HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 16 なみだ
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長尾寺へ行く途中に玉泉寺というのが有り、たいていの人は、もうすぐ終わりじゃ・・・と、先を急ぐので、あまりこの玉泉寺に寄らないようです。
玉泉寺は小さい寺で、障子が閉まってる本堂で参拝していると、寺の人がソオッーと障子戸を開けてくれ、終わったら茶菓子を出してくれました。
すんまへんねぇ・・入れる賽銭が少ないのに・・・
一巡の時は奥さんだけでしたが、二巡以後は住職さんがおられて、行く毎に必ず茶菓子を出して話し相手をしてくれます。
もっとも、ここの住職さんは話好きのようでもありましたが・・・
だいぶ遠回りで方向違いですが、途中に関係寺の「霊之寺」「長福寺」があります。
「霊之寺」は朝8時頃行ったためか、ちょうどお勤めの前だったよおで、「あっ、すんまへん。待ちます。」と言うと先に参拝をさせてくれ、終わると供えてあった蜜柑をくれました。
案内板を見ると、寺はそれほど大きくないと思ったのですが、けっこう後ろの方にも何か有るよおです、行かなかったけど・・・・
「長福寺」は、門付近を直す工事をしたのか、門の所で数人固まって話をしていました。
歩いてこの二つの寺を巡ろうかと思ったのですが、長福寺から国道を志度まで歩いて戻るのが、ちとキツイ。
地元の人にバスが有るかと聞くと、廃止されたらしく、この二つの寺は車で巡りました。
88箇所寺の「長尾寺」は広い境内が在りますが、木とか庭が在るわけでなく、なんとなくだだっ広いなぁ・・・という感じです。
長尾寺は風が回り込んで尺八の歌口に当たり、正直言って吹きにくい箇所の一つです。
が・・そおいう吹きにくい箇所でも、最善の努力をして何とかせにゃならんのが、修行の一つでありましょう。
いつも自分の都合の良い所ばっかし選んで、吹くというわけにもイカンからなぁ。
一巡の時、長尾寺・本堂で中年の夫婦連れが参拝していたので、少し離れた横で尺八参拝をしました。
夫婦連れは小汚い者が隣へ来て、いきなり尺八吹き始めたもんだから、ちとビックリしたようで、チラットとこちらを見ました。
吹き終わってから振り返ると、帰ったと思っていた中年夫婦連れが、後ろに並んでジイッ~と立っており、奥さんが手にギュッとハンケチを握りしめ、目を真っ赤にして涙を一杯溜めて私を見つめていました。
それを見た時、うぅむぅぅ・・・・自分の尺八に涙を流させる力が、ホンマに有ったのじゃろおか・・と思ったのと同時に、
尺八の音や曲は、聞く人が昔の懐かしい思い出や、故郷を想い出させる・・・・と聞いた事があります。
尺八を聞いて流す涙は、どのような涙なのだろおか・・
亡くなった身内の人を思い出したのだろおか・・・・
それまで、σ(*_*)の尺八を聞いて涙を流してくれたのは、香園寺「奥の院」滝修行場のオバハン以来、これで二人目です。
話しは少し逸れますが、私に尺八を教えてくれた師が、戦友会での追悼時に尺八を吹奏し、吹いている途中で次々に戦死した仲間が思い浮かび「尺八を吹いると、涙が出てしかたがありませんでした・・・」と尺八の会報に書いてあるのを読んだ事があります。
師が追悼で吹いた曲と、私が本堂でいつも吹く曲とは違いますが、本堂で吹くその曲には途中より高音のメロディになる箇所があります。
そして、なぜかその高音の箇所へ来ると、師の「涙が出てしかたがありませんでした。」という文面が頭を過ぎります。
今の尺八を、だれに聞いて欲しいかというと、もう実現する事はかないませんが、やはり尺八を教えてくれた亡き師に一番聞いてもらいたかった。
大師堂へ行くのに中年夫婦連れに、軽く会釈して擦れ違うと、後ろの方でご主人が「見事な音だったなぁ・・」と奥さんに言ってるのが聞こえました。
「見事な音」か・・今まで、このような誉め言葉は聞いた事がなかった。
吹いた本人としては、今までと全然変わってなく、響きも普通だったんじゃけど・・・・聞く人の心・雰囲気等によって、そのようにも聞こえるのでしょう。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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