HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 15 親なれば
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ビュンビュン車が通る国道196号線の信号も無い箇所を、車のスキマを見計らって国道を横切り、線路を越えてしばらく行くと「世田薬師」が有ります。
「世田薬師」は、思ったより大きい寺で、一巡時に本堂付近でしばらく休んでから参拝しました。
法事が予定されてるらしく、寺の中を走り回っていた小さい男の子が、尺八を吹き始めると何が始まったんじゃ・・と、ワシの参拝風景を遠慮なく真正面からジロジロ見に来ます。
子供は珍しいモンには、正直で素直な態度をしますなぁ(^O^)。
参拝が終わると喪服を着たオバハンが、茶・菓子をお盆に入れて持って来てくれ、しばらく話しをしました。
三巡の時は、本堂内に入って参拝したけど、やっぱり法事の打ち合わせを中でしており、檀家が多いんかな?・・この寺は・・
旧道を通りテクテク・・・
日切大師の前に光明寺があり、この寺は関係寺ではありませんが、住職は遍路のために気配りをしてくれるので、お世話になった人も多いでしょう。
やがて丹原町へ行く大きい道とぶつかり、横峰寺と興隆寺との別れ道になります。
二巡時に興隆寺へ行く途中、この分かれ道の所で、若いアンチャン遍路が追い越して行こうとしたので話をしました。
アンチャンが「今から横峰に登って、香園寺まで行くのは無理だろおか?」と言うので
「もう昼近く・・これから急いで横峰へ行けたとしても、香園寺へは6時過ぎになると思う。
秋の夕暮れは早く、山道で暗くなると危ないから無理せずに麓の宿で泊まりなさい。」
と言って別れました。
興隆寺は山の中腹付近にあり、その麓からの登り道が急坂でエライ目に遭うんですわ。
で・・やっと寺の駐車場に着いて、もうすぐだと喜んだら、アキマへんでぇ・・・その先も、けっこう有るんです。(^O^)
駐車場の所に「弘法大師の杖と足跡」の看板が有り、側に畳み一畳ほどの石が横たわってます。
言われてみれば・・これが杖跡で・・これが足跡かなぁ・・と、無理にそう思おうとしたら思える物です。
もっと良く見ようとしたら、ヘビがサササッ~・・と逃げて言ったので、コワイからそれ以上近寄らんかった。
秋に行ったので境内の紅葉が綺麗な所でした。
興隆寺から帰る途中、先ほどのアンチャンと出会い、麓で宿を取って時間が有るのでここへ来たと言います。
別に約束したわけでも無いのですが、アンチャンは急いで寺へ行き納経帳を作ってσ(*_*)らに追いついて来ました。
坂道の見晴らしの良い所で
「ほれ・・あそこに連なっている遠い山々に雲がかかっとるじゃろおぅ。
あれが明日、アンチャンが登る横峰の山じゃ、今日無理して行かなくて良かったじゃろ」
と指さし教えてやると、アンチャンは黙ってしまいました。
そおじゃろおなぁ・・あんな雲のかかる遠くて高い山だと思わなかったんじゃろおなぁ・・距離数だけで考えてたんでしょう。
「これから他の関係寺を巡るから、σ(*_*)らにかまわず宿へ行き、明日のために休みなさい。」と言いましたが、このアンチャンは、一緒に久妙寺、生木地蔵まで付いて来ました。
よっぽど話相手も居なくて、人恋しかったんだろうか・・・
聞けばσ(*_*)とこの子供と同じ年で、遍路に送り出した親御さんも心配しとるやろおに・・。
「家の人に遍路すると言ったら、何と言ってた?」「別に・・・ふぅ~ん、そおか・・という感じだった。」
「今頃、親御さんは心配してるでぇ。」 「そおでしょうか・・・」
「そらそおに決まってるがなあ。
わけても見も知らん遠い所へ、たった一人で旅に出すんだから、どんな親でも心配してるがなぁ。
たまには家へ電話しとるんか?」 「してない・・」
「今晩、宿に着いたらすぐに「今ここに居る」の一言だけでも良いから電話してやれ。
それだけでも親が安心するから。」
実は、σ(*_*)の子供にも遍路を勧めて歩かせました。
σ(*_*)の場合は経験者として、子供にあらゆる助言と準備のアドバイス等を可能な限りしましたが、それでもやっぱり心配でした。
あそこで迷わにゃ良いが・・あの場所では犬が吠える所なので、噛みつかれなければいいが・・・
雨が降れば、雨の中を歩いてとるんじゃろか、ちゃんと雨宿りしとるやろか・・
日が暮れて夜になったら、どっかの橋の下で寝とるんかなぁ・・
無理せんと宿に泊まればええんだが・・
と心配の種はバケツで汲んでも、汲みきれません・・親バカでんなぁ・・(^_^;)
σ(*_*)の子供が遍路していた事を思うと、越後屋は、このアンチャンを、とても他人事と思えんと言います。
ちなみに子供が遍路した時、以前に書いた「遍路クマさん」と一週間ほど一緒に歩き、いろいろ教わって得る事が多かったよおです。
また「庵の坊さん」とも話す縁が有り、話の途中でσ(*_*)の事が話題になった時、自分の親だと言ったらビックリして、奥さんを呼ぶやら何やらで、えらい気に入られて、弟子になれとも言われたそおです。
子供の出発前に「庵の坊さん」へは、よっぽど「一晩泊めて話しをしてやってくれ」と紹介状を書いて持たせようかとも思ったのですが、「縁」という事を考えて思い留まりました。
「ここに、こおいう坊さんが居るが、もし縁が有って話をする機会が有ったら話をしてみろ。
だけど、わざわざ呼び出したりしてまで話す必要は無い。
それは、未だお前が坊さんと会うべき縁が来て無いのだと思え。」と言って送り出しましたが、縁は有ったよおです。
再びアンチャンに
「庵の坊さん」と会ったか?」「会った・・・」
「で、難しい話をしただろう。(^_-)」「うん、全然わからんかった・・・」
「そやろおなぁ(^O^) 鎌大師に寄ったの?」
「はい、寄ったら、お茶出して本をくれました。
そいで、白衣を持ってなかったので、この白衣(袖無し)をもらいました。」
「ふうぅ~ん・・・(だれかが、置き忘れた物をくれたんかな?)」
「あのオバアサンが、昔、遍路してた時に着ていた物で、自分の手縫いだそおです。」
ゲッ!!・・・な・・な・・何やてぇぇぇぇぇ!!!
何たる貴重品を、このアンチャンは事も無げに・・!!
良く見ると、既製品で売ってる安物(といっても高いが)の白衣とちがい、白い「チャンチャンコ」と似ている形で、確かに手縫いでシッカリした物でした。
「これは欲しがる人は、どんな大金を出しても手に入れたいと思う物だ、ええもんを貰ったなぁ。
大切にして家宝にしろ、何でも鑑定団に出したら、ドエライ値が付くかもしれんでぇ。」
「はぁ・・」
このアンチャン、その白衣がどんなに大切な物か、よぉ~わかっとらんようじゃ・・どうせくれるのならば、σ(*_*)にくれれば、えかったのにぃ・・まぁ、拝見できただけでも、良かったのかもしれんが・・。
久妙寺の境内には人影が無く、たぶん昔は接待所だったと思われる家屋が有りました。
その中に入ると大きな竈に釜が有り、奥には本堂に取り付けてあったろうと思われるデカイ鬼瓦が飾ってあります。
きっと、昔はこの釜でお湯を沸かし、室内の部屋で休む遍路・参拝客に湯茶の接待して賑わってたのでしょう。
今は使う人もなく、ホコリっぽく感じられたけど・・・
生木地蔵で堂内へ参拝しに行くと、アンチャンも付いて来たので
「無理しなくて、いいんだよ、σ(*_*)の参拝は長いから。
正座もマネしなくてええから、アグラでも良いんだよ。」
と言ったんだけど、アンチャンはちゃんと正座して最後まで付き合いました。
5時頃で雨も降り始め、生木地蔵にバイクを置かせて貰ってたので、アンチャンに「元気でな」と言ってバイクで車を取り行くため別れました。
残った越後屋もアンチャンに「もう遅くて暗くなったから、早く宿へ行って休みなさい」と言ったのですが、アンチャンは何故か、いつまでも別れがたそうにしてたそおです。
σ(*_*)らは札所寺を順番通りに巡ってなく、休みの取れ具合と相談しながら区切り遍路をしています。
区間を決めて行き先を変更しながら遍路してるんで、このアンチャンとは、もう二度と会う事は無いだろおと思ってましたが、「伊予三島」近くの三福寺で偶然もう一度会いました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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