HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 4 出石寺
H15/10/19 UP
二巡の時、番外札所「出石寺」へ行くつもりでしたが、札掛大師に「出石寺へは遍路道が整備されていないので不通」という主旨の立て札が有ったので、歩いて行くのを断念して車で行きました。
車で行っても遠い所で、高い所の山道をSカーブやらUカーブになっており、人家がたまに有る程度で店もなく・・こりゃあぁ・・歩いたらドエレエ目に遭う所じゃ。
食料を持って行かんと、道に迷ったら餓死するかもしれん・・というような感じです。
そして行き着いた出石寺は、こんな遠い山頂に、よぉ~まぁ~・・これだけの資材を担いで作ったもんじゃ・・・と思うほど、88箇所の札所寺にも負けない位のデカイ立派な寺でした。
出石寺での参拝が終わり、境内の見晴らしの良い石のベンチに座って尺八を吹いてると、若い坊さんが後ろに来て吹き終わるのを待ち、「先程の護摩堂で吹いた曲名は何か? 聞いた事のある曲だ。」と尋ねます。
普通は各堂毎に一曲づつ違う曲を吹くのですが、護摩堂では一曲だけで終わるのがチトもったいないと思い、つい数曲吹いたので、その曲名を言いました。
後でわかったのですが、この坊さんも尺八やってたのですねぇ。
そんならそれで、もおチットつっこんだ尺八の話したのに・・
遍路道の事を聞くと「麓からの道を整備したと聞いたが・・」と言うので、地図を取り出そうとすると「地図は当てにならん」と言います。
たまに遍路が来て泊まって行く人も居るが、日帰りで帰る人もいるとの事・・・
ふぅ~むぅぅ・・日帰りでも可能か・・・よっしゃ、今度挑戦してみよ。
三巡目の秋、麓の伊予平野駅付近に車を置かせてもらい、出石寺へ向かって歩き始めました。
出石寺の坊さんは、地図は当てにならんというので「2万5千分の一」の地図に、たぶんこれが遍路道じゃろおなぁ・・・と思われる道筋に赤鉛筆で書き込みをしました。
山で迷子になっても、聞く人もおらず、だれも助けてくれんからなぁ。
しかし、なんせ老眼になって来たのか、今までの近眼と乱視が加わっているためなのか、地図の道と等高線が一緒になっちまったりして・・・それでも、大方の予想で書き込みを終えました。
「平野」からの道をテクテク・・・おぉぉ・・ここが地蔵寺じゃな・・で、このカーブを曲がって行くと・・さすが地図にはウソが書いてないわい、これが有れば万全じゃ!(^^)!
橋を過ぎた付近に遍路標識看板が二つ立っており、「地蔵峠経由」と「○○経由」と二手のコースが書いてあります。
あらあぁぁ~・・・そんなの聞いてねえぞ、一つのコースだけだと思ってたのにぃ。
そこで、σ(*_*)はあくまで「○○コース」が正しいと思っとったのですが、越後屋はガンコに「「地蔵峠経由」が正しい」と主張します。
ええぃ・・わからんヤツ目・・オラには苦労して書き込んだ地図が有るんじゃ、確かめてみい・・と、取っ組み合いのケンカをおっ始めようとした時・・・
さっき挨拶したジサマが、軽トラで通りかかり「途中まで載せてやろうか」と言います。
遍路道の事を尋ねましたが、よぉ~わからんらしく・・・出石寺が遠いのがわかっていたので、軽トラの荷台に載せてもらいました。
ジサマの軽トラは、S字カーブも何のその・・トシに似合わずビュンビュン飛ばす・・飛ばす・・そのオトロシイこと・・荷台の縁にしっかり掴まってないと振り落とされそうです。
最初の集落に来た所で、前回に出石寺へ車で来た時と違う坂道を突っ走ります。
はらあぁぁ・・ジサマ・・道が違うんでねぇのか・・・と不安に思い越後屋を見ると、荷台にしがみつきながら、同様に不安と後悔の目でσ(*_*)を見ます。
あっ!!・・こらあぁぁ!!・・そんな目でσ(*_*)を見てもしょうがねぇじゃろが、こっちを見るんじゃねぇ!!・・あっち向いてろ!!
かなりの距離を走り、どこがどこだか、わけのわからん山の中腹で車が止まりました。
方向感覚も、ついでにどっかへ振り落とされっちまって、現在地がどこなのか、さっぱりわからず、「ここはどこ?」「ワタイはだあれ?」の状態です。
ジサマ、お願えだぁ・・・オラ達を、こんな所へ捨ててかねぇでくんなせぇ・・・と不安の色を隠さずに、礼を言いながら「現在地は、どの辺になるのでしょうか?」と地図を出しました。
地図をチラッと見ただけでジサマは、「さぁ・・どの辺かなぁ・・」
ワアァ~ン(T_T)・・そんな事言わないでぇよぉ~、オラ達これから、どおなるんじゃあぁぁ~(;_;)
「じゃけど・・こっちへ来なせぇ・・。
ほれっ、この道が地蔵峠からの遍路道で、そこに登って行く山道があるじゃろおう・・それが出石寺への遍路道だわね。」と教えてくれます。
見れば、下から登って来る道は深い山林の急坂の山道・・・これから登る道には、おぉぉ・・・遍路札がぶら下がってるでねぇか・・・!(^^)!
た・・助かったあぁぁ~・・、現在地がどこか、わからんが、とにかくこれで遍路道を確認出来るぅ。!(^^)!
ジサマに伏し拝まんばかりに礼を言い、麓で越後屋とケンカしましたが越後屋の言ってた道が正く、あれ以上ケンカしなくて良かったなぁ。
車を降りた所から少し遍路道を上がると、すぐにキリシタン大名だかが逃れて来た碑が有り、こんな山深い所まで逃げて来たんやねぇ・・と思いながら登りました。
道は少し荒れてる所が有ったり、枝道が多く有りましたが、枝道の箇所には遍路札が下がっており迷う事は無く、前回に車で来た時の見覚えが有る車道へ出ました。
出石寺の坊さんが言った通り、山中においては地図が有っても樹木が邪魔になるので物標が見通せなく、地図は全く頼りにならず、遍路札だけが唯一の頼りでした。
車道から遍路道を再び歩くと、分かれ道になっており、一方は石仏を置いて88箇所巡りできるようになっています。
遍路札が無く、どっちへ行っていいかわかりませんでしたが、車の通る排気音が聞こえるので、寺までそんなに遠くないよおです。
そいじゃあぁ・・巡る番号が小さくなる方が近いじゃろおうと石仏の方へ行きましたが、ドエレエ、キツイ山道でした。
出石寺に着くと法要をやっており、境内の食堂でウドンを食べて一休み。
あんまりユックリすると帰り道が暗くなると思い、1時間ほどで出石寺を出発して、前回お坊さんから教わった下りの遍路道を降りると、途中に幽玄とした木立に「片目地蔵」というのが有り、けっこう願掛けに来る人が多い気配がします。
そう言えばさっきウドン食べてた時、店の人と客が話してたのを黙って聞いてたら、だれそれが「片目地蔵」をお参りして何やらが治り、御利益が有ったという逸話を話てたなぁ。
そこをさらに下ると、上がって来た時にどっちへ行こうかと迷った石仏88箇所のある二手に道が分かれる所へ出ました。
元来た車道をテクテク・・・途中から、登って来た遍路道を降りずに、今度はそのまま車道を歩き西大洲へ向かいました。
前回、車で通ったので、なあ~んとなぁ~く・・見覚えが有りますが、途中には、ほとんど・・いや全く遍路札が見当たリません。
この道でええんかなぁ・・まぁ、いつかは麓へ降りると思うから、ええけど・・・あんまり遍路が来ない所だから、しょうがねぇやろなぁ。
分かれ道に、やっと遍路標識が有り・・ホッ!!と安心・・!(^^)!
山の高台から下界の大洲市がバアァ~~ンと望める所をテクテク・・・
ぼちぼち下へ降りる遍路道が有るはずなんだけど・・・と思いながら、テクテク・・・
あっ・・小さい集落が有った・・この辺かな?・・下へ降りる車道も有るし・・
地図を見て付近の特徴を見ると、まだ先のようで、こおいう見通しの良い場所だと、地図も役に立ちます。
道端でオバハン3人が立ち話してるので、西大洲へ降りる道を尋ねました。
降りる道は、いくらでも有るけど・・分かり易い道は、もう少し山をかわした所に公民館が有るから、その横の道だと教えてくれました。
ついでに道端に立っているデッカイ石の事を聞くと「ドルメン」とか言って、古代の人が建てたらしく教育委員会も調査しに来た所だと説明してくれました。
側に説明書きが有って、読んでみると「高山ニシノミヤ巨石遺跡」と書いてあり、こおいう物も聞かなかったら、そのまんま通り過ぎちゃったろおなぁ。
教えられた通り・・テクテク・・あっ・・カーブの所に家屋が有り公民館のようで、その雨樋に遍路マークが付いており、これが遍路道だとわかりました。
別れ道にも遍路札が有りましたが、ちと見落としやすいかもしれんなぁ。
車道を横切る、数カ所の遍路道を降りて再び車道をテクテク・・地図では、大きいカーブの所に下へ直線的に降りる遍路道が有る事になってます。
「へんろ道保存協力会」の立札が倒れかかってるのを起こしてやり、その付近の下り小道を行くと畑が有り、道が二手に分かれてます。
これだろお・・と思って行った道はヤブになっていて、永年人が通った気配が有りまへん。
こらアカン・・車道に戻ると、丁度軽トラが来たので手を挙げて停まってもらい遍路道を尋ねると
「アンサン・・遍路道は、平野の方へ降りるんだわねぇ。
今、アンサンが言ってる道はオラとこの畑へ行く道で、オラ達が作った道だがねぇ。
まぁ、どおしてもそこを通って下の道へ行きたいなら、畑の右の道を降りると、この道にぶつかるよ。
まぁ、チットは近道になるかな・・」と教えてくれ、かなり急な道を下って車道に出ました。
車道をテクテク・・
今度はちゃんとした遍路道を見つけ・・よっしゃあぁぁ~・・これで西大洲まで一直線じゃあぁぁ~!(^^)!
と喜んだのですが・・・遍路道から車道に出た所の鉄塔近くに畑が有り、そっちの方向へ行くのか車道を進むのか・・・その付近で遍路札を探したのですが有りません。
ぼちぼち4時頃・・秋の日暮れは早く、5時近くなると暗くなります。
道探しをあきらめて車道を歩き・・U字カーブ道の恨めしい事・・・まっすぐ突っ切れたらなぁ。
麓近くになると薄暗くなり、朝方ジサマの車に乗せてもらえなかったら、灯りも無い山道で真っ暗になり、越後屋と心細さのあまり、手に手を取って泣きながら歩いたか、ケンカしながら道を下りた事でしょう。
西大洲駅に着いた時は、夕闇が終わって夜になる寸前でした。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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