HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 17 花折峠
H16/10/17 UP
最後の大窪寺へ行くには、「女体山越え」と「花折峠越え」の大きく分けて2コース有ります。
たいてい一巡目の人は、「女体山越え」に挑むようでんなぁ。
前山ダムの「へんろ会館」館長さんは、本来は「花折峠」が遍路道であり、「女体山」は「四国の道」だと言い、歩く人に「花折れ峠」を熱心に勧めます。
四国遍路一巡して多くの山越えを経験して来ると、女体山越えが「岩をよじ登ったりしてキツイ所じゃ」と言われても、「なに、どうせ大した事あるめぇ・・・それに最後の山越えじゃ・・」と思っちゃいます。
はい・・そう思って、私も一巡時、冬の12月に「女体山越え」をしました。
ほんとは朝の5時頃に前山ダムを出発したかったのですが、なんせ冬の夜明けは6時頃であり、よっぽど懐中電灯を点けて歩こうかと思ったのですが、明るくなるまで車の中で寒さに堪えてました。
なんせ、ここは「岩登り」「最後のキツイ場所」という予備知識の単語が入っているので、道に迷って遭難しちまったら、新聞に出たりして恥ずかしい思いをするからのぉ・・・と夜明けを待ったのです。
夜空に星が見えてましたが、山の頂がほんのり明るくなった頃に、もうええじゃろ・・と出発しました。
ダムを通り越して、霜柱が立つ道をザクッ・ザクッ・ザクッ・・薄暗い道の山側には、所々に地蔵様が立ち並んでいます・・寒うおまんなぁ・・・。
「譲波」休息所付近の小屋・庇で、しばし休憩してから山道に入りましたが、そこまでは、そんなにキツイとは思いまわず、噂とは尾ひれが付くものじゃ(^O^)ダハハ・・・・。
「太郎平」付近の車道に出て、このまんま車道を大窪寺へ行くのかと思ったら、しばらくして、また山道を上がります。
ボチボチ・・・息切れがし・・・立ち止まっての休憩も頻繁になり、けっこう高い所まで登って来ましたなぁ。
尾根のような所で休憩して息を整え、出発すると・・・・ギエ~~ッッッ!!・・・・
すぐ目の前から、山の急斜面を木や岩に掴まりながら登って行くようになっており、こ・・これが噂の岩をよじ登って行く所か・・・・
先を登る越後屋が転げ落ちてこなけりゃ、ええが・・・と不安に思い、だいぶ先へ登らせてから上がり始めました。
上がった所にチッコイ祠があり、そこからは360度とまではいきまへんが、200度近いパノラマ風景で下界が見渡せます。
おぉぉ!!・・喜べ!!・・・これで登りは終わりじゃあ!!・・後は大窪寺まで下るだけ、お互い苦労したのおぅ・・・・
越後屋と絶景を眺めつつ互いに喜びあって、しばし休憩した後で出発し、車道を越すと山道が再び上がり道になってます。
ワア~ァ~ァン(T_T)・・もう山を登らなくても、ええんだと思ってたのにぃ・・・
ガックリし・・・どこまで登るんじゃ・・・と泣きたいような気持ちになり、越後屋なんか、ショックのあまり、ブスッ~として口もきいてくれません。
しかし、そんなに距離もなく、すぐに下り坂になりました。
ふと、小枝にブラ下がってる遍路札を見ると「結願」と朱書きしてあり、それを最初に小枝に次々と「結願」の遍路札が下がってます。
他の人のように、四国88箇所を「結願」しようという信心の目標を持って歩いていたわけでもなく、遊び半分で巡っていました。
しかし、歩きながら目に入る、この「結願」の遍路札を目にすると、そんな事など関係なく、一つ一つの札が「よかったねぇ」「おめでとう」「もう少しだよ」と次々に声を掛けてくれ、祝ってるように見えてきました。
それを見ながら歩いてると、遍路中の数々の出来事や、出会った一期一会の人々・・・・
太陽が照りつける、灼熱の舗装道を黙々と歩いた土佐路・・・
袖口・足下を濡らしながら歩いた、雨の日・・・
霧雨に煙る峠越え・・・
それらの情景が次々に想い出され、不覚にもジワッ~と涙が滲んで来ました。
越後屋にバレると後で何を言われるかわからんので、わからないように手袋でそおっと涙を拭き、鼻水をすすりあげます。
ちなみに越後屋は、大窪寺の屋根が高い位置から見降ろせる所で休んだ時に、ウルウル来たそおです。
女体山越えの道は、大窪寺の境内に直接入り、山門は通りません。
しばらく大窪寺境内で休んでから本堂へ行き参拝しましたが、急坂の山道を歩いたためか、膝がガクガクと笑った状態で、腹に力が入らず尺八を吹いても音が出ずカスレます。
今まで各寺でやった吹奏の中でも、最低のミットモナイ吹奏でした。
ホンマじゃったら、修行した最後の成果なので、周りで聞く人々が感涙の涙を洪水のように流させるはずなのですが、ドラマのようにハッピィ・エンドとはなりまへんなぁ。
こんなはずがねぇ・・・足が疲れてるのに、立ったままだからアカンのじゃ・・・と思い、側に有ったベンチに腰掛けて吹いてみましたが、それでも思ったように吹けません。
二・三巡目の時も、大窪寺での尺八参拝は何故かどおしても他の寺と違って、思うように音が出ず、納得する吹奏は出来ませんでした・・・なんでじゃろ?
気負いも感激も無いのに、これは疲れとかの原因では無いようでんなぁ。
自分のウデが悪いのを天井裏の棚まで放り投げて、信心が足りんから何かの祟りという事にしとこかなぁ(^O^)
ほんまならシビレっちまうような、ドラマチックな吹奏をする場面なんだけど・・現実がなぁ・・この大窪寺で納得できる尺八を吹けた時が、ちっとは修行の成果が現れた時かもしれまへん。
二・三巡時は、「花折れ峠」を越えました。
前山ダムの「へんろ会館」の手前を右に行く道をエッチラ・・・オッチラ・・・
花折峠は緩やかな坂道が続き、全部車道で舗装されておりますが、旧道のためかほとんど車の通りは無く、結論から言えば女体山越えよりも楽です。
この「花折れ峠」の名前の言われを「へんろ会館」館長さんから聞いたのですが、遍路で倒れた人の墓へ、「地元の人が道に咲く花を、手折って手向けた」所から来た名前だそおです。
花折峠を越えて、地図では多和小学校へ国道を歩くようになっていますが、途中に細川家へ行く道があります。
三巡目の逆打ちの時、細川家の方を通ってみると、車の通りも少なく、国道のように犬にも吠えられず、きっと昔の旧道だったんじゃろおなぁ・・・野仏もたまに立っていたし・・国道よりも情緒の有る道でした。
細川家もタダで見学できたし・・・それほどの遠回りにもなりまへんから、この道を通るのもええですよ。
大窪寺への道は、今までとちがって遍路札がほとんどブラ下がってまへん。
まぁ・・・全部車道だから、あえて付けなくても迷いませんが、女体山の時のように「結願」の遍路札は無かったなぁ。
で、遍路道を歩いて大窪寺へ着くと、ちょうど入り易いように大きい門が有りますが、それは正門ではなく、正門は車道の方へ少し行き、土産物店が立ち並んだ所に有ります。
初めての人は、それがわからず、人間心理として目前の大きい入り易い門から入っちまい、大師堂を本堂と間違ったり、境内に入って正門が別に有るとわかり、正門から入り直した・・という人もおります。
まぁ・・どこから入ってもええんですが、やっぱり最後だからケジメを付けたいでしょうなぁ心理的にも・・
大窪寺も「正門はあっちじゃ」と書いておいてくれればええのに・・・
ちなみに二巡目の時は、一巡の時のように涙が滲むような事は無く、「あらぁ~・・とうとう着いちゃったなぁ」という感じでサバサバしたもんでした。
やっぱり一巡時が一番心に残りますね。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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