H23.5.19 巡礼 H23.6.29 UP
「森町」付近に橋が有り、この橋手前に横へ逸れる道が有るはずなんだが・・と思い、地図を見直した時に丁度店先に出ていたオバハンに聞くと、少し手前の古びた堂の横道を行くのだった。
横道の坂を上っていると、民家の庭先にピンクの花が咲いており、どうもこれがウワサの「ヒメサユリ」らしい。
黙って勝手にデジカメで撮っちゃいましたが、ピンクの花びらの百合なんて、なかなか珍しいでんなぁ。
この付近にだけ咲いてる名物らしいく初めて見ました。
「長禅寺」の道端に案内看板が出ており、寺の案内かと思ったら「高城城跡」の説明で寺の事は書いてありまへん。
大きそうな寺でしたが、見所も無いようなので寄りませんでした。
「熊に注意」の看板を見ながら、しばらくテクテク歩いてると、道端に赤い幟が立っているのが見え、また地蔵さんかな?・・と思ったら、そこが目指す33番「最明寺」の入口でした。
山門が有って仁王さんも番をしており、正面の龍の彫刻もなかなか良く、周囲にも数点、何の縁起かわからんが精巧な彫刻が有ります。
山門を潜ると、すぐにザアッ~と杉並木の一本道が続いており、これまた情緒が有って良いですなぁ。(一番上の写真)
最近は手入れするのがたいへんで、味気ない風景になっちまうのが多いけれど、まだせめて越後三十三観音の結願寺だけでも、このような情景を残していてくれて良かったと、つくづく思う。
これで越後三十三観音巡りは終わりなので、観音堂ではケジメとして暗譜している全曲吹くつもりでしたが、疲れていたので三曲だけ立って吹奏し、残る三曲は階段に座って境内に向かって吹奏しました。
曲を吹きながら、やっぱり思い出しますねぇ。
歩いていた時の数々の出会いや出来事が・・涙こそ流さなかったが・・。
想い出す数々のその瞬間毎に「これで終わった」という気持ちと、懐かしくも名残り惜しいという複雑な気持ち。
これを達成感というのでしょうか、この気持ちだけは歩いて巡った経験が有る人でないとわからんと思う。
今まで会津・信濃霊場を巡りましたが、その時は自転車・車などを利用していたので、巡り終えた最後の寺では、そんなに感慨は無く、アッサリと「終わっちゃった」でした。
しかし、四国遍路した時と同じように、やっぱり歩いて全てを巡るのは、車を利用した霊場巡りとは達成感が一味違います。
あっ・・別に歩く方がエライとか、何とか・・どうとかと言うつもりは全然有りませんので、誤解無きように。
テレビでやってるバス巡礼で心が洗われた・・なんて、全部ウソッ。
「越後三十三観音巡礼バスが有るのは知っている。
自分も巡りたいと思ってるが、四国でのバス巡礼で懲りたので、バス巡礼だけはしたくない。
自分で巡っても良いが、納経帳を作るのに人が住んでない寺が有ったり、お寺の中にはオカシナ寺が有ると聞いてる。」
オカシナ寺・・つうのは、ネットで見ると2寺ばかり該当するようですが、σ(*_*)が巡った時には、そんなオカシナ事は言われ無かった。
たぶん納経帳を作らなかったので、寺の坊さんと話す機会も少なかったからだと思うが、もしオカシナ事を言われたら、たぶん四国遍路で鍛えた論調で徹底的にやっつけてたと思う。(^O^)
オババにもう一人の連れが居たので、その人にも納札を記念にあげたら「こんな大切な物を、どのように扱えばよいのか?」と聞いてきた。
「いや・・べつにそんなに大切にされるほどの物でも無いので・・
不要ならばゴミ箱に捨ててもらっても良いし、気が収まらないのであれば、どこかの神社・寺の賽銭箱に入れてください」
「玄関の入口に貼っておくと魔除けになるし、財布に入れておくと自分を守ってくれる」
おぉぉ・・さすがバス遍路と言え、四国遍路をしただけあってオババは、よぉ~知ってるなぁ。
しかし、これによって何も知らない人に納札を渡すのも考えものだと思い、こちらとしては記念のつもりで気軽に渡しているが、貰う方としては見慣れない納札の取り扱いに困るようです。
「越後三十三観音霊場記只一人」紀行文は、これにて完了しました。
完
巡礼期間 :約3年半 平成19年10月6日~平成23年5月19日
実巡礼日数:42日間 野宿:13日(他の泊は、車中泊or自宅)
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