へ着きました。

 ここの寺も境内に墓が押し寄せてますが、町中だから仕方が無いでしょう。

 墓の中を歩いて境内へ入った方が近かったが、狭い道を通って正面から入りました・・σ(*_*)マジメだから・・でも、出る時は遠慮せずに墓の中を通って帰ったが・・32番「宝塔院」三条地震の惨状、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 入口の門柱付近に案内看板が有り、それによると良寛さんも、この「宝塔院」へ来たらしい。

 墓が立ち並ぶ所にも案内看板があり「千坂姫墓」は、三条城主の奥方様の墓らしい。

 するってえ~と、この寺は由緒正しいお殿様の菩提寺だったのかな?

 その横の案内看板には「地震亡霊塔」と言って江戸時代に三条を震源地とする地震があり、その供養塔の説明でした。

 ここ三条で地震が有ったというのは知らなく、改めてその付近を見直すと大きな五輪塔が有り、最初に見た時は灯籠かと思ってた。

 案内看板が無かったら、その他大勢の墓の一部と思って見向きもしなかっただろなぁ。
         32番「宝塔院」彫刻、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 「宝塔院」本堂に掛かっている、龍の透かし彫りも見事です。

 本堂の扉が開いたので中に入ると、目の前一面にナイロンカーテンが吊してあり内部の様子は全くわかりません。

 たぶん鳥除けのために、カーテンを吊るしてあるのだと思い、よっぽどカーテンを開けて堂内を見ようかと思ったが止めといた。


 堂内の様子も見えないカーテンを前にして参拝したましたが、そんな状態でもここは思ったより響きが良かった。

 この寺は幼稚園も経営してるよおで、境内にはアンパンマンやメロンパンナちゃんが飛んでますが、園児などが遊んでいなく、お休みだったのでしょうか?32番「宝塔院」境内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 境内には、いかにも「お堂」という感じの建物が有り、最初見た時はそれが観音堂だと思ったのですが違うよおで、たぶん昔はそおだったのでしょうが、今は幼稚園の一施設か物置になってるよおです。

 中を覗き見たかったが、「大きい子はここで遊ばないでください」と書いてあります。

 そか・・たまにはアンパンマンに座って、久々に童心に返りたかったが、いい年したジジイが座っていたら、どこの痴呆老人が家から逃げて来たのかと、近所の人が心配するといけないので、堂には近寄りませんでした。

五十嵐川へ向かって

    三条市、「越後33観音霊場・只一人」紀行文      東三条駅、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 「宝塔院」を出るとJR架橋の下が歩道になっており、良い日陰になっており、このまま架橋の下を歩けば東三条駅まで続いてるのでしょうが、ちと遠回りになるので途中より外れました。

 東三条駅では期待していた食堂が無く、駅の売店の物ではなぁ・・腹が減ったぁ。

 東三条駅の外でモクを吸ってるオバハンに「線路を越えた向こう側に行きたいのだが、この付近に道があるか」と尋ねると、モクをふかしながら「少し行った所に横断橋が有る」と申し訳なさそうに教えてくれました。
三条市、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  三条市・マンホール、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  三条市、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 午後3時頃、世間では「おやつ」の時間になって、やっとスーパーを見つけて弁当を買い、外のベンチで昼飯を食べました。

 やっぱり食堂が有ったときは、入れる時に食べちまうのが鉄則ですねぇ・・都会だから駅近くに食堂が有ると思ったら大間違いです。三条市・菊の紋の鬼瓦、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 フラフラ歩いてると道端の工場は、ほとんどが金属関係の工場で、そお言えば三条は刃物や金属食器等を扱う「金物の町」だった事を思いだした。

 そう思いながら歩いてると道端に、大きな鬼瓦が置いてあり何気なく眺めると、ゲッ・・!!

 畏れ多くももったいない、下々の人にとっては、まともに見たら目がつぶれちまう「菊の御紋章」が飾ってあるじゃねえですか。

 これは皇族関係の方が関わっている、どなた様かの会社かと思い、会社を改めてしげしげと見たが、言っちゃあぁ悪いがそれほど高貴な方が経営されてるようには見えなく、普通のありふれた会社に見えます。

 側に立っている看板を見て、やっとこの会社は「瓦屋」さんだとわかりましたが、菊の御紋を勝手に作って置いても、ええんかなぁ・・それとも皇族関係の家に、瓦を納めた記念なのかな?
  三条市・清流大橋・ひめさゆり、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   三条市・五十嵐川、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   三条市・五十嵐川・船番所跡、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 五十嵐川に架かる「清流大橋」には、この付近の名物の「ひめさゆり」が描いてあります。


 空は快晴、五十嵐川に沿った土手をトロトロ歩いてると「村松藩高岡船番所跡」と書いた白い木杭が有りました。

 何か案内看板が無いかと思って付近を見渡しましたが、石が一つポツンとサミシソウに草むらの中に有るだけです。

 昔は今のようにアチコチに橋が掛かってないく、渡し船が主力だったよおで、この付近にも渡し船が有ったよおです。
 五十嵐川沿いの道、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   五十嵐川土手、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   五十嵐川付近、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 遠くの山には、まだ残雪が残っています。

 歩いてると川沿いの土手に石碑が有ったので、何か面白いモンの云われかと思って見に行きました。

 何の由緒が書いてあるかな?と思って見ると「御即位記念櫻樹」と彫って有りますが、大正天皇なのか昭和天皇か記載されてまへん・・まさか平成天皇ではないじゃろなぁ。

 近くには桜の木が無く、土手の向こうに数本の桜らしいのが見えるが、それの名残りかしら?


 井栗観音、「越後33観音霊場・只一人」紀行文←前頁「井栗観音」へ  次頁「五十嵐」へ→五十嵐、「越後33観音霊場・只一人」紀行文


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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