HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 22 足 跡
H15/8/15UP
遍路道沿い(国道321)に「大文字山」という看板が立っており、どこにその大文字山が有るんだと探すと・・・おおぉぉ・・・向こうの小山に、何となく「大」と書いてあるような山が有るでねぇですか。
ここは歴史が有って旧盆に実際に火を付けるらしく、一度そおいえばテレビで見ました。
津蔵渕を小川に沿って歩き、伊豆田トンネルが見えるバス停付近で、しばし休憩・・歩道の反対方向に寺があり、そこで休めば良いんだけど車道を横切ってまで行く元気が無い。
伊豆田トンネルへ入ると、長い・・長ぁ~いぃ・・・
車の排気ガスを吸わないように・・息をなるべくしないように・・、ガマンしながら20分近く歩くのも、きついでんなぁ。
伊豆田トンネルの外へ出るとホッとし、久しぶりの新鮮な空気を深呼吸しなが歩いて「真念庵」へ寄りました。
「真念庵」の云われが書いてある読みにくい看板が、道端に立ってます。
その脇道を上がりつつ、民家の側とか畑の畦道を、ホンマに行けるのかと心配しながら歩くと、畑の側にこんもり木が生い茂った所に古い階段が目につきます。
二巡目に来た時は、草が生えて少し荒れてる感じで、蚊に刺されるので早々に退散しました。
三巡目に来た時は境内敷地は、少し落ち葉が溜まって閑散としながらも綺麗にしてあり、落ち着いた雰囲気が有り、地元の人が掃除しているのかもしれまへん。
「市野々」付近の国道と旧道の分かれ道付近の木陰で休んでいると、バサマ二人が話しながら目の前の家に入り、玄関でしばらくそのまま立ち話しており、よっぽど大事な、積もる話が有ったんでしょうなぁ。
そのうち連れのバサマが帰った後、家の中からバサマが接待だと言って、アメとミカンを持って来てくれました。すんまへんねぇ。
三巡目に気がついたんですが、「下ノ加江」から三原村経由への道は立派な車道がありますが、途中の橋を真っ直ぐ渡ると、この「市野々」へ出るよおです。
国道と比較すると距離的には、そんなに変わらんようですが、「下ノ加江」から「市野々」へ向かって歩いた時、車道を通らず耕地整理で真っ直ぐな田圃の道を通った方が近道のような気がしました。
そこへ丁度トッツアンが国道から橋を渡って、その耕地整理した道へ向かって散歩してるでねぇか。
地元のトッツアンも歩いてる事だし、車道を確認しながら行けば良いだろおと思い、その後を付いて歩いてみました。
地図に載ってない道を、わざと選び自分の判断で歩くのはワクワクしまんなぁ。間違ったら、どおしょう・・と思うには、思いましたが・・・
そしたら、田圃道に入った所に古い遍路石があり、きっと昔の道はトッツアンが渡って来た橋から土手沿いの道を歩き、ここで分かれ道が有ったのでしょう。
耕地整理されていても、よぉまぁ・・残してくれたものです。
普通なら工事の邪魔で、どっかに埋められっちまったり移設されたりするところですが、人知れず残された遍路石は、なんともいえん情緒がありました。
真っ直ぐな田圃道をテクテク・・・トッツアン、足が早いでんなぁ。
トッツアンは途中で車道方向の道を行きましたが、田圃道はまだ真っ直ぐ続いています。
トッツアンの後を付いて行こうか・・迷いましたが、真っ直ぐの道が、まだまだ続いてるし・・・トッツアンは、そこらの近所の人で家に帰ったんじゃろお・・と思い、そのまま真っ直ぐ行くと・・・
あらっ!!・・・川の土手に出ちまって道が有りまへん。
50mほど離れた所にある橋を、さっきのトッツアンがテクテクと歩いて行くのが見えます。
あんらあぁぁ・・トッツアン知ってたのね・・このまま行くと道が無いのが・・・
今更引き返すのもシャクだし・・、よっしゃあぁぁ・・このまま土手沿いに行けば橋の麓まで行ける、そおなりゃあ・・こっちのもんじゃ。
トッツアンに追いつくのも楽勝じゃ・・まかせとけ越後屋。
文句を言い始めた越後屋を叱咤激励し、土手を少し行くと藪になって、それ以上進めまへん。
こおなったら、もう越後屋は口をきいてくれまへん。
川へ降りて対岸へ何とかして渡り、橋のたもとに着くと、今度は橋へ上がる土手のコンクリートが高く、どおやってよじ上ろおか・・・
杖を土手の上に放り投げ、コンクリのわずかな突起物に手やら足を差し込んで、ヒーコラ・・言いながらよじ上りました。
事情を知らん人が見てたら、「あの遍路・・・あんな所で何をアホな事やっとるんじゃ・・」と思ったやろなぁ・・
昔の人が道無き道を歩いた苦労が偲ばれる、ドエレエ修行を経験させてもらいました
「久百々」付近の海は綺麗でんなぁ・・・
一巡の時、あんまりにも海の色が青々と澄んでおり、景色が良いので海側の方ばっかし見ながら歩いてたら、途中からの遍路道へ入る場所を見過ごしちまった。
広大な「大岐海岸」の砂浜は、やっぱりだれでも悲壮感を持った主人公のつもりで歩きたい箇所です。
一・二巡は、時期が夏でサーフィンとか海水浴の人がいて悲壮感とは縁遠い賑わいがありました。
三巡の時は12月の早朝だったので、人影もなく砂浜には自分だけの最初の足跡が残る絵になる風景でしたが・・・
越後屋が喜んで先に歩いちまい、トットと足跡付けやがってぇ・・・ワシも初めての砂地に足跡を付けたかったのにぃ・・・(T_T)
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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