HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・伊勢路 >10 堰の渡し
「滝原」~「伊勢柏崎」の間は峠が無く、普通の道を歩くようなのでズルして省略し、「伊勢柏崎」駅を8時頃に出発して熊野古道・伊勢路を歩き始めました。
「宮原」役場出張所の「しだれ桜」が道に枝を張り出しており、春のサクラの季節には見事でしょうなぁ。
時々犬に吠えられながら大内山川沿いに歩き、正面に見える山は高速道路の建設中らしく、作業車が動き回っているのが見えます。
「上野」集落が終わる頃、三叉路に出たので地図を確認してると、家の外に出ていたジサマが声を掛けて来た。
「熊野古道を歩いとるんかね・・そかそか・・うん、熊野古道を歩くんならこの川沿いの道を真っ直ぐ行けば、ええんじゃ。」と、高速道路橋の下に有る踏切の道を指差します。
ほほおぉぉ・・やっぱしこの道は、旧道で昔ながらの道じゃったんだなぁ。
さらにジサマが向こうの山を指差しながら「あれが行者山ちゅうてなぁ。昔、修験者も登った険しい山なんじゃよ。
頂上は少し広くなっており、行者の像が置いてあるんじゃ。
そこからは、何も遮る物が無く周囲の全ての山が見渡せるでぇ。ええ所じゃから、行ってみなせぇ。」
ほほおぉぉ・・・と思って山を見ると、山肌に岩が一部露出してるような箇所があり険しそうな山で、このジサマと話しをしなかったら、行者山の存在も知らずに、この地を通り過ぎ去った事でしょう。
ジサマと別れて大内山川沿いに歩いてると、やがて行者山・登山口側に小汚い案内板が有りました。
ジサマは「行ってみろ」と言うが、登り1時間30分・下り1時間と書いてあったので、当然ヤンピ・・折角じゃけれど、また今度の機会にでもね、ジサマありがとう。
鉄橋の下を潜り「坂津」集落の公民館前で一休み。
越後屋に地図を見せてやると、何を血迷ったか越後屋が、現在地はどうしても先に有る集落の「向駒」じゃと言い張ります。
ええいぃぃ・・このガンコモンメが・・!!、一々説明してやるのも腹立たしいが、その怒りを必死に押さえ、ドヤシつけたいのを無理にガマンにガマンを100回ほど積み重ね、つとめて平静さを保ちつつ・・・
引きつった笑顔と、裏返しになりそうな優しい声で、付近の状況と地図を見比べて丁寧に説明してやったら、やっとここが「坂津」だと納得した。こいつは、ホンマに地図オンチなヤツじゃ。
ところで「2万5千分の一」の地図には、さらに大内山川沿いに小さい道らしいモンが有り「本駒」まで行けるように?なっており、それを信じて歩いていたら「坂津」集落の終わりで道が切れており川の土手へ出ました。
「ほれ見た事か、道が無いぞぉ。さっきの休んだ所に有った案内板の通りに行けば良かったんじゃ。ギャア~~、ギャアァァァァ~」と、さっきのお返しとばかりにモンクを垂れ流します。
ええいぃぃ、ヤカマシイ!! このワシを信じて付いて来い。遍路道ちゅうもんは、こおいう草深い道を歩くもんじゃ・・とばかりに、大内山川の土手を歩いて行くと土手が無くなっちゃいました、(^O^)タハハハハ・・・・・。
どうにもこうにも完全に先へ進めなくなっちまい、熊野古道・伊勢路はどこへ行っちゃったの・・・無理して大内山川沿いに進んで、木をつかみ草に転びながらも「向駒」まで行こうと思えば、行けない事はないが、山の中を歩くような感じです。
ワシ一人だったならば無理してでも歩いたのだが、連れがなぁ・・絶対に文句言うじゃろなぁ・・・
大内山川には対岸まで横切っている堰が有りますが、途中で三箇所ほど開いており、堰の開いてる間隔は1~2m・・ううむぅぅ~・・飛んで渡れるか、どうかのギリギリの幅じゃなぁ。
足が痛いので飛び損ねて川に落ちると、冷たい思いをするので、ここは完全に負けを認めました。
越後屋が後ろから「ほれ、見た事か」と、ここ最近こんなにウレシイ事は無かったという風に笑いながら、延々と終わる事が無くブツブツとモンクを垂れ流します。
その垂れ流しと冷笑のお言葉を背にしながらも、大ゲンカする事なく、これも修行の一端とただひたすら耐え忍びつつ・・土手を戻って「坂津」の橋を渡り対岸へ行きました。
大内山川対岸からは、行者山がよぉ~見え、「本駒」集落の入口付近で、先程の堰を間近に見ながら・・やっぱし渡れたかなぁ・・どうかなぁ・・
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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