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   五十嵐神社・狛犬、「越後33観音霊場・只一人」紀行文  H23.5.19 巡礼  H23.6.25 UP


三条下田の五十嵐神社と火焔土器

下田の名木五十嵐川、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 橋を渡って「鹿峠」集落へ・・「鹿峠」は「峠」と名付いてるので、山越えをする峠名かと思ったが、単なる集落名らしい。

 人家の前に看板が有り「下田の名木」と書いて有るので、改めてその木を眺めると、おぉぉ・・そお言われれば盆栽のような形の良い松が生えてます。

下田の名木、「越後33観音霊場・只一人」紀行文



 へえぇぇ・・・たいしたもんだなぁ・・と感心して見ましたが、どおやら「下田郷文化財調査研究会」というのが、これぞという古い大きな木を「下田の名木」としているよおです。

 この木だけを特別に指定したのかと思ったら、この先にも何本かの「下田の名木」が有りました。

五十嵐神社

注連懸大杉五十嵐神社・鳥居、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 五十嵐神社に着き、ここは「延喜式社」という平安時代の神社名簿にも載ってる古い神社で、全国の「五十嵐」姓の源流だとからしい。

 鳥居前の石碑には「伊加良志神社」と、いかにも旧名らしく彫ってあります。

 鳥居を潜り階段を上がると境内にそれらしい神社があったので、これが本殿かと思ったら「注連懸大杉」と書いてあります。五十嵐神社・境内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 ほほおぉぉ・・ここは大杉がご神体だったのか、珍しいなぁ・・と思い、ガラス越しに中を覗くと、大杉の胴体に注連縄が張ってあり、由緒書きも有りました。

 さぞかし腰を抜かすほどのスンゴイ伝説が有るのだろおと読んでみると概略は次の通りでした。五十嵐神社・注連懸大杉、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 何とか天皇の皇子がこの付近を開拓してたが、トシのためか何でか死因はわからんがお隠れになりました。 

 その陵墓の門口にある二本の杉に注連縄が張られたが、室戸台風で枯れたため地上5mの部分で切り取り安置した。


 二本飾ってある杉丸太の真ん中に神様棚のような物が有り、これがご神体かと思ったが、古来から有る神社にしては、ちと規模がチャチ過ぎるなぁ・・と境内を見渡すと、境内の隅にさらに階段が続いてます。

本殿

五十嵐神社・階段、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   五十嵐神社・階段、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   五十嵐神社・拝殿、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 その階段を上がると目指す本殿が在るかもしれない。五十嵐神社・舞台、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 気が短い、あわて者の人だったら、この大杉の建物もそれらしい立派な物だったので確かめもせずに、これが本殿かと思って参拝して帰っちまうでぇ・・と思いながら上がると、さらに階段が有りました。

 おぉぉぉ・・さすが、いかにも古来から伝わる神社ですなぁ・・チットばかしの階段を上がった位では、そう簡単に本殿を拝せないよおです。

 その最後の階段を上がると境内には、それなりの落ち着いた五十嵐神社・本殿が有りました。五十嵐神社・五十日帯日子命陵墓、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 境内には舞台が有り、縁日には鼻を垂らした稚児さんが踊ったり、近所の娘さんが臨時で巫女さんになって舞うのでしょうか。

 境内をウロつくと「五十日帯日子命陵墓」と彫った石碑が有ります。

 この命の名前は聞いた事が無く、由緒書きでもあればええんだが、そお言えば先程の大杉の云われに天皇の皇子がどうのと書いてあった。

 するってえとおぉぉ・・ここは畏れ多くももったいない、皇族のお墓に神社が建ってるの?五十嵐神社、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 ネットで下調べした時に、この五十嵐神社は全国の「五十嵐」姓発祥の地らしく、良寛さんも訪れたそうで、話しの種にも、ぜひ寄ってみたいと思っていた神社です。

 二曲吹いて参拝し、静かで落ち着いた雰囲気の有る良い場所です。

 たまに近くにある小学校から子供の声が聞こえましたが、σ(*_*)の尺八の音は、学校まで届いたでしょうか?

 ゆっくり尺八を吹いて過ごしたい神社でしたが、この先に有る「越後明暗寺跡」にも寄りたかったので出発しました。

下田郷資料館の火焔土器

オバハンの挨拶

 五十嵐神社の直ぐ近くに「下田郷資料館」が有り、入口のベンチにドカッと座って一休み。

 五十嵐神社でも休んだのですが、この資料館にも寄ってみようかなあぁ~と思ったもんでして。下田郷資料館、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 オバハン達数人が次々と資料館に入って行き、ベンチにドテッと座ってる見知らぬσ(*_*)に愛想良く挨拶して行き・・こんなに愛想良く挨拶されたのは初めてだ。


 今までだったら胡散臭そうに目を合わさず、避けようとされるのが常だったが、それは単なる思い違いで、ヒョットしたらσ(*_*)って年増のオバハン達から好かれるタイプなんじゃろか?。

 なあ~ぁんだぁ~・・そおかぁ~、そおだったのかぁ~・・σ(*_*)はオバハン達にモテてるタイプだったのだ。
 それならそおと、だれか早く教えてくれれば良かったのにぃ。

 そおとわかれば希望を持って、これからは明るい老後を送れるぞお。(^O^)ワッハハッハッ・・と、アホな誇大妄想が次々に広がり・・・しばし浸っちまったじゃねぇか・・おい、だれか止めてくれぇ。下田郷資料館、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 資料館の入口にノートが有り、そこに名前を記載するのかと思ったが、それはここの施設を利用する人が記載するようです。

 チラッと見た限りでは、ここで居合の練習もしてるよおですねぇ。

 σ(*_*)もずうっと昔の美青年だった頃、佐渡で居合をやっており、試合の時に三条や加茂市の先生の模範演武を見た事が有るが、まだ生きておられるかな?・・と、ノートを見てふと思いだした。

 先程の挨拶したオバハン達は、1階の道具室で自転車漕ぎの運動をしてます。

火焔土器

 資料館は二階で、ちなみに無料です。下田郷資料館・土器破片、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 階段を上がった所に「下沼が下田となりしなり」と題して、「何とかの命」が馬に乗って指さしてる絵が描いてあります、

 説明書きを読んでみると、五十嵐神社に石碑が有った「皇子五十日足彦」という名が有り、北陸開墾のためこの地に降りて開墾し田圃にしたよおです。


 ガラス戸棚に火炎土器が飾ってあり・・ワアオォォォ~!!・・・本物の火焔土器でっせぇ、初めて実物を見たぞぉ。

 ちょうど荷物を運んでる職員の人に、火焔土器の写真を撮っても良いかと聞くとOKだった。
       王冠型土器・下田郷資料館、「越後33観音霊場・只一人」紀行文       火焔型土器下田郷資料館、「越後33観音霊場・只一人」紀行文
 飾ってある全部の土器が「火焔土器」かと思ってたら、「王冠土器」つうのも有って、どこが違うかと言えば、上部の火焔部分が、もおちっとアッサリしとるのが「王冠」らしい。下田郷資料館内、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 知らなかった・・トッツアン、知ってたぁ?・・(土器の写真を見比べてください)

 縄文土器だとの事ですが、こおいう考えもつかないよおな斬新な模様デザインを良く思いついたもんだと思う。

 この火焔土器を作った人は何を思い、何を考えながら作っていたのじゃろか。

 資料館内には、昔の民家内部の生活を復元した間取りコーナーが有り民具等も展示してありました。

下田郷資料館内・居間、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   下田郷資料館内・寝間、「越後33観音霊場・只一人」紀行文   下田郷資料館内・土間、「越後33観音霊場・只一人」紀行文

 


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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