HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 1 虚無僧との出会い
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1番「霊山寺」は、これから遍路に出発する人達で、ごった返しており、もうすぐ春だという、その日は朝から冷たい小雨が降っていました。
最初の一巡時(以後、特に断りが無い限り歩き遍路での事)、この霊山寺・大師堂で納札を箱に入れた時、隣で参拝している中年のオバハンが「・・・頼みます・・お願いします・・なにとぞ、なにとぞ・・お願いします。」と必死に小さい声で祈る声が、聞くともなく聞こえました。
宇宙にロケットが飛ぶこの時代・・それでも何かにすがり・・・・すがらずにおられない事情・・・これほど真剣に祈る姿を間近に見たのは初めてです。
あれから1年・・あのオバハンの願いは通じたでしょうか・・・堂内でホコリを被って鎮座している、本尊さん・大師さん、いかがでっしゃろ?
「お礼参り」という言葉があり、88番まで巡ったら、この1番に戻りお礼参りするという習慣です。
しかし、昔の人は
「そんな風習、だれが言い始めたんじゃ。
1番とか2番という番号は、便宜上につけた番号であって、なにも1番から始めなければならんという事はなく、自分の家から近い寺より始めれば良いんじゃ。
また88箇所を巡ったら、トットと自分の家へ帰るか、高野山へ行ったもんじゃ。」と言います。
一番から二番(極楽寺)は門前の国道を歩いて10分ほどで着きます。
雨が降っており。境内では信心深い人達が傘さして乱立し、その傘の林の隙間をぬって、行き場を失ったカラスみたいに荷物の置き場を探し、境内をウロウロしとると越後屋があわてて来ました。
どおした足でも踏まれたから、文句を言ってくれと言いつけに来たのかと思ってたら「大師堂で尺八吹いてる人がいる」と注進します。
おぉぉ・・・さっそく拝聴し、今後の参考にしようと思ったら、もう終わってこちらの方へ向かって歩いてくる途中で、荷物に尺八を突っ込んでいるところへ挨拶しに行き、話しかけると姿形は遍路でしたが本物の虚無僧でした。
よし・・次の寺で待ち伏せして、何がなんでも本物の尺八を聞こう・・・と、モタつく越後屋を急がせ、あわてさせ・・・
三番(金泉寺)に着いた時、どおせ二番の納経所は団体で混んでいたから、虚無僧さんがここへ着くのは遅いだろう・・
その間に自分の参拝を済ませて、ゆっくり虚無僧の曲を聞かせてもらおう・・・フッフッフッ・・・と思って参拝しとる時に虚無僧さんが来ちまった。
越後屋が言うには、私の後ろ近くで参拝しとるのをじっくり聞いていたらしい。
しもたあぁ~・・先に聞かれっちまった・・うむむぅ、こおなったら次の寺じゃ。
小雨降るなか再び雨具を着て、一巡の時に休んだ「導引大師」の縁側を横目で見ながら先を急ぎます。
途中でミニに迷いそうになってたバサマに声をかけ、少し先の「愛染院」の縁側でバサマと共に休息していると、そこへ虚無僧さんも着きました。
うむむむぅぅ・・ずいぶん足が早い人やなぁ・・・納経所は団体で混んでおり、時間がかかると思ったんだけどなぁ。
ちなみに私達は、納経帳も掛軸も作ってまへん。
車で一巡した時に納経帳を作っていたので、待ち時間もかかるし、その費用も馬鹿にならんと思っとるケチな不信心者でごぜえます。
「愛染院」の本堂で参拝すると、虚無僧さんも自分もしなきゃアカンと思ったのか参拝して曲を聞かせてもらいました。
すんまへんねぇ・・先を急いでおられるのに・・・
曲の始めに「ホロホロホロホロホロ・・・」と鳥が羽ばたくような音をさせたので聞いてみると、その場に居る霊を呼び集める音だそうで、うむぅ・・やっぱし本物の人は、やる事はちがいまんなぁ。
話をして、私の吹奏していた曲名と派をズバリ当て「少し自分の手が入ってますね。」と言われました。
恐れ入りやした・・・何を隠そう、私は正式に師に付いて曲は習っておらず、CDを師とし暗譜したものを趣味で吹奏している独学で、そのスジの人から言わせれば、私は「立派なニセモノ」あるいは「でっちあげ」と言われる者でごぜえます。
私のような自己流の崩れた曲を吹奏する者が出てくると、正統な師より伝統を受け継ぎ学んだ人達との間に混乱が生じ、第三者の人にはどれが本来残ってた正しい吹奏か迷う・・と指摘・注意された事があります。
そのため聞かれない限りは曲名を言わず、言ってもその場限りの人とか、独学で自己流だと必ず伝えています。
この虚無僧とはここで別れて、後日、焼山寺から降りる途中にもう一度だけ会いました。
4番(大日寺)は、雨のため境内が泥濘んで、やっぱり荷物の置き場がありまへん。
先程の迷子になりそうになったバサマや、大きい荷物を担いだアンチャンも、境内をどこへ行ったらよかんべぇ・・・・とウロウロしとるので、納経所の庇下にベンチが有るのを見つけ、二人に声をかけて呼んであげました。
バサマは70才ぐらいで秋田から、たった一人で遍路しに来たと言い、アンチャンは自分の気弱さを克服するため野宿遍路に出たと言います。
5番(地蔵寺)へは、今来た車道をまっすぐ降りると着きますが、途中の「五百羅漢」の境内を通って行きました。
「五百羅漢」は前回参拝したので、今回は雨も降っておるし一応敬意を表してね・・・
しかし、それにしてもこの「五百羅漢」は参拝者が少ないなぁ・・・と言うより、参拝者を見た事がない、ほんとは地蔵寺の「奥の院」なんだけど。
信心深い人たちは知っておるのか、知らんのか・・・88カ所寺でないと関係ねえや・・と思っとるんか・・・
後日再会した虚無僧は、ここを参拝したらしく「あの寺内で尺八吹けば響くだろおなぁ・・」と言っており、うん・・今度吹いて見よう。
「五百羅漢」の境内を突き抜けて階段を降りると、地蔵寺の裏から入れます。
普通なら、このまま6番寺へ行くのですが、番外「大山寺」へ行きました。
旧道の町並みを歩き、分かれ道を注意してたのですが、わからかったので近くの家で訪ねると、少し戻った所が別れ道で「へんろ標識」が無かった。
地図のとおりクイッと90度右へ行く道を見当をつけて歩き、6番寺と「大山寺」との三叉路で一休みし、この三叉路には大きな木が生えてます・・何の木かわかりまへんが・・
この頃から雨も上がり、曇り空になりました。
地図ではかなり車道を行くようになってますが、少し行くと「へんろ標識」が横道へそれるようになってます。
まぁ・・行ってみるべぇ・・「飛地蔵堂」を通り、ミカン畑を突き抜け・・・・草におおわれた細い道が二手に別れており、どっちへ行ったら良いかわかりまへん。
頼りの道標とか遍路札も見当たらず、越後屋を残して道を偵察し、まっすぐの道が行き止まりと思われるので左道へ行きました。
これが正解の道で、かなり荒れており、木の枝が道に張り出しておりましたが無事車道に出ました。
やっぱり番外の寺へは車で来ても、歩いてくる人は少ないのでしょぅなぁ。
それでも以後の車道より遍路道へ入る所には、標識等が有りそれほど迷わず「大山寺」へ着きましたが、道はやっぱり少し荒れていました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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