HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第二章「目次」 >9 見送り
H18.4.22 UP
善楽寺でも、やっぱし三人連れはワンテンポ遅れて来て、今日は「サンピア高知」に泊まるとのことです。
トッツアンは一巡しているので様子がわかっており、日々の行程や時間等をキッチリ割り出し、何時にどこを出発し、どこら辺で何分ぐらい休むという事まで計画を立てし、それに沿って行動しとると自慢してます。
トッツアン、あぁたぁ・・何もそんな汽車の時刻表みたいにキッチリ時間を決めなくとも、適当にやっちまえばいいのに・・と思ったが、黙っていた。
「ここからは◎◎が先を歩け、次に○○、そしてワシ。
あん?・・何を言うとるか、これも修行じゃ。
人の後ろばっかし付いて歩いておっては、修行にならん。」
オバハン達が「ギャアァ~ギャァ・・・」と文句を垂れるのを涼しい顔して聞き流し、勝手に決めちまいます。
トッツアンはエライなぁ。
σ(*_*)もそんだけ自信を持って何事も言える勇気が有ったら、もおチット違う人生を歩んでいたかもしれん・・尊敬するなぁ・・
出発する時、三人連れは後ろから歩いて来ましたが、鳥居前の信号を渡っている間に追い抜いて行き、何の迷いもなく高知市内の「安楽寺」方向へトットと歩いて行きます。
あらあぁ・・道が違うでぇ、そっち方向へ行くとホテルへ行けないぞお・・と思い、大声で呼び止めましたが、付近は道路工事中のため騒音のほうが大きく、あれよ・あれよ・・と口を空けて見送ってるうちに人混みに隠れて見えなくなっちまいました。
よっぽど荷物をそこらに置いて、走って教えに行こうかとも思いましたが、そのうち間違った事に気付き、人家の無い山の中でもないので人に尋ねればわかるじゃろ。
迷うのも修行の一つじゃ・・と思い、追いかけませんでした。
トッツアンも、知ってたら注意してやれば良かったのにぃ・・それとも道を忘れちまったのか、これも修行じゃと思って黙っていたのか?
それにしても先頭を歩かされたオバハン、いきなり、キツイ修行しちまったなぁ。
翌日、朝が早かったためか竹林寺境内の売店は、開店準備をしており休息所は鍵がかかって閉まってます。
参拝後、やっと開いた休息所で休みながら、何となく雨が降りそうな気配がするので、ボチボチ出発しようかと思ってると、やっぱし、ワンテンポ遅れて三人連れが到着しました。
「昨日、善楽寺からの信号の所で道を間違って歩いて行ったでしょう。
呼び止めたんたげど聞こえなかったようでんなぁ。あれから、どうしました?」
「しばらく行ってもホテルが無いので、人に尋ねると道が違ってるのがわかり、歩くのも疲れていたので、タクシーでホテルへ行った。」
「そおでっか・・やっぱし、良い修行されたよおで・・・(^O^)」
そんな話題を持ち出したためか、トッツアンとオバハン達が、お互いに罪のなすり合いを始めたので、その風景をしばらく微笑ましく眺めながら、修行の成果を聞いてました。
雨が降らないうちにと思って出発しましたが、「唐谷」集落で雨が降り始めたと思ったらドシャブリになり、近くにあった物置小屋の庇でしばし雨宿り。
「石土トンネル」の近くで、捨て猫がいたので越後屋が手を振ったら、しばらく猫が付いて来ちまった。
こいつは捨て犬でも猫でも、小さかったら何でも手を振って構いたがるヤツだから「飼えないのだから、無責任なことをするな。」と心を鬼にして言った。
捨て猫にしてみれば、構ってくれる人間が居たら、この人はヒョットして優しい人で、これから餌の心配もせず、ゴロゴロと昼寝して幸せな生涯を送れるかもしれんと期待しちまうかもしれん。
飼う事が出来ないのに、その時だけ自分の好き勝手で「カワイイ・カワイイ」と遊んだ後、「飼えないので、じゃあね、バイバイ・・」では、猫にしてみると、また再び自分は捨てられちまったんか・・と思うだろう。
猫はガッカリと落胆して、心に深い傷つけながら人間不信に陥いって涙に暮れながら一生送るのかと思えば、そのほうがよっぽどカワイソーに思う。
禅師峯寺では本堂内に入れたので、堂内で尺八を吹いて参拝しました。
越後屋は、トットと自分の参拝を終えて荷物を置いたベンチに戻った時に、三人連れも罪のなすり合いが終わって到着したらしい。
後で越後屋に聞くと、オバハンから「旦那さんは?」
「本堂の中で・・・」
「尺八を吹いているの?・・テープが流れてるのかと思った。」
というやり取りの後で本堂へ来たらしく、尺八吹いていた時に後ろの方で人の気配は感じましたが、三人連れだとは思わなかった。
大師堂を参拝してベンチに戻ると、トッツアンがσ(*_*)の顔を見るなり「何で、もっと早く教えてくれなかったの?」
「んな事言われても、あぁたぁ~・・こおいう事は、わざわざ自分から人に言い触らしたりする事ではないでしょうがぁ。
聞く、聞けない・・・これも、その人との縁ですから。(^O^)」
トッツアンは盛んに「タダモノではない」と言ってくれますが「いえ、そこらにどこにでも転がってるタダモンです。(^O^)」
「今ね・・吹いておられた尺八を聞きながら、亡くなった父を思い出して、姉がウルウルしてるので、今、しゃべれないけれど・・・私もね・・
いえ、父はそんなに上手じゃなかったけれど、それでも尺八の音が懐かしく・・・聞かせてもらえてありがとう。」と礼を言い、この後の予定を聞かれたので
「区切り打ちなので今日が最後です。この後「種崎の渡し」まで行ってから家へ帰りますので、たぶんもうこれでお別れですね。」
「もう一度、聞きたかったのに・・・・」
ううむぅぅ・・今まで何度か「もう一度、聞きたかった」と言われた事は有ったけれど、その依頼には「これも縁ですので・・」と言って、やんわりと断って吹くのを避けて来ました。
しかし、今まで各寺で話をして、せっかく親しくなり多くの会う機会が有りながらも、ワンテンポづつ遅れて来たがために、全ての寺で聞きそびれたのは、この人達にすれば確かに残念で心残りかもしれまへん。
またσ(*_*)のような尺八でも、目の前でオバハン達が亡き父君を偲び、涙を滲ませてくれている事に、ありがたく思ったので「そいじゃ、ここで一曲吹きましょうか」と言って、ベンチに座ったまま、その場で一曲吹きました。
「種崎の渡し」では、三人連れが船に乗って出航するのを見送りました。
三人連れは船上から、顔が見えなくなるまで何度も頭を下げて手を振ってます。
船での別れは、普通の別れと違って、まさに「惜別」というものを感じさせますねぇ。
そおいえば、今まで遍路をしていて、人を最後まで見送るという事は無かったなぁ。
4月と10月の年二回、少しづつ区切りながら遍路に出ると言ってたけれど、もう結願したかな?
「お知らせ」
現在、四巡目の四国遍路は、この「種崎の渡し」で区切り打ちしたまま止まっています。
四国は遠いですね、今度いつ四国へ行けるのかわかりまへんが、いつの日か再び四国へ行ける時が来ましたら、この「種崎の渡し」より再開して続きを書きます。
再開までの間、「四国遍路記第三章」または他の霊場巡りをした様子を掲載しますので、そちらの方で御笑読いただければ幸いです。
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