HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 > 歩き遍路二巡・22 若者達


尺八を携え歩いた四国遍路 H20.10.13 UP


若者達

若者と同行

 けっこう若いアンチャン・ネエチャンが歩いてまんなぁ。
 何かを求めてるのか・・・職が無いのか・・・

 σ(*_*)とこの子も、学校を辞めてあちこち職を探したんですが、これがどこへ行っても無いんですねぇ・・・・(-_-;)

 今の時勢・・「正社員」という単語は、なかなか無く、ほとんどがアルバイト・パートです。
 幸いσ(*_*)とこの子は、臨時ながらも某所へ潜り込めたけど・・
興隆寺
 横峰寺付近へ向かって歩いてる時、若いアンチャンが追いついて来ました。

 一通りの挨拶などをして

アンチャン
「今から、横峰寺へ登るのは、どおでしょうか?」
σ(*_*)
「ううむぅぅ~・・もう、昼近くだからなぁ・・・
    今、ここから登って、早くて寺へ着くのは3時か4時頃・・・

 香園寺にたどり着くのは5時過ぎとなり、この時期・・5時過ぎると暗くなって山道は危ないからなぁ。

  あの山道は、けっこうキツイでっせぇ・・無理せんと麓で泊まったら?」


アンチャン
「どうしょうかなぁ・・・そちらは、どうするんです?」

σ(*_*)
「横峰寺は、前回の区切りの時に先に登っておいたから、これから興隆寺へ行きますねん。
    アンチャンも、無理せんと一緒に興隆寺へ行かない?」


 アンチャンは、麓で宿を探すと言って別れました。

 興隆寺は横峰寺へ行く際に遠回りとなるので、遍路はあんまり行かないようです。
 紅葉には、ちと早かったですが、それでも色付いていました。

 興隆寺から、ぼちぼち久妙寺へ向かって歩こうか・・と思ってたら、さっきのアンチャンが来ました。

 あれまぁ・・どおした?・・と聞くと、宿は電話で手配したが、途中で道を間違え、こちら方面へ来たので、ついでに寄ってみたんだと言います。

興隆寺 一緒に歩きながら聞いてみると、σ(*_*)とこの子と同じ年です。

 越後屋が「子供が歩いてた時も、こんな状態だったのかもしれん、とても他人事とは思えん」と言います。

 途中の坂道から真正面に山が見えはじめたので、指さしながら
σ(*_*)
「ほれ・・正面に山が有るじゃろぉ・・、
    あれが、アンチャンが明日登る横峰寺の山じゃよ」


 アンチャンは、その遠い距離と晴れ渡った秋の青空の下、高い山頂に雲がかかっているのを見て黙ってしまいました。

 σ(*_*)らは、ゆっくり・のんびり歩いてるのだから構わず、先に宿へ行って休みなさいと言いましたが、アンチャンは、σ(*_*)らと一緒に付いて来ました。

 よっぽど人恋しかったのか・・σ(*_*)らを気にいってくれたんか・・ヒマだったんか・・

 「庵の坊さん」と会ったか?と聞くと
アンチャン
「会ったけど・・2時間ほど捕まり、よぉ~わからんかった。」興隆寺より横峰方面を望む

σ(*_*)
「そおじゃろおなぁ・・難しい事言うからなぁ(^O^)ナハハ・・・
    遍路すると決めた時、家の人は何と言ってた?」

アンチャン
「別に・・行って来い・・だけだった・・・」

σ(*_*)
「遍路していて、何かを得たか?」
アンチャン
「今のとこ・・・何も・・」

 後日、一緒に撮った写真を送ったら礼状が来て、「四国に行って本当によかった」と書いてありましたので、きっと後で、ジワアッ~と何かを感じたのでしょう。

アンチャン
「一巡したら、高野山へ行くのですか?」
σ(*_*)
「σ(*_*)は信仰心が足りんから、いまだに行こうという気が全然せん。(^O^)カッカッカッ・・

    何も1番寺へ戻る事は無いんだぞ、昔は、そんな事やっとらんかったんじゃ。

 88番が終わったら自分の国へ帰るなり、高野山へ行ってたので、番号は便宜上付けたんであり、そんなもんに、こだわらんでもええんじゃ。」

久妙寺
アンチャン
「でも・・ぼく掛け軸作ってるんで、高野山の所だけ空いちゃうからなぁ・・
 88番で、杖を奉納しなければアカンのですか?」


σ(*_*)
「そんな・・・せっかく高い金を出して買ったのに、もったいない・・家へ持って帰れ。

 σ(*_*)なんか、子供に杖を折られたから、ホームセンターで500円の丸棒を買って杖にしとるんじゃ・・・具合がええぞぉ(^_^)v。

  杖なんて、そこらに落ちてる、木の枝、竹の棒でも良いんじゃよ。
  なんか、みんな・・寺の商魂に踊らせられとるなぁ・・・(-_-;)」

鎌大師・手塚さんの白衣

鎌大師(手塚さん)手縫いの白衣アンチャン「実は、この杖も、白いハッピも人から貰ったんです。
   歩いてたら、杖ぐらい持っていろと言われて杖を貰い・・・、

 ハッピは、鎌大師のオバアさんがくれました。
 自分が最初に遍路した時、手縫いで作ったものだと言ってました。」


σ(*_*)
「エエッツッツ~・・・あの鎌大師の人と会ったんか?

    σ(*_*)らは、縁が無く、未だに会えないのに・・・(;_;)
    しかも、手縫いの白衣まで貰い・・・(T_T) エエナァ~・・・」


 見れば、σ(*_*)らの安物のハッピとは違い、いかにも温かみのある手縫いの感じです。

 5時近く、到着予定地の生木地蔵で別れますが、σ(*_*)がバイクで車を取りに行ってる間もアンチャンは、なかなか宿へ行かず、越後屋が
「もう暗くなったし、寒くなるから帰りなさい」と何度も言って、やっと別れたそうです。

仏話を聞く

 二日後の早朝、三福寺へ行ったら、そのアンチャンと若いネエチャンが、境内に腰を降ろして休んでました。

 こりやぁまた、奇遇で(^_^)v・・と話をしました。

 聞けば、アンチャンとネエチャンは、遍路中、時々一緒の宿になったりして顔見知りだそうです。

 ネエチャンに
「庵の坊さんと会ったか?」とアホの一つ覚えみたな事を聞くと、会って話しを聞き、翌日もう一度戻って話しを聞きに行ったと言います。

 おぉぉ・・σ(*_*)らと同じじゃ・・!(^^)! ダハハハハ・・・

 確かに、あの坊さんは、そこらに掃いて捨てるほどいる坊さんと違い、仏教のホントの事を教えてくれとる・・ちと難しい事言うけど・・・。

 車に乗ってる時と違い、遍路で歩いてる時は、わずか100mの距離でも寄り道をするのに決心がいり、たいていは「この次ぎに・・」と思って断念します。

 それを、わざわざ翌日、もう一度戻って話しを聞きに行くというのは、もおんのすごぉぉ~く心に響き感銘する所が有り、一大決心したと思います。

 へい・・その気持ち、よぉ~わかります。

 これが、ありきたりの仏教の話しだったら、アホらしくて、わざわざ戻ってもう一度話しを聞こうと思わんわなぁ(^O^)カッカッカッ・・・

 既成仏教の坊さん達は、信仰心も薄い普通の一般人が、なぜ一大決心してまで再び戻り、話しを聞こうとする人が居たのか、よおぉぉ~く考えてみなせえ。

生木地蔵 88箇所を巡った寺で、翌日もう一度、どうしてもその寺へ戻ってみたいという寺が、どれだけ有るでしょうか?
 納経時間に間に合わなかった人を別にして・・・

 「人を見て法を説く」とか言って、自分達に都合の良い方便で逃げてばっかりしてたら、仏教は廃れまっせぇ。(^_-)

 あっ・・もう廃れて、どおしょうもねえ状態か・・・・(^_^;) ダハハハ・・・

 ネエチャンは宿に泊まりますが、無い場合や泊まれない事を想定して、野宿用に毛布を持っていました。

 東京から来た、ハキハキして笑顔を絶やさない25才の女性で、σ(*_*)とこの息子のヨメに来てくれたら安心なんだが・・・

                       01/12/16 記載



 

編集後記(終活)

 鎌大師の手塚さんが、このアンチャンに手縫いの白衣をあげたのは、既にこの頃、自分の老い先を悟っておられたような気がします。

 σ(*_*)もボチボチ、自分の老い先の始末(終活)を考えないとなぁ・・・


  HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」    前ページ    次ページ



以下、広告です。