会津武家屋敷の表門付近に、姿三四郎の「山嵐」の銅像があり、表玄関へ行きますと、キレイな奥方様が三つ指付いて出向かえてくれます。
ええですなぁ・・・この奥方様と比べると、越後屋は体型・品格共に落ちるが、せめて家に帰った時に、これほどの奥ゆかしさが有ればなぁ。
オラとこの玄関先に、武家屋敷に有ったような人形を置いといてやろかなぁ・・来た人は皆、びっくりするじゃろなぁ。
さすが御家老様の武家屋敷は、庭も家も広く、ワシとこの「ネコの額」とは、どえれえ違いです。
池には鯉も泳いでるしぃ・・・室内では殿様が庭を眺めながら家来に、今年のネング状況を聞いてる?・・蝋人形が置いてあります。
また、別の部屋では、腰元が茶を持って来た人形がもありました。
人間の自然生理現象しとて、トイレが必要ですわなぁ。
はいはい・・心配しなくても、ちゃんと公開されており、昔のエライ人達が出したウンコは戸車に乗っかって外へ出されるようです。
決してポットン便所ではなく、衛生的です。
「奥一の間」に、奥方と子供の人形が手鞠で仲良く楽しそうに遊んでおり、平和で微笑ましいでんなぁ・・と思って説明板を見ると、どうやら奥方が子供を叱ってるらしい。
何で叱られてるのか、よぉ~わからんが・・・たぶん、この部屋は御家老様が寝る部屋だからなのでしょう。
今風の叱り方で言うならば
「掃除がたいへんなんだから、ここで遊ぶんじゃねぇと何回言ったらわかるんじゃ。
わからんヤツめ・・ひっぱたくよ・・ならぬものは、ならんのです。」
と言ったかもしれん。
そしたら子供も負けじと「100回ぐらい言われたら、わかるかもしれん」と口答えしたと思う・・今ならば・・・たぶん・・
「自刃の間」には、逆さ屏風の前に人形が飾ってあり、この物語はカワイソーでんなぁ。
敵軍侵入の報を聞いた西郷家の婦女子が、足手まといにならんように自刃して果てた時、長女16才が急所を外して死にきれず苦しんでいたそうですがなぁ。
16才といえば今なら高校生ぐらいで、ケータイをいじくり回して、キャハハハ~と笑い転げたい年頃なのに・・・・
意識朦朧としながらも家に入って来た人の気配に気付き、「敵か味方か」と息絶え絶えに尋ね、その惨状を目の当たりにして、憐れみを持った官軍の将が「味方だ」と答えて介錯してやった話しは、あまりにも有名です。
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