HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 22 極 意
箸蔵寺へは車で行きましたが、登り口がわからなく、たぶんここじゃろおう・・と思う、車1台がやっと通れるようなS字の山道を登ると、大きい山門があり、真上をケーブルカーが通っていました。
そこからの参道は広く、秋の木の葉が散って、ええ風情でんなぁ。
赤い屋根の付いた広い橋のたもとに烏天狗の石像があり、階段を上ると境内かと思ったら、先にまだ階段が有り・・ゲエッ・・(T_T)
箸蔵寺は大きい寺で、寺というより鳥居も有るので神社という感じです。
納経所で別格の数珠球を買い、この寺の遍路道を聞くと「よぉ~わからん。住職なら知っとると思う。」と言うのであきらめ、ボケッ~と境内でヒマつぶしをしてると偶然にも住職が車で帰って来ました。
さっそく遍路道を聞いてみると、
「麓からの上がる遍路道は、ケーブルカー乗り場近くに店が有ったと思い、そこのラーメン屋の横に登り口があるが、ほぼ一直線に上がってくるので、きついでっせぇ。
雲辺寺へ行く遍路道は、そこのケーブルカー乗り場にある道を少し行くと、やがて二手に分かれるので右へ行けば良いが、しかし、だれも通らないから、荒れてるやろおなぁ。
うん?道幅は車一台が通れる位の幅が有ると思うが、草が繁ってると思う。」
話は変わりますが後日、別格20寺の数珠玉を全部集めたので、店で数珠を作成してもらい、受け取りに行った時、そこの店のオヤジさんと遍路の話などをしました。
その時、普段は自分から尺八吹いて巡っている事を、絶対に他人には言わなかったのですが、話をしているとオヤジさんは僧職の資格を持っているというので白状して聞いてみました。
実は・・・と、尺八を吹いて巡っている事を打ち明け、今まで遍路しながら歩いていたが、今一つ、ただ吹き続けて巡っていても、どおなんかなぁ・・と思っている。
このまま吹き続けながら巡っていると、どおなるのか?
それで良いのか?・・止めた方が良いのか?
もっと他の事を、しなければならないのか?
今後も尺八を吹き続けながら巡るならば、どのような考えで巡れば良いかを尋ねました。
「迷っておられるんですなぁ。」
「へい、自分としては、一応、瞑想のつもりで吹いており、もっとも、その深い意味もよぉ~わからずにやっています。」
「それでは、アカンなぁ・・・」
あらぁ~・・やっぱし、アカンかったのね・・・(T_T)
「あのおぅ・・・何でアカンのですかいのおぅ?」
「確かに、心の浄化を心がけて吹いておられるのは結構だが、それだけではアカンなぁ。
アンタのやってる事は、自分だけが助かろうとしとる事じゃ。
そおではなく、他の人を助けねぇとなぁ。」
ううむぅぅ・・確かに言われてみると「吹禅」は、自分だけが助かろおうとしているのかもしれん・・このオヤジさん、よぉ~見破った。
「そおですねぇ・・だけど、どおすればええんか、わからんのです。
人を助けるという気持ちで吹いてると、知らずにいつのまにか高慢になっちまう恐れがありますので・・これだけは、絶対に避けたいんですわ。
それに、自分でもまだ納得しとらん吹奏を、他の人が聞いても納得しないと思います。
そんな吹奏で果たして人を助ける事が出来るでしょうや?」
「ホントは、こおいうのは、どの宗派でもええから、だれか師に付くとええんだけどなぁ。」
「実は「庵の坊さん」にも、暗に含めて弟子になれ・・というような事を言われましたが、まだ俗世に未練が有り、その気にならんので、言葉を濁しました。(^_^;)
尺八で具体的に人を助けるというのは、どのような事か教えてくんなせぇ。」
「例えばやのおぅ・・・病院で死にそうな人がおったとする。
その病床付近で尺八を吹く人を10人位並べて順番に吹かせたとする。
次々吹いていって、アンタが吹いた時に、死にかかってる人の心電図に変化(良い意味で)があった時だわなぁ。」
「むずかしいでんなぁ・・・」
「そや、むずかしいでぇ。
普通ならヤカマシイと言われて追い出されるやろなぁ。(^O^)」
「そおなるには、どのような事をすれば、良いんで?」
「自然と同じになるように・・・、アンタが吹いていても小鳥や動物が逃げずに、小鳥も近寄って鳴くようになった時やなぁ。」
うんうん、「庵の坊さん」も、よおぅ似た事を言ってたなぁ・・・
「尺八を吹いてる、あるいは吹こうと思ってるというのではなく、尺八自体が自然に自ら鳴ってる・・・というような事やなぁ」
このオヤジさんは音楽や尺八の事を知らないのに、尺八の「極意」「真髄」と言われてる事をサラッと言い、鋭い所を突きました。
というのは、「尺八を吹こうと思うな」「尺八自らが鳴るように」という言葉を本で読んだり、人からずいぶん聞いた事が有ります。
しかし、そん時は「うんうん・・なるほど、ええ言葉やなぁ・・心がけんなんなぁ・・」と思ってたのですが、頭の知識だけで、いつのまにか忘れっちまってました。
オヤジさんが言ったその瞬間、初めてその指し示してる意味が、ガアァ~ンとホンマに心底わかりました。
いつまで覚えておれるか、わからんが・・・
以前「庵の坊さん」と話してた時、
「あんたに尺八上達のヒントを与えてくれるのは、巡っている時、あるいは日常生活において、何かの風景・情景を見た時、または何気ない、だれかの一言で「ハッ!」とわかる時があるかもしれん。
その場所は四国かもしれんし、職場・家庭での中の一コマかもしれん。
また、その「だれか」は、身近な奥さんの一言かもしれんし、職場・近所の人、巡っている時に出会うだれかの一言かもしれん。
何かを悟る時というもんは、そういう風に思いがけない、ある時に何の前触れも無く突然にパッ!!とわかるもんやでぇ。(^O^)」
と言われた事がありましたが、こおいう事だったのかもしれまへん。
武道・芸事などで、ズブの素人の人が「極意」の言葉を聞き・形を教わっただけで、たちまち達人の域に達するという事は絶対に無く、それはドラマの世界だけです。
「極意」の言葉や意味を頭の中で知るだけでは、ホンマに「知っているだけ」であり何の役にもたちまへん。
実際に修行を通して、その一瞬を体験しないとわからんものだと、この時つくづく思いました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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