HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第二章「目次」 >8 余命いくば
18.4.15 UP
昔は国分寺手前の川を渡るのに「渡し場」があったらしく、野次馬コンジョ出して、どんな場所だったのか見に行きました。
川の土手に小屋が建っており、その中に大きい地蔵さんが入っており、地元の人が掃除しているのか、小屋の中には竹箒が置いてあり花も飾ってあります。
その横に木の説明板に「地蔵渡し」と書いてあり、明治30年に国分川に橋が架かるまで、ここから川を渡ったらしいが、舟で渡ったのか、足を水に濡らして渡ったのか、わかりまへん。
なんせ、書いてある説明文字のペンキが剥げており、判読不明の箇所がかなり有ったもんで・・・。
国分寺では時間に余裕があり、参拝客もほとんど居なかったので、広い境内を眺めながら石のベンチに座って尺八を吹いてると、団体遍路が来ました。
そのうち団体の中から外れて、独りのジサマがスタスタと近寄り
「虚無僧さん、今のは何という曲ですか?」
「あっ、いえ・・σ(*_*)は虚無僧ではありまへん。
CDを聞きながら独学で覚えたケチな野郎ですだ。」
と答えて曲名を言いました。
ジサマは都山流だと名乗り、もっと話したそうでしたが、なんせ団体行動なもんだから長く話しはできまへん。
しかし、この寺で尺八を吹いてると、よぉ~尺八をやってた人と会いますなぁ・・以前に来た時も、ジサマが自分も尺八やってたと言い近寄って来たが・・・
国分寺を出発しようと荷物を担いだ時、先日のトッツアン・話好きオバハンの三人連れが到着し、どおしても、この人達とは、ワンテンポ遅れて会います。
「あれから静かに歩きましたか?」
「なんとか・・・」
オバハンは、並んで歩く事を禁じられたたか、いつもの「キャハハハ・・」という笑い声もなく、かなり疲れているようにみえます。
やっぱし、オバハン達の楽しみを奪っちまって、いらん余計な事を言っちまったかなぁ・・・
善楽寺の途中に「遍路小屋5号」が出来ており、そこでしばし休憩しました。
ノートが置いてあるので読んでみると昨日の夕暮れ時、大日寺で話しをした病持ちのトッツアン遍路も、ここで休んだよおです。
そのトッツアンとは神峯寺から時々出会っており、軽く会釈をする程度でしたが、大日寺では時間に余裕が有ったのでベンチに座ってボケェ~としてる時に、トッツアンが上がって来ました。
話してみると野宿しながら歩いてるらしく、この辺に野宿場所は無いかと聞くので、この先に有る善根宿を教えると「善根宿には泊まらない」と言います。
ほおぉぉ・・珍しい人やなぁ、たいていの人は、喜んで泊まりに行くのだがと思い「今まで善根宿に泊まらなかったの?」
「一度泊まったけれど懲りた。 野宿のほうが良い、どこかこの辺で野宿場所を知らないですか?」
見れば普通の服装で、寝袋やテントらしい荷物は持ってません。
どこかに置いてあるのかと聞くと、担いでる小さいリュック一つだけで、特にお金に困ってる様子でもなく、とても野宿する雰囲気ではありまへんでした。
まぁ、この季節じゃから、凍死はしないだろうけどもねぇ・・カゼぐらいひくかもしれまへんでぇ。
なんで善根宿に懲りたのかわかりまへんが、安易に善根宿等に頼らないトッツアンが好ましく思え、地図で探すとこの付近では、物部川に掛かる「戸坂島橋」の下しか思い浮かびません。
「橋の下かぁ・・それも良いなぁ。」と、全く苦にした様子も無く、まるで小さい子供が良い隠れ場所を見つけ、そこで寝るのが楽しみだという雰囲気で、笑顔で先に寺を出て行きました。
翌朝「あのトッツアン、この橋の下で寝たんかなぁ」と思いながら「戸坂島橋」を渡り、この時点までは、まだトッツアンが病持ちだとは知りまへんでした。
踏切近くの「遍路休息所」で休ませてもらった時、置いてあったノートをパラパラッと目で追って行くと、昨日のトッツアンの書き込みが有り、橋の下で寝るのを止めて、ここまで来て泊めてもらったよおです。
うん、そおかもしれん、橋では近すぎて時間が余り過ぎたので、そのまま歩き続け、ここの休息所を見つけて泊まったのでしょうなぁ。
さらに読み続けると、「自分は病で残りの余命いくばも無い」と書いてあり、この時に初めて病持ちだとわかりました。
大日寺で話した時は、優しい中間管理職という感じで、この人なら部下がどんなに失敗しても絶対に怒鳴ったり、辺り構わずワメキ散らしてヒステリーを起こすような事も無く、優しく説得するだろおなぁと思った。
トッツアンは、まもなく死が迫って来ると自分でわかっていても、そのような悲壮感を全然感じさせる事なく、まさに今の一瞬一時を楽しみながら遍路してるという様子でした。
ノートに記載してあった具体的な内容の事は、今ではもう忘れちまいました。
しかし、当時の事を思い出すと、トッツアンがあれほど野宿にこだわったのは、残された短い時間を、だれからも束縛されず、可能な限り自分の力だけで自由に遍路をして、せめて死に行く時に「自分が精一杯自由に生きた唯一の体験」の証を持って冥土へ旅立ちたかったのかもしれまへん。
トッツアンは、病に倒れず無事に一巡できたんじゃろぉか。
あれから数年、今も生きてるだろか。
どんな病だったのかわかりまへんが、痩せた体に小さいリュックを背負い、身軽なカッコウで軽々と歩いていたなぁ。
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