HOME > 遍路・巡礼 > 「秩父34観音霊場」目次 >27 涅槃
(薬師堂・たらちね観音・地蔵寺)
H18.10.29 UP
約1年ぶりに秩父34観音霊場を巡礼しに来た「道の駅 両神薬師の湯」懐かしいでんなぁ。
ここの「道の駅」には風呂があり、昨年来た時には無かった「足湯」が玄関前に出来ていました。
「足湯」にズボンの裾を捲り上げて足をつっこんでみると、最初は「アチチ・・」と思った熱いお湯が慣れると丁度良くなり、足を上げると湯につかってた所だけが真っ赤に・・・(^O^)。
「道の駅 両神薬師の湯」から秩父34観音霊場の31番札所「観音院」へ向かって少し歩くと地名にもなっている「薬師堂」があります。
いかにも年代物の額には、何か彫り物がしてありますが、何が彫ってあるのか最初はわかりまへんでしたが、よぉ~みると十二支のよおで、ここは目に御利益が有るのか、「め」と書いた札がよけいかかっていました。
「秩父札所めぐり(秩父札所連合会)の」案内図には31番「観音院」へ、ずう~っと車道を歩くようになっていますが、どこだったか忘れっちまった寺で手に入れた「ふだらく(秩父札所新聞)」に載ってたイラストマップには村役場付近から板戸へ突っ切る巡礼道が記載されていました。
それを信じて村役場横の道から両神中学グランド方面へ行くと、「御霊神社」へ行く標識があり、地図で神社の位置を確認すると同じ方向だから、たぶん合ってるじゃろなぁ・・と思いその道を歩きました。
グランドでは、男子中学生が野球やサッカーの練習をしており、朝早くからタイヘンでんなぁ、まだ眠たいやろおに・・
農道のような道を歩き、このままこのような道が続くかと思いながら、やがて「薄川」の木橋を渡った付近から山道に入りました。
これがまた急坂なんですわなあ・・ヒーコラ言いながら上り、人家が見え始めた所で、ヒョットするとこの道は人家の庭先に出ちまうんでねえかと思ってたら、その通りホンマに人の家の庭先みたい所を歩いて車道に出ちまった。
すぐ前にバス停があり地名を確認すると「板戸」・・・よし、よし・・ショートカットできたでぇ。!(^^)!
少し付近をウロつき、「権五郎落峠」の入口を確認し、その付近で「竹内いしの墓」という案内板が有ります。
そんな人知らんでぇ・・と思いながら読んでみると、江戸時代の終わり頃、貧しいけれど、それはそれは親孝行な女の人がいたらしく、昭和時代の文部省が親孝行の人を教材にしようと全国に募集したら、この人が一番になったらしい。
しかし・・その案内板付近を見渡しても墓らしい物は無く、どちらかというと廃品置き場的な雰囲気で、これじゃあぁ親孝行の人も浮かばれんじゃろなぁ。
もっとも墓は近くのどこか別の場所に有るのかもしれんが、探して行ってみる気は正直言って無かった。
車がほとんど通らない車道をテクテクテ・・・・「権五郎落峠」はたいして標高の有る峠ではありまへん。
飯田集落付近を歩いてるトシヨリ5・6人が道の草取りしており、上飯田の「十部供養塔」道標が有る所で一休み。
別の方角からジジ・ババが道端の空缶やペットボトルを拾いながらやって来て、今日は年金貰っているトシヨリが、世間に御奉公するボランティアの日なんでしょうか?。
人気の無い農道を、テクテク・・・・
明日や、これから先の心配もせず、何も考えず、テクテクテク・・・・
何が欲しいという事もなく、希望する事も無く、テクテクテク・・・
こおやって、ただボオッ~と歩いてるだけの今の一瞬が、一番平和な一時じゃろなあ、テクテク・・・
こおいう心境が「涅槃」の境地と言うんやろか?、テクテクテク・・・
岩殿沢へ行く途中でバサマと擦れ違いざま挨拶すると「札所巡りですか?」と返って来たが、そおいえば先程の老人クラブのトシヨリと挨拶した時も「札所巡りか?」と言っており、この附近では秩父34観音霊場巡りの事を「札所巡り」と言ってるのかもしれない。
岩殿沢集落を過ぎる頃、橋に掛かる赤い欄干が見え、もう31番「観音院」に着いたのかと思ったら、「光珠院 たらちね観音」という寺でした。
みるからに新興宗教らしい施設で、越後屋はガマンしていたオシッコをしに、道端に有るトイレへ行きました。
σ(*_*)は普通ならそこらに座って、越後屋を待つだけで参拝しないのですが、トイレで少し時間もかかるだろおうし・・トイレを使わせてもらった事だし・・と思い尺八を取り出して、お礼の意味で尺八参拝をしました。
「たらちね観音」境内をサラッと見渡した所、護摩壇も有り修験道関係の寺のよおです。
尺八参拝後、境内を見物すると「たらちね吉兆水」の看板があり「何とか行者お告げの水」と書いてあります。
何に効くのかわからんが、さっそくそのお告げの水を飲ませてもらいました、たぶん何かに効くじゃろう。
そいで、その左横に頑丈な檻に注連縄が張ってあり、何かオトロシイモンでも入ってるのでは・・と、そおっと覗いて見ました。
中には得体のしれない物が飾ってあり、よっぽど盗まれたらアカン大事なモンなんでしょうなぁ・・、後で案内看板に書いてある「たらちね七不思議」の説明を見ると、どうも「陰陽和合石」のよおです。
「吉兆水」の右側にも何か有るので、今度はどんな得体の知れんモンじゃろ?・・と喜び珍しがりながら、わざわざ近寄ってみると単なる蝋燭立だった。
本堂横の受付所のような所に、玄関と間違いそうな感じの小部屋が併設されており、壁には写真やら何やらが飾ってあり、それに混じって入口の戸付近に何か書いてあるので読んでみました。
σ(*_*)は、こおいうワケのわからん怪しいモンを読むのが好きですねん。
「中に在る千手観音の前で般若心経を三回詠み、その観音さんを持ち上げて、軽く感じたら願いが叶い、重く感じたら願いが叶わずアカンですわぁ」というような事が書いてありました。
部屋の中を覗いてみると小さい観音様があり、「遊び心で試すと罰が下る」とオドシ文句も書いて有ったので見るだけにしときました。
「たらちね観音・光珠院」を出て歩き続けると、水子供養の地蔵さんが付近の山をズウ~ラアァァァ~ッと埋め尽くしている地蔵寺がありました。
人の不安に付け込んだ水子供養で、この地蔵寺はゴッテリと銭モウケしとるんやろなぁ。
道端にその寺の掲示板が有ったので、チラッと読んでみました。
供養しなければ水子が浮かばれんとか、供養しないから家に不幸が有るんじゃ等という、心の不安感を煽り、脅かすような事が書いてあるので、思わず鼻先でフンと笑っちまった。
「供養しないと」を「題目を唱えないと」に置き換えると、最近評判の悪い事で有名になってきた「顕●会」と全く同じ脅しの手口じゃねぇか。(^O^)カッカッカッカッカッ・・・・
水子供養の必用を説く寺に、ぜひ聞きたい。
お金が無い人や、何らかの事情で水子地蔵を奉納・供養出来ない人は、永遠に苦しまなければアカンのか?
だれが好きこのんで中絶したり、幼子を死なせたりするじゃろうか、心の中で折に触れて「すまない」と思いながら、今を必死に生活してるだろおに・・・
σ(*_*)は、地蔵さんなんか買わなくても、心の中で「すまない」と思ってるだけで、十分に満ちあふれた供養をしていると思う、それ以上に何を必要とするんじゃろか、地蔵石仏がどおしても必要なのか?。
σ(*_*)は「水子供養」をする寺は、どんなに有名寺であっても絶対に信用してなく大嫌いです(キッパリ)。
邪宗教とマトモな宗教の大きな違いは、邪宗教は「心に不安・心配を持たせるような事を言う」のが最大の特徴だと思う。
宗教とは、心に平安をもたらすものであり、そこに強制とか「しなければならない」という言葉は、全く必用ではない(再びキッパリ)。
トンネルを抜けるとガードレールの柱に小さい看板が付けてあり、見ながら歩いてると西国・秩父・板東霊場の寺名が書いてありました。
以下、広告です。
老後の趣味に憧れのピアノを始めてみませんか? |
<レンタルボックス>の種類・料金を見る
<レンタルボックス>を自宅周辺で探す |
中学英語を使える英語に! |