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高浜町・伊弉諾神社付近、西国33観音霊場記 2019/3/29 巡礼


高浜町「伊弉諾神社」/西国33観音霊場記

    「青郷小学校・高野分校」付近、西国33観音霊場記            高浜町、ショートカット、西国33観音霊場記

 この附近に来ると京都府舞鶴市から福井県・高浜町になります。

 車道を歩いてると「青郷小学校・高野分校」の看板が有り、その坂道を見上げると学校が少し見え、これが木造校舎ならば喜んで見に行くのだが、木造校舎では無いよおなので寄りませんでした。

 これを書いてる時に調べると高野分校は「休校中」のよおですね、見ておけばよかったかな。大きい樹木、西国33観音霊場記

 学校より少し行くと車道が大きく「く」の字になっており、ショートカット出来ないかと思って見渡すと農道が有った。

 地図を見て確かめていると、畑に居たオババが「その道(農道の事)を通って行くと良いよ。皆その道を歩いてる」と教えてくれました。

 オババに礼を言って農道を通り、再び車道に出て歩くと道端に大木が立っており、根本には石仏二体奉ってあったので、さぞかし云われの有る銘木だろおと思い、側に立ってる立札を読んでみると「山菜採り厳禁」と書いてあった。

 おいおい・・ここは樹木の名前か、カワイソーな伝説を書いておく方が良いんじゃないかなぁ。

「ウッド・ヒルゴルフクラブ」脇の道、西国33観音霊場記   旧道、西国33観音霊場記   高浜町・旧道、西国33観音霊場記
伊弉諾神社・高浜町、西国33観音霊場記
 国土地理院の地図を見ると、その付近から旧道が有るはずだがわからん。

 そのまま車道を歩き、国道まで行かねばアカンかなぁ・・と思いながら歩いてると「ウッド・ヒルゴルフクラブ」の脇道の電柱に「↓シールが貼ってあり、このシールを貼った人も旧道を見つけれなかったのだろう。

 わずかな距離を行くと三叉路になり、探していた旧道と合流しました。伊弉諾神社・鳥居、西国33観音霊場記

 真っ直ぐのタンボ道(一番上の写真)を行くと神社があり「伊弉諾神社」と鳥居に書いてありますが、学が無い人間なのでこの「伊弉諾」を何と読むのか、わかりまへん。

 これを書いてる時に調べると「いざなぎ」と読むらしく、神社の規模より由緒の有る神社だとは思ってましたが、 そんな畏れ多い名前の神社とは知らず、境内の階段で一休みしました。

 でもって、この伊弉諾神社付近の道は、西国33観音霊場・松尾寺より高浜町へ通じる巡礼道だったらしい。

      関屋川沿い、西国33観音霊場記           「高浜町・小和田」付近、西国33観音霊場記

 関屋川に沿って歩き「小和田」集落へ入った所で、トッツアンに「中山寺へ行ってきたのか」と聞かれ、「西国33観音霊場を歩いており、松尾寺から来た。」と言うと「自分も車で四国遍路を4回した。」と言います。「小和田」より青葉山、西国33観音霊場記

 トッツアンは、遍路・巡礼の話をしたいよおだったが、こちらも先を急いでいるので適当な所で話を切り上げて別れました。

 それにしても、この附近は西国霊場の松尾寺よりも、中山寺の方が有名なのだろうか。

 これを書いてる時に調べてみると、中山寺は「北陸33観音」霊場の第一番札所らしく、存在を知っていたら寄ってたかもしれない。

 この附近から青葉山を見ると、よおやく三角形になってきたが、まだ若狭富士のようには見えません。

「小和田」付近の橋、西国33観音霊場記   関屋川、西国33観音霊場記   タンボ道、西国33観音霊場記
「高浜町・東三松」海岸より青葉山、西国33観音霊場記
 「関屋川」沿いに歩いてると橋に矢印マークが有り、地図では川沿いにそのまま「西三松」まで行くようになっています。

 しかし、マークを信じて橋を渡ったらタンボ道のような所を歩いて「東三松」までショートカットできて、人家の庭先のような所から海岸に出ました。

 海岸護岸に屋根の無い、柱だけの休息所が有りベンチに座って一休み

 静かな海ですねぇ。

「高浜町・東三松」海岸・休息所、西国33観音霊場記   「高浜町・東三松」海岸・タイル絵、西国33観音霊場記   「高浜町・東三松」海岸・波打ち際、西国33観音霊場記


  松尾寺、西国33観音霊場記←前頁「松尾寺」へ   次頁「若狭富士」へ→若狭富士、西国33観音霊場記


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。


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